第52期 #15

後ろの背面

 私は独り公園のベンチに座り、唯々夕暮れの圧倒的な橙に染め抜かれていた。
 この橙に、私の胸の不穏な高鳴りを吸い上げて欲しかったのである。
 牢獄の壁を打つ囚人の叫びの様な鼓動は、私が大通りから逃げ出してから止め処なく刻まれていた。
 会社から帰宅する途上で見とめた、車道を挟んだ街路に寄り添う二つの人影が、自然私をそのような臆病の蒼白い闇へと融かしたのであった。
 艶かしく揺らぐ影は、私の最愛の妻のなりをしていた。
 私の度を真に外させたのは、共に揺れていたもう一方の影が私の親友であった、ということであった。
 彼に親愛の情を有し始めたのは、私が未だ虚弱な子供の頃、近所の悪餓鬼から私を守ってくれたからであった。
 一友人として以上に彼の存在を大きく感じていたのは、私の中に在る、強さへの絶対的な憧れのためであったろう。
 その根が差し込まれている灰色の土壌は、幼い頃に父を失ったという経験にほかならない。
 私の父は、母を捨てた。
 それは、父が妾に本腰を入れたためであった。
 女であることを捨てた母のなりが、父を道ならぬ痴情へと走らせたのであった。
 腹の種が芽吹いたのを知って、母は女を捨てて母となった。
 父も母も、子を持つには未だ若く、養うに足る銭の工面も儘ならなかった。 
 この失策は、父が避妊を忘れていたために起きた。
 父にすれば、その非は失念にではなくて、避妊についての経験の無さに拠った。
 父にその経験を強いなかったのは、偏に自身を不能の者と認識していたためであった。
 その誤認は、幼い頃に父が局部へ被った痛撃の所為であった。
 熊ん蜂の鋭い一刺しが火の様な痛みとなって、三日三晩父を責め苛んだ。
 巣を侵す敵として、家の近くに在る鎮守の森で独り遊ぶ巨きな父に、熊ん蜂は果敢に挑んだのである。
 熊ん蜂は兵隊蜂としての剛健な意志でもって、それを為した。
 その忠信の源泉は、情動ではなく、本能である。
 あらゆる存在の行為に関して、情動をその基底に据えさしめるのは、本能の策謀に拠る。
 本能に策謀を強いているのも又、本能である。
 本能は、何者かの仮面を被り何者かの背後に隠れることによって自らの思惑を成し遂げんとする、本能の本能に統御されているのである。

 即ち、全ては本能によって設えられた精神や魂という薄皮の、手触りの塩梅における差異に過ぎない。
 私を浸す橙の海の柔らかさも、痩けた頬を伝う温い涙も又、然り。



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