第65期 #15

マイソフィスト

「なあ」
 声が聞こえた、気がして、振り向くと背の低い試験監督が立っていた。
「ちょっと袖めくって」
 試験監督は表情を変えず私の袖口に触れる。やめろ。インフルエンザ明けの私の頭は余計に白みがかり、ぐらりぐらりと意識が揺れた。
「聞いてる?」
 私の意識は完全に朦朧となり、ふらつき、周りの生徒が近寄ってきて私を担いだ。その時、吉田という男子が私の耳元で「大丈夫大丈夫任せて」と囁いた。

 翌日になっても私の不正行為に罰が下ることはなかった。私は吉田の不審な囁きを思い出した。
「よかったねえ、何ともなくて」
 吉田はそれしか言わなかったが、彼が何かしたのは明らかで、私は申し訳ないような気分になり、お茶を一本買って渡したが彼は受け取らず、受け取ってよと半ば迫ると、じゃあ休んだ分の課題を手伝うと言われお言葉に甘えた。
 国語の論文について、私がだらだらと喋り、彼がそれを文章にした。私の喋りは彼によって骨組まれ筋肉が付けられ、まあ何とも立派になった。は、こりゃやるな。私は唸った。

「これもやってー」
 私は次の日もコーヒー一本もって吉田のもとへ。修学旅行研修レポート。それも彼はつらつらと軽くこなす。私でもないのに。彼は心にもないことを心をこめて書く。虚構で塗り固めたような男だった。丁度世界史でギリシャ文化をやっていたので、浅はかな私は彼をソフィストみてーだと思った。私は吉田の真似をしはじめた。彼も真似されていると知っていた。彼にならえば大抵うまくいく。
 だが当人には敵わない。

 大学に行っても不思議と関係は続き、学生生活もダレてきたある日吉田は言った。「俺やっと本出したさー」「やっと? 小説?」「そうそう」
 私は気づいていた。吉田の思考に影響されている。私はパソコンに向かった。吉田に似ているということはつまり私にも書けるということじゃない? 吉田の論理は大抵こんな組み立てだった。
 三本書いて私は小さな公募賞を貰った。すぐ吉田に報告した。私が小説を書いていることはずっと秘密にしていたから、きっと驚くだろうと思った。
 吉田は一瞬ぽかんと口を開けて、そして吹き出した。
「本出したって、ありゃ嘘嘘。俺に小説なんか書けないよ。それにしてもお前がなー、いやー凄い凄い。恐れいりました。負けました」
 今度は私がぽかんとした。そして事情を飲み込んで、あ、この男には絶対勝てない、そう確信して、ばっしばっし肩を叩き合った。



Copyright © 2008 壱倉柊 / 編集: 短編