第61期 #11

アダルトチルドレン

 彼氏が部屋のインターフォンを雪平鍋で殴りつけて破壊した。私が宅急便屋と親しげに会話していたからという理由だった。彼氏は怒りで顔が紅潮していた。私は親しげにした積もりはなかった。チャイを煮ている最中の鍋だった。私は彼氏との関係を終わらせた。

 夜の繁華街で酔っていたら会社の上司と偶然に会った。四三歳で既婚者だったが顔も良く人格も尊敬でき、私は慕っていた。私は撓垂れた。囁いた。
「まだ私は二六歳です」
 私と男はタクシーでホテルに行った。部屋の中心に贋物のモーターボートがあり、その中にベッドがあり、壁一面には青空と海原と白いカモメが描かれていた。私たちは性行為をした。
 私は性行為の後の開放的な気分が好きだった。日常ではできない話ができた。普段なら上司である男の腹の、皮膚の奥に指が沈みこんでしまうような触り心地のやわらかにたるんだ肉を摘みあげ、だらしないと罵ることさえできた。性行為抜きでここまで他人と親密になる方法を知らなかった。
 恋人のことをうちあけると男が言った。
「子どもと付き合うからだ」
「大人の回答ですね」
 私が迂遠に謗っても男は怒らなかった。私は性行為以外に他人と打ち解ける方法を知らないのだと男に伝えた。それはどうしてだろうと訊ねた。男はあなたの他人に対する警戒心が強いからだと答えた。私は会社での私の様子を知っている人間と関係を持ったことを嬉しく思った。上司は私をよく知っていた。
 男は指の腹で私の眉を撫でた。煙草を吸った後の男の指は臭かった。部屋はフットライトだけで暗かった。私たちはベッドの中でまた絡み合うようにして抱き合った。男が言った。
「親近感の正体は記憶だよ。見なれた顔や聞きなれた声、誰かが自分にしてくれたこと、自分が誰かにしたこと、そうした記憶が親近感を生むんだ」
 私は男の腕に包まれながら、男の話を聞いていた。
「過去と現在が結びつき、化学変化を起こして親しみを感じる」
「化学変化?」
「ああ」

 私たちは眠らなかった。夜明け前に別々にタクシーを呼んだ。
 私は血がたぎっていた。明日も明後日も煙草臭い男の指を会社で眺められるのだと想像すると気分がはしゃいだ。タクシーに乗りこもうとする男の腕を掴んだ。引き寄せて頬に口づけした。
 私はこれから会社でどう振る舞ったらよいかと男に訊ねた。男は今夜のことがなかったように振る舞えと答えた。
「すると化学変化は起きませんね」
「起きない」



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