第65期 #14
二月三日、午後三時。所在無げにしている俺に、一本の電話が飛び込んできた。電話機は佐倉からの電話だと言っている。受話ボタンを押すといきなり、今ちょっと暇か、と興奮気味の声が耳を打った。
「だったらちょうど良い、今から味見に来い」
生返事をしただけの俺を置いて、電話は一方的に切られた。ちょうど小腹が空いてきた頃だ、やることもないし、ご馳走になってくるかと俺は思ったよりも重くなっていた腰を上げた。
呼び鈴を鳴らすと、はーい、と言う佐倉の声がした。その返事は主婦みたいだぞ、と誰にともなく口にしようとしたその言葉は、扉が開いた瞬間に咽に引っ掛かかり、俺は目を白黒させた。
「上がって上がって」
にこやかに招く佐倉のその格好が、俺の想定を大きく越えていたからだ。レース付き丸首のベージュのTシャツに、胸元がV字に大きく開いていてそこから下はゆったりと襞を打っているペーズリー柄のワンピースを重ねて、その上に肩や裾に大きなレースを飾った白いエプロンを付けた佐倉が、俺の目の前にいる。男のはずの佐倉が、その格好で俺に笑いかけている。混乱した俺は、佐倉宅に足を踏み入れるどころではなかった。何故、どうして、俺の頭は佐倉の奇行の原因を探して高速で空転をしていて、足を動かすことさえ忘れていたのだ。
そう言えば佐倉は、この頃そわそわしている気がする。そう言えば佐倉は、この前女の子に混じってチョコレートの話をしていた。そう言えば佐倉は、昨日ニキビができていて俺に笑われていたのだった。それはこういうことだったのだろうか、疑問が綿飴のように膨らむ。
「早く来いよ」
しかしそれは、佐倉によって強制的に停止させられた。佐倉宅内に引きずり込まれた俺は、そこである違和感に気がついた。
甘い香りがしない。代わりに少し鼻に刺激を感じさせる匂いがする。
台所に通された俺は、唖然とした。流し台の脇の大きなボウルには白いご飯が、テーブルの上にいくつかある小皿にはそれぞれ干瓢や胡瓜や玉子焼きや海苔が、そして大皿には太巻が一本、あった。
「何コレ?」
「決まってるだろ。節分には恵方巻だぞ」
酢飯の匂いだったのだ。
「で、その格好はどういうことだ?」
「エプロンがこれしかなくて。変だったから、面白そうだし服の方を合わせてみた」
「色気?」
「より食い気だぜ、オレは」
茶目っ気たっぷりに笑った佐倉の太巻は、匂いが教えてくれたとおり酸味が強すぎた。