第55期 #13
「君は何処までいくの?」
総武線快速には、向かい合って座る4人席がある。少年はジャイアンツの野球帽を浅めにかぶり、窓際に座っている僕の正面を陣どっていた。少年の目は遠くの景色を追っているらしく、小刻みには動いていない。日に焼けた精悍な横顔は、少しばかり大人っぽく見える。
「鎌倉」
目は流れる景色を追ったまま、ぶっきらぼうに返答が返ってくる。少しだけ腹立たしく思えたが、どこか憎めない雰囲気をもった少年だった。
「おじさんは?」
この少年から見れば、29になりたての僕も、おじさんと言う部類にカウントされてしまうのだろうか。
「君とおんなじ。鎌倉だよ」
「ふーん」
気のないそぶりで答える少年と初めて目が合った。にこりともしないで、ひざの上に置いたリュックサックの中に手を突っ込み、ごそごそと何かを探しはじめた。取り出したのは、スケッチブックとクレヨンだった。
「おじさん、動かないで。おじさんの顔描いてやるよ。暇だしな」
ずいぶん生意気なガキだと思ったが、僕を静止させる十分な説得力を持っていた。とにかく瞳が大きい。くりくりっとしていて、いつまでも眺めていたくなるような瞳だった。少年は僕の顔をチラッと見ると、スケッチブックに目を落とし、クレヨンをこすりつける。その動作を一定のリズムで繰り返していた。僕も暇だったので時間つぶしには丁度よかった。
「次は鎌倉駅」のアナウンスが、車内に響きわたる。除々に電車の速度は遅くなっていく。
「もう着いちゃうぞ」
「あっ、動かないでって言ったでしょ」
本当に生意気なガキだと思い、モデルを放棄しようと立ちかけたとき、スケッチブックから1枚切り離し、僕に差し出した。
「やるよ」
圧巻だった。とにかく常識をこえているうまさだった。紙の右下には、「kenji」と小さく描かれていた。
電車は停止し、少年は「じゃーね」と言うと、初めてにこりと微笑み、リュックを背負い足速にホームに降りて駆けていってしまった。
僕は少年の背中に「ありがとう!大事にするから」と言い残し、個展会場へと急いだ。今回で7度目の個展開催だった。
会場に着き、自分の作品を見て廻っていると、そこには「kenji」が立ちつくしていた。僕が描いた作品の中で、自らが一番気にいっている油絵をくい入るように見上げていた。
僕は、並んでいる作品の1番はじに「kenji」が描いてくれたスケッチをそっと張り付けた。