第67期 #19
「おじいちゃん、夕ご飯の時間だよ」
私は箸、スプーン、らくのみを準備し、ベッドを起こす。
「今日のご飯は美味しいかな?」
病院の食事は、いつ見ても質素だ。
おじいちゃんは箸やスプーンをぎこちなさそうに使い始めた。米粒や和え物をぽろぽろとこぼす。でも、私は食べさせない。これも脳や筋肉のトレーニングなのだ。
食事の後、私が本を読んでいると、急に布団がもごもごと動き出した。
「富田次郎です。次は何をすればいいですか?」
私はおじいちゃんの肩にそっと触れて言う。
「もうお薬も飲みましたし、夜ですからねえ。ゆっくり寝て下さい」
「ああ、夜ですか……。分かりました」
多分、看護婦さんと間違えているのだろう。少し間があって、またすうすうと規則的な寝息が聞こえ始めた。
その後も数回、おじいちゃんは天井や壁に向かって、何やら話しかけていたが、私はじっと本を読んでいた。おじいちゃんの痴呆は今に始まったことではない。扱いには母親達よりも慣れているつもりだ。
私は床にシートを敷き、自分の寝床を作り始める。まだこの季節だと床が冷たく、窓の隙間からも風が入ってきて、寒い。毛布に包まり、時計を見る。あと、何時間寝られるかな? こうやって付き添いとして、病院に寝泊りするのにも、もう慣れた。
次の日の朝も、おじいちゃんの調子は特に変化なし。
「おじいちゃん、他の孫たちは来ないねえ」
「ううむ。遠い所に住んどるからなあ」
「たまには来ればいいのにね。寂しいね」
「それより、緋那子は結婚しとったかのう?」
「どうだったかな?」
「どっちじゃ」
「んー、してないよ」
「早く婿殿や曾孫が見たいのう」
彼氏を連れてきて会わせてあげようかと一瞬思ったけど、話がややこしくなりそうだったのでやめた。
その時、ポケットの中で携帯が震える。
「もしもし」
「富田です。いつもご苦労さま」
「あ、おはようございます」
「今ね、病院の駐車場まで来てるの。久し振りにお見舞い来なきゃと思って。だから、もう帰っていいわよ。また夕方からお願いできる?」
「分かりました」
「あ、バイト代は次回でいいかしら?」
「はい、いつでも結構です」
電話を切る。富田のおじいちゃんが私を眺めている。
「お母さんが今から来るんだって。私は一回帰って、また後で来るよ」
おじいちゃんは、こくりと頷いた。
病室のドアを開く。その瞬間、私は緋那子ではなくなる。本当の緋那子さんてどんな人なんだろう。