第60期 #8

ピアスの青年

 コンビニの前で、店から出てきた一樹と目が会った。看板の明かりにピアスを光らせ、彼は気まずそうに視線をそらした。
 早紀は転校してきたばかりの一樹に、どう声をかけていいのかわからなかった。いつも机に突っ伏して、誰とも打ち解けようとしない彼は、教室で孤立することを選んでいたから。早紀は戸惑った。気づかないふりをしようかと思ったが、この距離では手遅れだった。
「今晩は、榊くん」
 一樹がぎくりと体をこわばらせた。もしかしたら彼もやりすごそうと思っていたのかもしれない。観念したように顔を上げた。
「えっと…」
「小川、同じクラスの」
「…どうしたの、こんな時間に?」
 いつもの制服姿と違い、一樹は黒のカットソーにデニムのパンツを穿いていた。ただそれだけなのに大人びて見えた。
「夏期講習の帰り。榊くんも塾の帰り?」
 一樹は頭をふり、普段は見せない穏やかな顔つきで応えた。
「ここでバイトしてるんだ…親父の稼ぎだと、食えないから」
「ごめん、変なこと聞いた」
「別に」
 一樹は短く呟き、歩き出した。後を追うつもりはなかったが、帰る方向が一緒なので少し間をあけてついて行く。お互いが意識する微妙な距離のままで。
 耐え切れずに沈黙を破ったのは、早紀だった。
「バイトのこと知ったら、ナベの奴、残念がるかも。榊くんを勧誘しようとしてたから」
「ナベ? 勧誘?」
 突然の言葉に、一樹が振りむく。
「うん、ナベっていうのは渡辺のこと。クラスで騒いでる奴いるでしょう? あいつ、陸上部の部長なの」
 一樹が、思い出したように頷いた。
「で、ナベが言うには、榊くんの脚は、絶対、陸上向きなんだって。だから陸上部に誘うって言ってたの。でも、バイトしてるんなら、無理だよね」
 早紀の言葉に、一樹はもう一度頷いた。
「でも、やってみたいな…短距離やってたし」
「本当に? 入部しなよ」
「けど、バイトあるし」
「相談したら? 聞いてあげるよ」
 一樹は首を横にふった。
「それぐらい聞ける」
 少しはにかみ、白い歯を初めてみせた。
 翌日、一樹が教室に行くと、誰が見ていたのか、早紀と一樹が、夜、二人きりで歩いていたことがスキャンダルになっていた。早紀が反論し、火に油を注いでいた。
 口笛を鳴らし、一際囃し立てている奴がいる――ナベだ。
 一樹は一瞥しただけで、何も言わなかった。
 ただ、まっすぐ自分の席につき、いつもどおり机に突っ伏したまま、一樹はなにも言わなかった。



Copyright © 2007 八海宵一 / 編集: 短編