第68期 #20
彼女の名前はカオルーン。九龍。そんなばかげた代物が戸籍に登録されているはずもなく、死んだ父親は爽やかな五月の朝に生まれた彼女を祝福し「薫」とちゃんと名づけたはずなのだ。行ったこともない国の、しかも植民地だったという容易ならざる歴史を持つ半島の名前に、彼女が後に自分で「つけ直した」なんて聞いたら、またその理由が「死ぬほど退屈な社会科の時間に」「たまたま地図帳で見つけたんだけど」「響きがとにかく、いい、と思って」だと知ったら、あの丸々と肥えていた父親はお墓の中でどんなに悲しむことか。
だけど、カオルーンは余り気にしていない。彼女は殆ど何も気にしない。ただ、本当に可愛いなあたしの名前は、と時折口ずさむだけ。誰も知らないのが残念、と思っている。
彼女は海辺の田舎町に住んでいる。その町は小泉八雲が一度通ったことがあって、そればかりか八雲先生はその日の日記にただ一言「通った」と気紛れにお書きになったものだから、まるで鬼の首でも取ったかのように、小泉八雲は今に至るまで町の偉人なのである。信じ難い話だけれど、記念館がある。八雲の足跡、という銘菓もある。
カオルーンは、その菓子が肌理細やかな粉砂糖が散りばめられた真っ白いブッセであることに、食べる度に少し感動する。この町の人々は(たとえ彼らの多くが『怪談』を知らなかったにせよ)、八雲先生の白い肌を心から敬愛していたのだ、と。彼女はついにこの間『怪談』を読んだのだ。図書室から借りると怖い本はもっと怖くなる。醤油の染みだか血痕だかわかったものではない。
彼女は本が好きで本は片づけない。尤もこれには理由があって、読み終わった本をすぐさま片づける淋しさが、彼女には我慢できないのだ。例えばソファに投げだして、視界の隅に本がちょっと入るようにしておきたい。何かの拍子に、背表紙が彼女の体のどこか柔らかい部分と触れ合うようにしておきたい。そうすると、物語の片鱗がまだそこに残っているような気がするから。
勿論母親は小言を言う。彼女はちゃんと説明しようとして言葉に迷い、言葉の、その圧倒的な事足りなさにふと気がついてぎょっとした。暫し茫然とし、ややあってむっとする、本にぐるりを囲まれて。
やがて母親は笑いだし、カオルーンも何が何やら可笑しくなって(そうだ! いつかあたしの本当の名前を母さんにも教えてやろう)、黙ったまま、二人は上機嫌でじゃが芋の皮をむく。