第65期 #13
埴谷雄高の「虚体」に夏石番矢の「虚血」を注ぎ、西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」の原理に基づきディラックの海で培養したゴーレムですが、出来上がったものをよく見てみますとゴーレムのシミュラークルだったものですから、これは失敗だとわかりました。「それにしてもゴーレムのシミュラークルとは異なこと。矛盾自体ではありますまいか」水槽を眺めながらそんなことを訝しがっておりますと、「何を言うだがや阿呆、わいは成功作でおみゃーらのほうが失敗作だがや」とそいつが言うので、僕は、「なるほど、確かにそうかもしれませんね」と納得して同意しましたなどということもなく、その話し方のキャラの作り過ぎなことにすぐさま嫌気がさしたのでした。
「これはあなたが気に入っている本の中の語句で出来ているんですね」訪ねてきた恋人が僕を眺めながら言いました。僕の創ったゴーレムは「そうだがや、わいインテリ。詩人。好きな本の好きな語句を混ぜ合わせて捏ね上げただがや」と得意げに説明します。僕は慌てて「僕はゴーレムではなくてそいつがゴーレムです」と訂正しましたが、恋人は僕とゴーレムの区別がつかないらしく、しかもゴーレムのほうも僕と同じことを主張しましたので、彼女の混乱は増すばかりで、仕舞いには彼女は僕とゴーレムの二人ともゴーレムと見なすことにして、本物の僕を探しにどこかに行ってしまいました。絶対矛盾的同一視が始まったのだと思いました。そのときが、僕が僕の創ったそいつを殺すことに決めた瞬間です。
ゴーレムの殺し方はディラックの海にきちんと還元する他ありません。しかしそのゴーレムはシミュラークルであるばかりかドッペルゲンガーでもあったらしく、しかも本体と同化するタイプのドッペルゲンガーでしたので、そのことに気づいたときにはもう僕は同化されていたのでした。ゴーレムの空虚な自意識に浸食されて、僕はすっかりアムニージアックです。
何もかも忘れ果ててしまう前にどうにかしなければいけないと思って町のクリニックに行きましたが、着いた途端に何もかも忘れ果ててしまいましたので、自分が何をしに来たのか思い出せず、とりあえず健康診断を受けてついでに隣の雑居ビルにあるヘアサロンで髪をピンクに染めてもらって帰ることにしました。家では見知らぬ同居人たちと共に晩ごはんを食べてテレビを見て寝ました。後日クリニックのドクトルから肝炎だと告げられました。