第6期 #15

年賀状

 去年の暮れは初めて、某新人賞に派遣する原稿にかかりきるために、賀状を一切出さぬことにした。
 なまじ母親が人並みの躾をしてくれたせいで、義理ある人へは暮れのうちに出しておくものと思い込んで来たが、実際、年内には一切準備しないと決めてみると、正月になってから頂いたのに全部返事を出せばいい訳で、余計なことに頭を使わなくて済むし、大変良いと思った。
 つき合いの狭い私の所にも、今年も元旦を期して寄越した人が八人もいたが、中に一寸妙なのがあった。小学校一・二年の時の先生なのだが、寸分違わぬ活版刷の葉書が、二枚も届いたのである。
 数えてみれば、私がお世話になったのはもう二十年以上昔のことになる。当時すでに大ベテランで、間違えて「お母さん」と呼んでしまった子もいた程、皆に慕われていたが、私が小学生のうちに定年少し手前で辞められたのであった。
 卒業して中学・高校・大学の頃までは毎年年賀状を差し上げて、返事を頂いていたが、先生の方にも私の方にも不幸があったりして、いつとなく絶えていたのが、久しぶりである。
「何、あの先生、惚けちゃったんじゃない」
と無造作に言う母に、
「まさか……普通の人でもたまにある事でしょう、何時だったか、自分の名前を書かないで寄越した先生もいたもの」
と笑いながら、何気なく眺めているとしかし、おかしな点は他にも見当たるのだった。
 表の宛名書きの、きちんとした黒いペンの字は昔と変わりないようだが、郵便番号に二通ともご自宅のそれを書いていられる。番地も、一〇七ノ一とあるべき所が一〇〇ノ一となっていて、微妙に違っている。
 さらに一通の表には、濃い鉛筆のレ印の痕が消されてくっきりと残っているのが、意味が判らないだけに、何か凶々しい感じがする。
 現在もそうであるが、子供のころ私は弱虫であった。従ってよくいじめられたが、先生はそんな私を、何かにつけ皆の前で引き立てて下さった。こんなに一人に目を掛けて良いのだろうかと思うほど、誉められて、良くして頂いた記憶しかないのである。
 何年かぶりに私なぞに年賀状を出そうと思い立たれたのは、いかなる心境であろうか。そして今はどんな暮らしを送っていられるのか……。
 早速返事を出すことにしたが、何と書いたらいいものか、しばらく躊躇った。結局「私こと、未だ就職もせず実家に居りますが、健康に暮らしております故、先生もどうかお元気で」としか書けなかった。



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