第78期 #22

暗闇

 私は三年前に死んだ。享年五三歳。二年後。きみは三六歳で死んだ。

 きみはしずかに流れる川縁で目覚めた。死者はまずここにたどりつく。かたわらにきみの恩師。大学時代の教授。
 きみは驚く。恩師は去年に他界していた。なにより直前の記憶が休日の散歩中に自分が車に轢かれる瞬間だった。
 きみの恩師は言った。
「終点だ」
「はい」
 賢いきみは自分の死を理解する。きみの恩師はきみ専用のお迎え。
 それからきみは不安に。
 交差点で車に衝突される時にきみはきみの大切な四歳の娘と一緒だった。きみは私の孫娘でもある子供の安否を心配した。

 落ち着け。きみの父親である私は思う。
 きみの娘はきみが歩道の脇へ突き飛ばしたおかげで打撲だけだ。
 私は一畳しかないちいさな房からきみのことを見ている。私はきみから遠い場所に幽閉されている。きみと同じ死んだ人間だが居場所が違うのだ。
 足元に水を張った水盤。水盤を見つめるとこうしてきみの姿がテレビの様に映しだされる。

「子供は無事だ」
 きみの恩師がきみに教えた。きみは安堵する。
 私はきみの恩師と一度だけ会っているね。大学の卒業式。話をした。きみの恩師はきみの良き相談相手だと私は了解した。きみの恩師は私の代役。他の女のためにきみと妻を棄てた私の。

 きみの恩師はきみに与えられた二つの選択肢を説明した。生を失った者は安寧の地かそうでない場所に行くことを自分の意思で選べる。生前に罪咎を負ったものは例外だが。
 きみは私の所在を気にかけた。きみの恩師は私が地獄にいると告げた。家族を裏切った私が一切の光ない地獄にいるのは当然だ。
 きみは顔をうつむかせる。そして地獄に行くと言った。きみの恩師はきみの決断に疑問を持つ。
 きみは私の元へ行くことを選んだ理由を答える。
「家族ですから」
 私は水盤から目を背けた。
 両手で頭を散々にもがく。思いかえす。かつて私は無抵抗のきみの喉首を締めあげ顔面をぼこぼこに撲った。脱力した妻の眺める前で。きみたちが家庭から逃亡して作った私のあたらしい住処に来たから。
 私は知っている。私がこの手で家族をこわした。
 だがきみは私を許すらしい。

 そこで水盤の中の風景が変わる。
 背広姿のきみが見えた。帰宅して娘を抱きあげている。実際のきみはまだ死んでいやしない。

 この刑罰の名は希望だ。
 私はこうしてひとりできみの死を待っている。きみが最良の選択をしてくれることを願いながら。



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