第80期 #30
福岡の夏は相変わらず暑くて、深瀬との腐れ縁も続いていた。
「鹿児島行かん?」
深瀬は窓から入るなり唐突に提案してきた。深瀬は二階にある僕の部屋に、屋根を登って窓から入る。
「無理。俺ら浪人やろ」
「そう」
「なんで鹿児島なん?」
「イッシーば捕まえるったい」
イッシーというのはネッシーみたいな未確認生物だ。僕は答えず勉強に戻った。深瀬は漫画を読み始めた。
五日後、勉強していたら背後で窓が開いた。
「荷物が重いけん、玄関開けて良か?」
振り返ると日に焼けた深瀬の顔があった。
「つーか、玄関から入れよ」
決まり文句だった。
「ちょっと待っとって」
深瀬はドアから出ていった。玄関が開く音に続き、階段を上る足音が響いた。
「捕まえたばい」
深瀬は大きなクーラーボックスを抱えていた。蓋を開くと中には大きな鰻が入っていた。
「これがイッシー」
「鰻やろ」
僕は見たままのことを言った。
「ちょっと尻尾持って」
深瀬に言われ、僕はティッシュをあてがって鰻を掴んだ。
「見とれよ」
深瀬も鰻の頭を掴んで引き上げると、ずるずると身体が出てきた。
「うわ!」
さすがに僕も声を上げた。鰻は全長二メートルを越えていた。
「お前のお袋さん、これさばけるかな」
鰻を戻しながら深瀬は言った。食う気だ。
「自分ちで食えよ」
僕が答えると深瀬は俯いた。
「うちはお袋出て行ったけん」
以前家がゴタゴタしていると聞いた覚えがあった。
「なんで鹿児島行ったとね」
僕は鰻に目を落として尋ねた。
「やけんイッシー」
「違うやろ」
深瀬が言いかけたのを僕は制した。
「イッシーば捕まえに行ったったい」
それでも深瀬はそう答えた。
「あら、いらっしゃい」
声がして顔を上げると、ドアから母が顔を出していた。
「お邪魔してます」
親も深瀬に悪感情はない。しかし深瀬は窓から入る。昔隣人に通報されて怒られたが、窓から入る。
「母さん鰻さばける?」
僕は鰻を指さした。
「まあ大きい。じゃあ下に持ってきて。大変そうだし手伝ってね」
こんなもん食うと言う深瀬も深瀬だが、快諾する母も母だ。
母はすぐ調理にかかった。写真を撮り忘れたことに気づき、僕は携帯電話で、輪切りにされて調理台に転がるイッシーを撮影した。
「この写真、鹿児島の観光局に持っていこう」
僕は深瀬に画面を見せた。
「そやね。受験終わったらね」
深瀬は笑った。
蒲焼き、櫃塗し、といろいろできたが、イッシーはおいしくなかった。