第58期 #23
川だった川べりを男が歩いている。
さかなが泳いでいく。
二、三匹捕まえる。二十匹ほどが手の中に入った。すぐに逃がしてやる。さかな達は綺麗なうろこを持っていた。
男は自分が自分になる、そのずっと昔、さかなだった頃の記憶がある。先ほど捕まえたさかな達よりずっと巨大で、全てを持っていて、ずっと綺麗な鱗も持っていた。そして目の見えない女と暮らし、海の真ん中で、緑色した、本当に綺麗で何も無い海は緑色なのだ、それを男は覚えている、そうそんな海の真ん中で、男は死ぬ。さかなだった男は、死ぬ。
そのことを男は覚えている。
川だった川べりを、男が歩いている。
「だから言いたいことは何だよ」
「金を返してくださいよ」
男は黙る。
目の前には色々なケーキやコーヒーやミニカーが並んでいる。男は手をつけない。
「昔のあなたと今のあなたは違うんだ」
「感動、ってなんだ」
「は?」
「感動、ってなんだ。愛する人がなんか、あれか、難病だかなんだかになって、あれか、それでなんかすると感動か」
「はあ」
「みんなであれか、何かを一生懸命作って、やって、失敗して裏切られて裏切って、でも友情で、そして成功で、それであれか、感動か」
「さあ」
「わからんな」
「はあ」
鈴の音で、鈴の男の踊りを、トーマが踊る。
心臓を沢山ぶら下げて。
心臓には沢山の絵が描いてあった。どこかへ行けそうな、羽のような絵。
「心臓ならいつでもやるよ」
「ありがとう」
鈴の音。ノイズ。オルガン。
トーマは鈴の男の踊りを踊る。
魚を捕まえすぎてしまった。
くろいかいがんに、ずっと立っていたから。
両手にさかなを抱えて帰る。
両手に魚を抱えて、砂漠を通って家へ帰る。
さかなが跳ねて何匹か逃げ出す。砂に落ちる。空へとぶ。道の途中にピアノが置いてあるのを見た。
誰かが捨てたのだ。誰かが、これを弾いていた、ずっと弾いていた、ずっとずっとずっと弾いていた誰かが、捨ててしまったのだ。魚を捕まえすぎてしまった。くろいかいがんに、ずっと立っていたから。
男は女の家へ帰る。
「おかえり」
女は手探りで男に抱きつき言った。女はめくらであった。男がそうした。女をめくらにしたのだ。そして二人はずっと一緒に住んでいる。
「こんなに沢山」
女は包丁でさかなをばらばらにする。
男は目を閉じる。オルガンの音。ノイズ。
黒い海岸にずっと立っていたから。
黒い海岸でずっと、うそを聞き続けてきたから。