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第67期予選時の、#19管理する人と管理される人(崎村)への投票です(1票)。

2008年4月28日 20時28分5秒

 静穏で植物的な人間のありようについての小説、と言えるだろうか。「おじいちゃん」は食事が出れば食べ、夜が来れば眠り、その都度与えられる指示に従って、大人しく日常を繰り返している。「私」はといえば、熟練のガーデナーが花を育てるように、老人の環境を整え、適量の会話につき合い、監視することを怠らない。つねに冷静で淀みがない、穏やかなその手つきは、まるでやさしさに基づく行為ででもあるかのようだ。しかし実は、彼女もまた、別の人間の指示の下に、与えられた任務を淡々と遂行するだけの存在にすぎない。こんなふうに、僕たちはそれぞれがガラスで囲われた部屋の中にいて、別の部屋の見ず知らずの誰かに管理され、あるいはその誰かを管理し、ガラスの向こうの誰かに深い同情や関心を抱くこともなく、自分の役割に違和感を覚えることもない…
 この小説のテーマをそう捉えたが、しかしこの小説の美質は、こうしたテーマのもう一歩先にあるように感じる。末尾の三行、「病室のドアを開く。その瞬間、私は緋那子ではなくなる。」この切りつめたセンテンスがたたえる緊張感も素晴らしいが、本当に心を揺さぶる言葉は、その後、ヒロインがつぶやく独白の形をとってあらわれる。「本当の緋那子さんてどんな人なんだろう」。この何気ない言葉に、理由もよくわからないまま、ふと涙がこみあげてきそうになるのを、僕は感じる。そして北杜夫の『幽霊』の冒頭近くの、次のような一節を思い出すのである。
「それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。」(でんでん)

参照用リンク: #date20080428-202805


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