第76期 #10
昨日の進軍により総統府を占拠し、大広間では祝勝と新年の乾杯の儀が行われた。戦況記録の任を受けた私は、首から下げた写真機を持って焼けた町の中を歩いていた。
人気のない町を歩きながら、時折遠写を幾枚か試みた。途中、トンネルがあった。中に黄色い光が並んでいるかと思えば、そこには煤けた市場があった。
まだ人が居たかと思い、トンネルの中へと入っていった。両肩には野菜や食肉、まだ孩語う沼魚が並んでいた。水の撒かれた地面。人々は軍服を着る私が目に入らないかのように、瓜等野菜を切り、肉を並べ、茶葉を揉む。そして人が集まれば、そこで花札に興じるのだった。
肉屋の台には、牛や豚の部位ごとに切り分けられた肉が無造作に並べられるか、または吊られていた。脇には重さを計るための天秤が、極端に肩を斜めにしてぶら下がっている。嗅いでみれば湿った肉と、市場の生活の臭いがした。肉屋の店の奥では家族が小さな鍋を囲んで椀を啜っていた。
奥へと進んでいくと一軒の本屋が目に入ってきた。元来の本好きと、資料になるものはないかと思い覘いてみた。
店の隅には一人の老爺(ろうや)が椅子に掛けていて目が合った。私を捕らえ続ける彼の目に、私は居た堪れなくなって顔を背けたが、目の縁で老爺が手を伸ばしてきたかと思うと、一冊の本を差し出してきた。彼は手を伸ばし、戸惑う私に、端の縮れた本を渡そうとする。じっと見据えるその両眼に、半ば強引に受け取らされ、小銭を探る私を彼は制止して、私はそのまま本屋の前を去っていった。
市場の更に奥へと進んで行けば、鳥屋の前では鶏と家鴨がひしめく籠が並んでいる。籠の前に立てば、彼らは小さな頭をじっと私へ向けてくるのだが、自分の行く末に気づかないのか、その眼には微塵の影も映っていない。鳥屋の向かいは饅頭屋で、店に置かれた大きな蒸し器からは、湯気が幾筋の帯になって立ち昇っており、主人がその蓋を外すと、むわっと大きな白い湯気の塊が吐き出され、私のぐるりを覆い囲んでしまった。
すると怒涛のような喊声と、幾発もの発砲音に突然背中を襲われた。私は体を翻し写真機を構えてみたが、さっきまで白い湯気だったはずの霧が去った向こうには、ただただ焼けた町が広がるだけで、そこにはさっきまでの市場もトンネルも何もない。何があったかと云えば、途方にくれる私が脇に挟んでいた、いつ消えるか知れない一冊の本が、今もここに残っている。