第52期 #16

あの日の夕陽は今も

 中学にあがって間もない頃だった。
 昼休みの教室で、誰かが突然に「遠山左衛門尉さま、ご出座ぁ」と言うと、机が合わさり即席のお白洲が作られる。何の打ち合わせもなしに、金さん役、下手人役、同心役、町人役に別れ、「廻船問屋、越後屋。そのほうご禁制の阿片を扱い罪もない町人を誑かし苦しめたことは明白」「これはしたり。お奉行さま、斯様なことを仰せられるからにはなんぞ確かな証拠でもあるのでしょうなぁ」などとやる。配役はその都度違うが、金さん役と下手人役は決まった数名の生徒でローテーションのようになっていて、僕もそのうちの一人だった。机の上から身を乗り出し片肌脱いで、「市中引き回しの上、打首獄門!」とやるのは気持ちよかったし、「この遠山桜を見忘れたとは言わせねぇぞ」と迫られ、大袈裟に驚いてみせるのも楽しかった。

 大学に入り何年かして、中学の同窓会があり、会場へ向かう電車のなかで、級友の一人と一緒になった。何年ぶりだろうか、などしばらく話したあと、話題は今日来ているだろう他の級友たちの話に移った。
「太田祐子がめっちゃ痩せてべっぴんさんになってたらどうする?」
「いや、あの娘はまだふくよかななままやったね」
「ここだけの話やけどな、あの娘にバレンタインのチョコもろてん」
「そうやったんか。いつもうちらの周りにおったんはその所為やったんか」
「『教室に台風が来たよごっこ』とか、『遠山の金さんごっこ』とか色々訳わからんことしてたん飽きもせず見とったよな」
「そうそう、『あんたら見てるだけで楽しいわぁ』ゆうてな」
「そういや寺田のうっちゃん来るかなぁ。成人式には来とらんかったけど」
 そう言うと、相手は急に声をひそめ、周囲を窺うようにして言った。
「お前、知らんかったんか。うっちゃんのおとんが人殺して、うっちゃんとこ夜逃げしたんや」
「え?」
「テレビや新聞にも出とったで。愛人に別な男が出来て刺しよったらしいんや」
 返す言葉に詰まり、窓の外を見た。僕が金さんで、うっちゃんが下手人だったことが確かにあった。ガラス窓の夕陽に染まる街のなかに、机から身を乗り出し嬉々として、「打首獄門!」と言う僕の姿が映り込んでいた。越後屋のうっちゃんは、大仰に顔を顰めてからグニャリと床に崩れ落ちた。それを屍体でも運ぶように同心役の級友が教室の外へと運び出していく。太田祐子が奇麗な声で、「あんたらやっぱおもろいわぁ」と笑っていた。



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