第78期 #21

ダークマター

 ダークマターと呼ばれる物がある。宇宙に存在する目に見えない物質のことで、見えないのだから当然正体は不明。俺はこれの研究にもう十年以上費やしているが、未だに尻尾を掴めていない。まあ、これさえ発見できれば宇宙の成り立ちの謎が解け、ノーベル賞間違いなしという代物だから、一生を賭けるぐらいの意気込みがないとだめだろうが。
 ところが最近は腹立たしいことに「ダークマターは存在しない」などと言う奴らが勢力を伸ばしている。プラズマ宇宙論だの修正ニュートン力学だのを崇めている連中だが、あいつらは後付けのこじつけを理論だと主張しており、愚かとしか言いようがない。だが奴らはこちらの成果の乏しさにつけこみ、確実に賛同者を増やしているのだ。
 それに焦りを感じていたのか、近頃俺の研究にミスが多くなってきた。些細な物なので同僚達が修正してくれるが、こうも誤りが目立つとますます焦る。
 そんな様子を心配した同僚が、俺に休暇を取れと勧めてくれた。最初はもちろん渋ったが、疲れを自覚していたこともあり、結局は休みを取ることに決めた。そういえば最近は妻と過ごす時間も少ないし、ゆっくり休養すれば画期的なアイデアが出るかもしれない。
 そんなわけで俺がのんびり自宅で過ごしていると、妻が頼み事をしてきた。
「あなた。お休みのところ悪いんだけど、これを天井につけてもらえる?」
 そう言って、紐のついた水晶のインテリアを差し出す。これはなんだと聞くと、妻は笑顔で説明してきた。
「あのね。クリスタルを天井から吊るすと気の流れが良くなって風水的にいいって、テレビで言ってたのよ」
 バカかお前は。なにが気だ。なにが風水だ。仮にも科学者の妻が迷信を信じるな。そんな物は捨ててしまえ。
 そう怒鳴りたかったが、休暇中に夫婦喧嘩をするのも嫌だと思い直し、俺は何も言わずに頷いた。
 俺が登る脚立の脚を押さえながら、妻は上機嫌のまま世間話をしてくる。
「そういえば隣の奥さん、変な霊感商法に騙されたらしいわよ。なんでも、狐の霊がとりついてると脅されて、何十万もする数珠を買わされたとか」
 お前の信じてる物も大して変わらんよ、と心の中で呟きながら作業を進める。
「バカよね。目に見えないものを信じるなんて」
 その何気ない言葉を聞いた瞬間、俺は脚立から転がり落ちた。
 妻が慌てて助け起こしてくる。傷一つないというのに、俺は妻の一言によってまだ立ち上がれずにいた。



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