第58期 #24
「……要するにやね、第56期にて語り手である「わたし」の虚構性を強調しておいたにもかかわらず、前期投稿作の語り手を作者と同一視してる人が多いらしいのが、僕はどうにも不満なわけだよ。三浦さんの評感想で多少救われた格好なわけで、虚実重ねて読んでこそ、虚構の階層の線的解体が為されるちゅうのに、それを皆わかってへんのとちゃうかな」
虚構の階層の線的解体?
「わからんゆうんやったら説明しますけどね。要するにや、前回のような本当のことを語ったかのような虚構の読み方には作者側から見た虚構レベルの積み重ねと、読者側から見た虚構レベルの積み重ねの二通りがあって、作者自身は何が実であり、何が虚であるか知っているわけやけど、読者にとってはそれは判別出来んもんであって、そやから虚とも実ともつかず、ディレンマを陥るわけで、そうやってディレンマに陥ってもらわんことには、メタ短編であった前作に対するメタ・メタ短編である今作の効果が薄れてしまうちゅうことや」
結局、線的解体というのは何なんでしょうか?
「つまるところやな、作者側から見た虚構と、読者側から見た虚構がパラレルに存在し得るということで、つまり小説の虚構性は作品固有のもんではなしに、作品を鑑賞する視点ごとに存在するんであって、メタメタしとっても、それは物理的な階層を為すわけでなく、双方向性があるわけやね。あっちゃからこっちゃへ。こっちゃからあっちゃへ」
単に面白くなかったという話もあるのですが。
「率直に言ってくれるね。メタ化というのはある意味ネタ化でもあって、ネタが苦手なんは自分でもわかってるけど、そこはチャレンジちゅうことにしといてや。あれは何期やったかな。作品内でその期の虚構の感想を書くちゅうのがあってやね。あれは良かったね」
ツチダさんの『第10期感想一番乗り』ですね。ところでこれで四期連続こういった傾向の作品が並ぶわけですが、これは意図的なものなのでしょうか?
「そりゃ君、もちろんやんか。メタ化していくことによって、前期作品を内包していくことにより、千字の限界を超える試みやっちゅうのは、<うんこ三部作>の時にもしたはずやけどな。ホントはもっとふざけたもんも考えてはいるんやけど、それが可能がどうかはいっぺん北村さんに聞いてみなあかん」
(インタビューの完全版は「短編」八月号に掲載中。次号はるるるぶ☆どっくちゃん先生の登場です。お楽しみに!)