第60期 #9

カニャークマリの夜

 ハル子の作ったインドカレーを食べた(実に美味かったがカルダモンの欠片が奥歯に挟まっている)。ソファの上で僕はハル子の足裏の角質を取る。薬局で購入した新商品の角質取りは見事にハル子の残骸を削ぎ落とした。
 根掘り葉掘り聞かれたわよ。新堂さんとの関係はともかく私のことまで。そう言うとハル子は変形型かかと落としを僕に喰らわす仕草をして冗談よと笑った。
 警官が来たのが?
 キックに決まってるじゃない、警官の話は本当。
ハル子は僕を恋人だと警官に答える。失礼ですが単刀直入に言わせて頂きますと貴方は二股をおかけになられている訳ですか?と警官(勿論先日の二人組だ)。ハル子は特に狼狽しない。そのことは以前から僕には周知の事実だ。僕も特に狼狽はしない。
 ハル子には恋人がいる。榊原君というその青年は今は主に両生類を専門にしたペット屋を細々と経営している。ハル子は榊原君とインド最南端のカニャークマリで出会った。ハル子は今の仕事に就くまでは趣味で海外を転々としていた。寂れた海沿いのレストランでキングフィッシャーを2本飲み(食べることには飽き飽きしていた)酒屋で名前も分からないウィスキーを買ってホテル(馬鹿広いがお湯は出ない。130ルピー)に戻る途中久しぶりの日本語を聞いた。
 こんな遅くに日本人の女の子が一人で歩いているなんて何て僕はラッキーなんだろう。天井桟敷の人々という映画にもこんな軽薄な台詞があったなと思う。榊原君は丁寧に自己紹介した。自分は怪しいものではないと。確かにこんな夜中に酒屋からメイン通りに戻るまで散々男から声を掛けられた。都会とは違ってこっちの人間は英語が下手糞だ。向こうも流石にしつこく言い寄っては来ない。
 榊原君はハル子のホテルの場所を聞くとじゃあすぐ自分と近くだと言う。薄闇の中で聞く榊原君の声に邪険なものはないような気がした。
 今から見世物小屋に行くのだけれど良かったら一緒に見に行かない?
 すっかり酔いは醒め始めていたの。それで見世物小屋って言葉を聞いて何だかピーンと来ちゃったのよね。それで一緒に行くことにした。まるで縁日に向かうみたく。 
 さぁかかともすっかり綺麗だ。ゆっくり続きを聞こう。
 ハル子は子供みたく自分の足の裏を眺めると満足したようにありがとうと僕にキスをした。その拍子につっかえていたカルダモンの欠片は僕を離れてハル子の舌先を掻い潜り闇の中へ飲み込まれていった。



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