第55期 #31

小説を掴まえた

 まったく僕は興奮していた。僕はとうとう小説を掴まえたのだ。
 小説を書くようになって、というのが烏滸がましいなら、小説を書く真似事を始めて、もう何年にもなるというのに、こんなことは初めての経験で、小説の神髄などほんの些細なことだったのだと、まだ一字も書かれていない自分の小説に、小躍りしそうになるほどだった、とまで書いてしまうといささか大袈裟ではあるけれど、自分の経験したいくつかの出来事を、ほんの少し並べ替えてみるだけで、別々だった出来事が、シャキンと音を立てて結びつき、今まで得ることのなかった新たな視点が、ぼやけた僕の脳髄を真っ二つにして、間脳のあたりからニョッキリと現れたのだ。間脳には情動を司る視床下部があるから、至極いい加減なこの比喩も案外的外れではないかもしれないが、勿論そんなことは重要でない。
 まったくそれは初めての文学体験といってもいいかしれない体験で、それほどのことなのに、どうしてまだ一字も書いていないかというと、うまいタイトルがなかなか決まらないからで、重要なキーワードは「バルセロナ」の一言なのだけれど、それをそのままタイトルにしてしまうのはいかにも芸がないし、だいたいスペインの都市としてのバルセロナとはなんら関係なく、最近憶えた用語でいえば、シニフィアンとしての「バルセロナ」が重要なのだけれど、この場合シニフィアンという言葉を用いるのが適切かどうかは、理解がいい加減なのでよくわからない。
 いやいや実際のところ、僕が一字も書けていないのは、それがまったく書く必要のない小説だからで、つまりどういうものかといえば、小説を書こうと思っていたある男、要するに僕自身が、たわいもないいくつかの経験をして、小説なんて書く必要はどこにもないのだ、と知るという小説であり、この経験自体は事実ではなく、小説を書こうと頭の中でいくつかの出来事をこねくり回しているうちにシャキンと出来上がった仮想の体験なのだけれど、古今のどんな小説も解き明かすことのなかった「小説なんてものはまったく書かれる必要がない」という秘密を教えてくれた。
 だから僕はその小説を一字も書くことが出来ないのだけれど、真理を知ってしまっても悟りを開けたわけでないので、小説を書きたいという欲望は依然あって、安易に欲望に負けてしまい、書く必要のない小説をこうしてまた書き、そして今、正確にはあと少しで、書き終えるのだ。



Copyright © 2007 曠野反次郎 / 編集: 短編