第61期 #9

人形と人形遣い

 歯に当たって、かちっと鳴った。上目遣いで見つめると、彼はゆるやかに微笑む。彼の扱うスプーンが口から滑り出て、あたしはむぐむぐとオムレツを咀嚼する。ふわふわの卵。優しい味のデミグラスソース。
「美味しい。ありがとう」
 にっこり笑って彼に言った。彼は嬉しそうに頷く。
 食事が終わって一息ついて、冷ましたカフェオレをストローでちゅるちゅると吸う。彼も紅茶を飲んでいる。背中が痒くなってむずむずしていると、彼が「どこ?」と聞きながら立ち上がった。
「背中」
「……ここら辺?」
「もう少し上」
「ん」
「……うん」
「ここ?」
「うん、そこ。気持ちいい」
 手がないと背中も掻けなくて不便だ。ついでに言うと足もない。あたしはあたしの値段を知らない。彼は知っているはずだけれど、教えてはくれない。でもあたしは「小さくて綺麗で可愛い」そうなので、それなりに高かったんじゃないのかなと思う。
「ありがと」
「いや」
 手足がないのは彼の趣味だった。腕を切り落としたときも足を切り落としたときも熱を出した。麻酔で眠らされてから優しい顔をしたキチガイ医師に切り落とされたのだけれど、そのあとあたしはストレスか何かで吐いた。吐くものがなくなるまで吐いた。
 ふと、胃液の苦甘い味を思い出して顔をしかめる。
「うがいしたい」
 買われてからずっとびくびく脅えていたあたしの、最初の要求だった。口の中が気持ち悪くてたまらなかった。それから少しずつ必要なことを口にした。彼は下の世話も厭わなかった。むしろあたしが嫌がった。恥ずかしいに決まっている。
 あごに触れた彼の指で、すっと顔を上げさせられて、あたしは過去の記憶から抜け出した。軽く口を開けると唇が重なり、舌が入り込んでくる。少し抵抗しながらそのうちに受け入れて、ゆったりと静かにからめる。ぴちゃぴちゃといやらしい音がした。あたしの舌はカフェオレの味がするだろう。紅茶の渋味とほのかな甘味。息が苦しくなって小さく呻くと、するりと全てが離れていく。一瞬の寂しさに笑みを浮かべる。
 息を整えたあと、また唇が重なる。入り込んできた舌に軽く歯を立てると、すぐそばにある彼の目が嬉しそうに悲しそうに細められる。この人は本当に変態だなあと思いながら、あたしは調子に乗って彼の舌をきりきりと噛み締める。ぷつりとそれが破れ、中の生温かい液体が零れ出て、粘りつく唾液と混ざり合う。
 こくりと喉を鳴らした。少し美味しい。



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