第6期 #16

一個のパン

 森の中をまだ若い青年と男が歩いていた。
「なぜ、着いてくる?」青年は振り返ると、そう言った。
「言ったはずだ。俺はこの命に代えても、お前を守る、と。それがお前の父親への恩返しだ」青年を追う様に歩いていた男が、そう答える。
「馬鹿馬鹿しい。飢え死にしかけていた時に、パンを一個貰っただけで、命をかけるなんて」青年が呆れた様に言う。
「わかっているはずだ。あのパン一個の重みが、どれほどの物か」男が諭す様に言う。
 と、男は辺りを見回した。それを見た、青年の顔が引き締まる。
「話は後だ」男がそう言うと、二人は同時に腰の剣に手を伸ばした。それを合図にした様に、森の奥から何者かの集団が現れた。
「盗賊か。用があるなら、後にして欲しい物だな」男はそう言いながら、飛び掛ってきた男を剣で薙ぎ倒した。

 やがて、それまでの喧騒など無かったかの様に、森に静けさが戻った。二人の周囲には、数人の盗賊の死体が転がっていた。
「邪魔が入ったが、話の続きだ」
「その必要は無い。あんたに守って貰う必要も、ね」青年は剣を鞘に収めながら、そう言った。
 と、その時、青年の背後に倒れていた盗賊が、起き上がった。
「死ね!」盗賊がそう叫び、青年に短剣を突き出す。
「くそ!」と、次の瞬間、男は青年を突き飛ばしていた。
 突き飛ばされて地面に倒れた青年は、最初、何が起こったのかわからなかった。起き上がり、男の方を見た青年の目に映ったのは、血塗れの腹を抱えながら倒れていく盗賊と、左胸に短剣を突き刺した男の姿だった。
「大丈夫か?」その男の言葉に、青年はしばらく返す言葉が無かった。
「やっぱり、あんたは馬鹿だ」ようやく、青年は口を開くと、そう言った。
「馬鹿か? そうだな」男は照れた様に苦笑すると、片膝をついた。
「本当に、馬鹿だ。自分も餓えに苦しんでいるのに、年下だって理由で赤の他人に最後のパンをくれてやった父も馬鹿なら、助けて貰った命をこんな事で失うあんたも」
「いや、あの人は違う。なぜなら、あの人はたった一つの命で、あの時の俺と今のお前の二つの命を救ったんだからな」
「詭弁だ。結局は、二つの命が無くなるんじゃないか」そう、青年が否定する。
「ははは。俺は馬鹿だから、計算が苦手でな」男はそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。
 そして、二度と男が目を開く事はなかった。その男の傍で、青年はこう呟いた。
「二人とも、馬鹿だよ。だけど、一番、馬鹿なのは……、僕だ」



Copyright © 2003 神崎 隼 / 編集: 短編