第47期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 Notice!! キリハラ 809
2 白くなっていく 藤舟 998
3 誰かを好きになるということは…… 佐々原 海 713
4 Tの基準1 ストレンジャー徳治 837
5 街灯はジィィと鳴く exexeb 689
6 とある少女と青年の会話 さきは 145
7 国道 サカヅキイヅミ 1000
8 生きている証 心水 遼 949
9 公園 にんじん 921
10 漂流 藤田岩巻 1000
11 証言者E 公文力 1000
12 ワールドカップ特別お祭り騒ぎ ハンニャ 823
13 擬装☆少女 千字一時物語2 黒田皐月 1000
14 夢を見る世界 藤田竜馬 699
15 旅人 正野京介 1000
16 打擲 しなの 752
17 海 西直 989
18 月の下で qbc 1000
19 ずんずんずん 宇加谷 研一郎 1000
20 旋回 ぼんより 1000
21 僕と幽霊が 振子時計 973
22 擁卵 とむOK 1000
23 アビイロード るるるぶ☆どっぐちゃん 1000
24 再びうんこの話 曠野反次郎 999

#1

Notice!!

 電池切れかけの携帯が正しく動いてくれているなら、こうなってから丸一日が経つ。
 火曜の夕暮れ帰り道、いつもの角を曲がった所で小さな瓶を見つけた。色のない硝子で出来ていて、香水でも入れるような形にカットしてあるエレガントな瓶。私は思わず拾い上げて、ついつい蓋を開けてみた。
 そしたらいきなり風景が歪んで空が遠くなって空き缶が大きくなって、気付けば私の身体はすっぽり硝子瓶に収まっていたのだ。しかも都合良く蓋までされて。
 それから一晩をやるせなく過ごし、通勤サラリーマンを眺めたり猫と睨めっこをしながら時間を潰してきたけど一向に事態は改善しない。硝子は固いし蓋は重いし私のお腹は減るばかり。喉も乾いた。今日もまぶしい夕焼けは、知らん顔してゆらゆら揺れている。
 どういう事ですかこれは。試練?何の?
 そんな不毛な考えを巡らせていたら、曲がり角から彼が現れた。
 ああ、これだ。このための試練だったのだ。私はひもじさも忘れて硝子瓶に感謝した。彼が私を救い出してくれるのね。丁度良くだれた感じのいい男。私の愛の救世主。
 しかし当の彼はなかなか私に気付かない。私が転がる電信柱には目もくれず、車通りなんか観察しちゃって気に入らない。こっちはあなたに一目惚れしちゃったのに。
 ねえ気付いて、私はここよ。あなたの私は足元にいるのよ。
 早く気付いてちょうだいよ。
 通り過ぎてちゃ駄目じゃない。
 愛の印を見落とさないで。
 ていうか無視すんな!
 切れ気味に壁を蹴り飛ばしたら上手いこと瓶が倒れてついでに栓も抜けて私は脱出に成功、その勢いで彼の胸ぐらをつかんで難癖をつけた。ついでに手も握ってやった。

 という事件をきっかけに結婚までこぎつけた私達。けど、硝子瓶の話について彼は一向に信じる気配を見せない。男がロマンチストなんて嘘だ。
 だから私は例の瓶をまだ隠し持っている。次また疑ったら、今度は彼を閉じ込めてやるのだ。ロマンをその身で思い知れ。


#2

白くなっていく

リノリウムの床は真夏だからそこだけ冷えていて、彼女は思わず手の平でなでてしまったが汚いと思ってすぐにズボンで拭いた。しかし白く輝くグラウンドで熱せられた空気が廊下にまた入ってきて、彼女はまた反射的に手をリノリウムで冷やしてしまった。
時代遅れのフェミニズムなのか、この学校は男子は勿論女子も制服がズボンと決まっていた。彼女が入学前に感じた感慨が「てことはスカートの制服を着ることはもうコスプレ以外ないのか」という一般的な女子と全く一緒だったともいえない。彼女は自分の容姿には別に自信はなかったが実は自分の足の形の美しさを密かに自慢にしていたのだった。誰かに直接自慢することでもなかったのだが。だからもちろんどうってこともなく、受験勉強前にそのことに思い当たっても彼女はあえて志望校を変えてようともしなかった。勿論、無意味だと知っていたからだ。しかし余りはっきりとしない決意、学校生活は主に勉強に捧げて文科系女子キャラとして生きるのだ、という指針が入学前にぼんやり浮かんだ。まあ今現在は足が蒸れて気持ち悪いのをうらみに思っているくらいでそんなことは忘れていたけれど。
四回ぐらい床を触ってズボンで拭いてを繰り返してそれじゃあいっそ腕を組んでおいてやろうと思って大げさに胸の前に腕を組んでいたら、先に二者面談が終わった男子生徒が教室から出てきて気まずい思いをした。「三浦君どう成績」だからこれは照れ隠し。「どうって・・英語が史上最低」三浦君は苦笑いしたように見えた。「あらごめんなさい廊下にイス出しておくの忘れてたわ。」と先生。

部室に戻って絵を描いていたら、「どうだった、二者面。」ともう一人しかいない美術部員に話しかけられた。どうって「成績は普通。」「いつもどうり平均以上は余裕でなんでしょつまんない。将来の夢とか聞かれないの?」彼女は窓から見える風景画を水彩で描いていた。単にめんどくさかったからだ。「ううん。文化祭の話とかばっかりだったけど。」地平線を見渡してみると幹線道路の集中しているあたりがかすかに煙って見える。そのあたりから朝は一つもなかった雲が一つ生まれていた。「へー、ていうか夢とかある?」「ふーん。」「別にいいけど。」「あれよ、普通に食べるのに困らなくて適当に楽な生活が夢かも。」「食うのに困らないのは当たり前じゃん。」雲はどんどん大きくなっていってそのうちキャンバスからはみ出した。


#3

誰かを好きになるということは……

「誰かを好きになるということは、素直になることだとは思わないか?」

 どこかで聞いたような言葉。
 しかし、これは間違っていると思う。
 世の中には素直になれない人間が、誰かを好きになることがあるからだ。
 ましてや素直になっちゃいけない時もある。
 それは相手が幼稚園児の時だ……違う。違くないけどこれは違う。
 恋愛対象が血縁者だった場合だ。
 ましてや、これが自分の生みの親だったり、子どもだったりすると大変である。
 まあ、兄妹までは許そう……いや、許しちゃダメだ。これもイケない。
 時として国境を超えた愛なんて聞いたことがある。
 種を超えて愛し合う2人なんてとてもロマンチックだ。
 欧米人種と秋田犬の雑種との恋……とてもロマンチック……いや、これはロマンチックじゃない。むしろ危険だ。
 このように、時として、素直になっちゃいけないことがままあるわけだ。
 でも……『好き』という気持ちを素直に伝えるのは悪いことじゃないと思う。

「ねえ……アンタにちょっと言いたいことがあるんだけど……」
「なんだよ?」
「ア、アタシね……ずっと前からアンタのこと、す、好き……だったんだ……」
「キモっ……お前、キャラ違うぜ」

 ……そう、このように、時として、素直になっちゃいけないことがままあるわけだ。

「あ、アンタってヤツはーーっ! 人がせっかく素直になったのにーっ! バカーーーッ! 大ッ嫌いーーっ!!」
「いたたたたぁ!」
「どーせ、アタシは……やっぱ、アンタなんか大っ嫌い」
「……ふふ、やっぱ、お前はそうじゃなくっちゃな」

 でも、心が通じているなら、別に素直になれなくてもいいんじゃないかな?

 人を好きになるということは、『自分に』素直になることだから。


#4

Tの基準1

今、僕の最も近くに住んでいる友人であり、僕の知っている中でも最も秀でた異常性を持つ男。
今日は、そんなTのことを皆さんに教えよう。

Tの家は四階建てのアパートの三階。八畳のワンルームで家賃五万。学生が遊ぶためだけに借りているラブホテルのような部屋だ。ある日、Tに酒を呑もうと呼ばれた僕。
久しぶりにTに誘われたせいか、Tの異常性を忘れていた僕は油断していた。僕は罠にはめられた小動物のようになってしまった。部屋に入ると目に入ってきた光景が漫画かテレビの中の世界だったのだ。
家の中には新しい大黒柱になろうとしているのではないかと思わせる勢いで、初夏の筍でも尻込みしてしまいそうな勢いで積み上げられている新聞。
天井からわずか30cmの隙間に作られたベット。そのベットから落ち、吐血したにもかかわらず二度寝したために二度と無くならない怨念のように残った血痕。
床が汚れるのが嫌なのか、今にも腐りそうな、いや、腐っているであろうダンボールを床に敷き詰め、それが汚れればその上にまた新しいダンボールが敷き詰めてある。
そして、服がない。この男がワンクールを同じ服で過ごすという意味のない精神修行をしていることを忘れていた。そのくせ靴下だけは毎日変えてやがる。
この男に新聞やベットがいるのかと疑問を持ちながらもこの部屋の汚さと、靴下だけは変えるそのTの妙な神経質な部分に部屋に入った瞬間から僕の頭はスパーク寸前。握り拳から血がしたたる。いきなり帰るわけにもいかない。こんなときは酒の力に頼り、酔って忘れるしかあるめぇ。
僕はアルコールに対してだけタンクローリーのような性能を発揮する自分の胃袋&肝臓に酒を流し込みまくった、酔いもかなり進んで来たところでTに尋ねた。
「こんな汚い部屋によく暮らせるな。」そのストレートな意見にTは何のこともない無邪気な子供のような顔で僕を見て答えた。
「うんこよりキレイ。」
お前の判断そこっ!!?
ありえない衛生基準を持ちながらも純粋な子供の心を持つ男T。

次回、Tの恋愛。


#5

街灯はジィィと鳴く

「ごめん、別れようよ」

西日が差し込んで赤茶色になってる放課後の廊下で、彼女は急に言い出したんだ。
「え?」
そのまんまの意味しかない。そのまんまの意味しか取れない必要最小限の言葉なのに、僕は聞き返してた。
だって、大好きな彼女と、大好きな放課後のゆっくりとした時間の中で話していたんだ。
窓枠一つ分のスペースから、二人で手すりに持たれて外を見る。少しだけ声は小さくして話す。
6時限目の英語で、僕の隣の席の唐沢が居眠りしてたら先生にひっぱたかれて・・・・くだらないことで、二人してくすくす笑いあう。でも笑い終わったら、急に彼女は言ったんだ。

「うん、別れようよ。そのほうがいいと思うんだ。」

聞き返した僕に、説得と念押しをまぜこぜにしたような、こちらの考えが変わることはありません、って優しく決断をせまる弁護士のような言い方で繰り返したんだ。

そこに選択の余地はなく。

いつもなら、校門を出てまっすぐ。彼女の家まで僕は彼女を送る。だけど今日は「今日はここでいいよ。一人で帰れるから」だって。そんなの僕だって分かってる。当たり前だろ?僕ら17なんだよ?帰れるなんて知ってるんだよ。
僕が知らないのは、なんで別れたほうがいいなんて君が考えたか。それだけ。

「じゃあ」ってお互い右手を上げて、僕は校門を出て右。家までまっすぐ自転車こいで。寄り道はしない。MDから流れる曲を、サビだけ一緒に歌う。

自転車置き場に自転車置いて、イヤホンを外して、少し汗ばんでるな。気づかないうちにいつもより急ぎ気味だった。そのときちょうど、街灯がつく6時。急に明るくなった自転車置き場で、僕は初めて気づいた。

街灯はジィィと鳴く。


#6

とある少女と青年の会話

「何かを信じることができればいいのに」
膝を抱えて座りこんでいる少女が、ほんの少しだけ唇を尖らせつつそんなことを言った。すると、少女の傍らに立っていた青年がひとつ頷く。
そして青年は少女にこんなことを言った。

「要するに、君は自分が何も信じられないであろうということを信じているのだね」

と。


#7

国道

 鬱蒼と茂る森をのろのろと這いながら、国道は何処までも続いている。
 運転席のセロが煙草の吸殻を無造作にウインドウから放り投げた。この国道に入ってからもう何本目だろう。そしてその間、私達はただの一台の自動車とも擦れ違っていない。この道はどこまで続いているのか。この道を走り続けることで、我々はどこかに辿りつく事が出来るのだろうか――そんな疑念が脳裏を掠めた。
 縛られて鬱血した手首を想像する。血流は途絶え、代謝は停止し、生命活動は停滞していく。この世界の中にもそういう何処にも行き着くことのない「見捨てられた場所」が存在するはずだ。ここがそうなのかもしれない。
 途中、乱暴な運転でセロが車を止めた。何事かとセロに問えば、近くに電話ボックスがあるから伝言を受け取って来いと言う。午後五時丁度に電話が鳴る、お前は受話器を取れ、セロはそう言った。釈然としないものがあったが私は車を降り、電話ボックスへと向かう。
 電話ボックスの外装はぼろぼろに壊されていた。硝子が割れ、フレームが歪んでいた。肝心の電話はちゃんと機能するのだろうか。そう思った瞬間にけたたましく電話が鳴った。受話器を取る。
 (もしもし)メモのご用意はありますか。(はい)それでは以下のメッセージを書き写してください。三番地には支給の途絶えた自販機があって、中には流産した胎児がぐちゃぐちゃに詰まっています。アパルトメントの老人に勧められても、そこでジュースを買ってはいけません。
 恐らくは暗号であろう、その意図の読めないメッセージをメモし終わると、受話器ががたりと呟いた。ずるずると伸びた電話線の向こう、ねっとりとした暗闇の中に立つ誰かが、唐突に受話器を下ろしたのだ。

 車に戻った私がセロにメッセージを見せると、セロは皮肉っぽい笑みを浮かべた。なあお前、これから何処に行くか知っているか? そうセロは尋ねてくる。私が答える前に彼は回答を口にした。月光治療だ、お前は月光治療を受けに行くんだ。永遠に朝の来ない僧院で、月の光と点滴だけで暮らすのさ。
 私は右腕の包帯を取り、傷口に植えた眼球草を眺めた。根の張り方が弱いから、冬を待たず枯れるだろう。セロがギアを上げた。対向車線上にズダズダに引き裂かれたオルガンがあって、セロは少しもブレーキを踏むことなく、トップギアでそれと擦れ違う。鬱蒼と両脇から迫る森に未だ呑まれる事なく、細い国道は続いている。


#8

生きている証

 手のひらを畳の上に押しつけ、甲のあたりをアイスピックで貫通させた。あまりの激痛に、顔は歪み声も出ない。鮮血はあふれ、畳は赤黒く染まる。流れている! 鮮血を見ることで、自分の「生」を確認する。
 僕のリストカットは次第にエスカレートしていて、ここまでしなければ最近は満足できない。すでに左腕はポンコツになっていた。半袖などまず無理で、手袋は欠かせない。左手の甲はボコボコで、筋を痛めたせいか指さえろくに動かない。それでも神経症はおそいかかってくる。「自分の生を確認せよ」。いつからだろう?
 クラスに過食症の女の子がいた。夜中家族が寝静まると、隠しておいたお菓子やケーキをとにかく気持ちが悪くなるまで食べ続け、限界になったところで右手の中指を喉の奥深くまで突っ込み、一気に吐き出すと言っていた。それをすることで、彼女の日常はかろうじて守られていた。彼女はいつも青白い顔をしていて、不自然なくらい痩せていた。転校してしまったが、恐らく今も食べ続けているに違いない。
 そのたぐいの話は無縁と思っていた僕が、こうなってしまったのはきっとあの「夢」が原因なのかもしれない。
 僕の血管には無数の穴があいていて、血液が漏れて、どんどん身体は紫色になっていく。そして僕は、ミイラになって死んでしまう。
 僕はとび起きると、乱れた呼吸で自分の手のひらを眺めた。
「夢? 嫌な夢だ」
 僕はすぐ布団にもぐったが、血液は正常に流れている? という衝動にかられて、母の化粧用カッターで初めて左手首を切った。鮮血があふれ出て安心したのをはっきりと記憶している。
 習慣性とは恐ろしい。
 今朝、同じクラスの斉藤が、もし僕に何かあったらこの手紙を読んでくれと、一通の手紙をよこした。僕は以前、彼から相談を受けたことがあった。彼はネクロフォビアで、日々心臓停止を恐れ、色々な手段で「生」の証を求めていた。
 そして、手紙をくれた夜に彼は自殺した。
 手紙を開ける。
『中井、僕は死んでしまっただろ? だから、さっきまでは生きていたってことだよな。だから僕は生きていたよな』
 究極の証だった。猛烈なショックだった。
 僕は、その夜から自分の鮮血を見ることはなくなった。斉藤に究極の証の結果を伝えに行くために。そして、リストカットとさよならするために。


#9

公園

物憂げなハンカチが春の終わりに漂う公園。
羽野音そよかは学校からの帰り道、必ずこの公園を横切って帰る。
力なく揺れるブランコの音。
栄枯盛衰の歴史を感じる砂場。
ジャングルジムの下に残った雑草。
片側に透明人間が座っているシーソー。
「ペンキ塗りたて」と落書きされた古いベンチ。
いつもと変わらない公園の風景。
そよかは一度足を止めて、異常なしっ、と呟く。
そのまま公園を出ようとして、後ろから誰かに呼び止められる。
「これ、落としましたよ」
後ろを振り返ると、男の子がカードのようなものをこちらに差し出していた。
年は同じくらいだろうか。緑の縁の眼鏡をしている。
「あ、どうも……」
私はカードを受け取ったが、知らないものだった。
「えっと、これ、あの……私のじゃないです」
私は男の子にカードを返す。
「あ、これ、僕のカードだ」
男の子はくくくっと嬉しそうに笑う。
「え?」
「拾ってくれたお礼に、このカードの秘密を教えてあげる」
男の子は左目を閉じて、楽しそうに言う。
「私が拾ったんじゃないけど……」
「あそこに電話ボックスがあるでしょ? そこの電話にこのカードを入れるんだ」
「うん」
「そしてこの番号に電話をかける」
男の子はポケットから、四つに折りたたまれた紙切れを出す。
「うん」
「そうするとね。くくく」
「うん」
「あ、きみ、やってみる?」
「え? どこにかかるの?」
「いいから、ほら」
男の子は私にカードと番号の書かれた紙切れを握らせる。
私は男の子のほうを気にしながら、電話ボックスに入る。
言われた通りに、カードを入れて番号を押す。
呼び出し音が5回なったところで、向こうにつながる。
「もしもし」
「もしもし」
「羽野音そよかです」
「私なの?」
「私なの?」
「私なのね」
「そうみたい」
「うそみたい」
「ほんとだね」
それから私は私と私について話した。
男の子はこちらを見てくくくっと笑っていた。
「もうすぐ切れるみたい」
「そう」
「じゃあね」
「またね」
受話器を置く。
カードは戻ってこなかった。
私は電話ボックスから出る。
風に乗ったハンカチが目の前を横切る。
男の子の姿はもうそこにはない。
ぐるりと公園を見渡す。
異常なしっ、と呟いて、くくくっと笑ってみる。
緑色の風が、すべり台を通って、私の髪をそっと揺らす。


#10

漂流

 俺と、俺のゴムボート。俺のオール。太陽と、海。それしかいない、俺の世界。
 このまま、死んじまうんだろうか。流されて、誰知らぬ水の上で、独りで。焼け付いて、渇いて、独りで。じりじりと、じりじりと、太陽が鳴るようだ。ボートを撫でる水音以外は、一切が陽光の中に溶けてしまった。波に揺れる、俺の体。小さな俺の、ゴムボート。オールを握る。水の手応え。どこに向かって? 太陽。俺を弄ぶ。太陽。
 夏が好きだ。俺は、夏の中で、死ねるんだろうか。
 太陽神は、何処に行っても男だが、俺にとっちゃ夏の太陽は、いい女みたいな存在だ。こうして一対一でいると、よく分る。
 じりじりと、俺を焼く。彼女は笑って俺を焼き、俺が手を伸ばすと、届かない。高笑いが聞こえるようだ。俺は腹の底から彼女を物にしたいと望む。彼女は指先で俺と戯れる。
 彼女が疎いと、彼女が憎いと、雲を投げつけて帰れと怒鳴ると、俺の前から姿を消すこともあるだろう。そのくせしばらく顔を見ないと、俺は堪らなく彼女が欲しくなる。
 裸になれば汗すら心地良い。俺は汗だくになって彼女を求め、彼女は俺に汗をかかせる。照りつける。俺の肌を焼く。俺の血をたぎらせる。俺の体温を高める。俺をへとへとにさせる。お前は笑う。眩しすぎて目が開けられない。お前の温度を感じる。お前の熱の高まりを。
 あああ。太陽。俺はお前が欲しい。俺はお前の物だ。俺を焼いてくれ。俺を受け取ってくれ。お前を俺の物にすることなど、できはしない。お前は空の真中で、そんな小さななりをして、その癖ここらの星の中じゃ一番でかいんだから。そんなお前が好きだ。俺を焼いてくれ。お前の物にしちまってくれ。お前と一緒になりたいんだ。俺をお前の中に入れさせてくれ。気持ちよく、なれるぜ。苦しいのはちょっとだけだ。苦しむのは俺だけだ。お前は、俺を、焼いてくれればいい。
 地面の事なんか、お前は気にしないでいい。ここもあそこも、たいした違いはない。何も見えず、誰にも頼れず、何処へもたどり着かず、独り、さすらう。たいした違いはない。ただ、人間共が俺達の間を邪魔するか、しないか、それだけの違い。もう、やつらには、うんざりなんだ。
 意識が遠くなるようだ。直射光、飲む水はなし。こいつはいい。大して苦しまずに、お前の所に行けそうだ。太陽。お前は、俺を、焼いてくれればいい。

 あれは、陸地? 太陽、今のは嘘だ。俺は漕がなきゃならない。


#11

証言者E

 証言者A
全然クラスでは目立たない存在でしたね。髪もいつもボサボサであんまり近寄りたくないタイプっていうのかな。体育祭のフォークダンスの時に爪垢が溜まっているのを見て凄く嫌だった記憶があります。友達もいなかったんじゃないかと思いますね。
 証言者B
 学校をよくズル休みする子でしたね。月曜日の朝になると必ずお腹が痛くなるとか適当な理由をつけていつも休んでいました。(当時の私の家が)彼女の家の近所だったもので毎週いつも私が宿題なんかを届けていました。いじめって訳ではないけれどそういう感じの嫌がらせは受けてたみたいですね、彼女すごく陰気な感じだったから。
 証言者C
 小学校の時の理科の実験の時間だったかな。カエルの解剖をしていたんです。まずはカエルに麻酔をかけるんですけど彼女は先生の言った通りにやらずに麻酔をかける振りだけしてメスを入れたんです。彼女が一応班長みたいなことをしてたから僕らは何も言いませんでしたけどね。あの時の彼女は今思い出しても何か恐ろしかったですね。
 証言者D
 あんなに暗かったのに高校に入ってヤンキーと付き合いだしてから彼女変わったね。髪の毛の色も真っ金金に染めてたし。きっと自分の過去帳消しにしたかったんじゃないのかな。色んな男連れて歩いているのを街でよく見かけたし。今思うと彼女寂しかったんじゃないかな。両親早くから離婚してたみたいだし。
 僕は長時間に渡る証言者達の映像を見ながら加工修整を施していく。モザイクを入れたり音声を変えたりしていくと証言者達は皆一様にすっかり匿名性を帯びた立派な世間様に成変わる。
〈証言者A〉フォークダンスで手を繋がれたくなかったのはお前だよ。
〈証言者B〉彼女はお前の後釜を担ったんだよ。お前を親友として庇ったから。
〈証言者C〉アヒルの嘴に爆竹を巻いて点火したお前。
〈証言者D〉彼女を興味本位で男たちに回させたのはお前だよ。
 僕はモニターを見つめながら毒付く。僕も彼女と同じで故郷を捨てた一人だ。季節外れのどしゃ降りの雨の日に彼女は僕を傘に入れてくれた。何も話さなかったけれど僕はあの時の彼女の微笑みを今でも忘れていない。僕がこの作業を終えて何の意味もない阿呆な奥様相手の一時の娯楽映像がテレビで放映されているのを見てきっと田舎から一歩も外に出たことのない証言者達はこれボカシ入ってるけど俺、これ私と話に花を咲かせ安酒でもかっ喰らうことだろう。


#12

ワールドカップ特別お祭り騒ぎ

 2ヶ月ぶりに集合がかかった。土砂降りの雨のなか、数百匹のたぬきたちが山を降り、富士のすそ野へと集結したのである。その際、各自お気に入りの60年代ロックを歌っている。いったいこの関東のどこにこれほど熱いたぬきたちが潜んでいたというのか。関東の山という山の木々が風にゆれ、またたくまに集結が完了した。ここで一旦お昼休憩をはさみ、貫禄十分、たぬきの長は話しはじめた。
「いま、スニーカーを履いていないたぬき、帰ってよし!」
長は、途中まで目をつむっていたが、「帰ってよし」のところで目を見開いた。この演出力にたぬきたちはたじろいた。
「長! なぜですか。スニーカーを入手することができないたぬきも少なくありません。人間の持ち物を手に入れること自体、たぬきには難しいことです。」
「難易度Aです!」
長は、杖をくるりとまわし、頭をしばきやすいように持ち替えた。
「今、発言したたぬき、一歩前へ出なさい。」
「絶対痛いから無理です。」
長は杖をもう一度くるりとまわした。
「じゃあいいや。」
長は杖をおさめた。
「長! ブーツは可ですか!」
「ブーツはOKじゃあい!」
長の右腕として活躍するたぬきが叫んだ。一瞬遅れて長も「ブーツはOKじゃあい!」と叫んだ。また長は続けた。
「サマソニ’05Tシャツを着ていないたぬき、おまえらも帰ってよし!」
「長! 一昨年のサマソニTシャツは可ですか!」
「一昨年でギリ」
長はしばし間をあけた。帰っていくたぬきは一匹もいなかった。
「…はい。いま、ここに残ることができているたぬき、厳しい条件を満たしここに立っているたぬき、自身を持ちなさい。きみたちは本物だ。本物のギタリストだ。そして、ひとつだけ言っておきたいことがある。今回、あつまってもらった目的は、とくになし!」

うおおおおおおおおおおおお

たぬきたちの雄たけびが海とか山とかを奮わせた。
「やったぜーい! 特に意味なしだー!
「おれたち、意味なしだぜ!」


#13

擬装☆少女 千字一時物語2

 たまには外でこうして何もしない時間を過ごしてみるのも良いものである。
 駅前広場でちょっと可愛い子を発見。
 花柄模様以外の飾りのない淡い青のゆったりしたカットソーワンピースの上に水色の半袖パーカーを羽織って、人通りの中で一人だけ立ち止まってきょろきょろしている。ちらっと腕時計を見た。あのスポーツウォッチはちょっと取り合わせが良くないかも。それから急に歩き出した。あれ、歩き方が何か変。
 あの子、男の子だ。でも、結構可愛い。その証明というわけではないが、これだけ大勢歩いていても、誰もあの子のことを嫌悪の目で見ていない。もしかすると、誰も気づいていないのかもしれない。顔立ちも体つきも丸っこいし、肩にかからない程度の髪も付け毛ではないようである。あの子からは違和感は認められない。
 誰かを待っているのかと思ったが、そうではなかった。小一時間くらい広場の中を動いたり立ち止まったりしていたが、もう一度時計を見て、それから突然に駅前商店街の方に移動していった。洋品店の店先を覘いては、中には入らずにまた移動する。店に入るのには抵抗があるのだろうか。そう思うとさらに可愛く思えた。そのうち、意を決したのか、一軒の店に入っていった。
 目当てのものを見つけてから入ったのだろう、すぐに入口近くのレジに現れた。パーカーのポケットから財布を取り出して支払いをしている。それから、小さなかごバッグを下げて出てきた。時間がかかっていると思ったら、すぐに使うから袋は必要ないことを話していたらしい。確かに、ポケットを膨らませているよりはずっと良い。
 それからファーストフード店に入った。ちょうど空いていたテラス席に、ジュースだけを持ってきて座った。買ったばかりでよほど大事にしたいのだろう、膝の上にバッグを乗せている。気疲れしたのか、時折大きく肩で息をして、時間をかけてジュースを啜っている。それでは足りないのか、コップのふたを外して氷をいくつか口の中に入れたのにはちょっと笑えた。
 そろそろ声をかけてみようか。
「ねえ、君」
 もうすぐ行こうかとしていたところに、テーブルの向かい側に立って声をかける。わずかに怯えた様子を見せたが、それはすぐに隠されて、いぶかしむような表情を向けられた。
「いろいろ教えてあげようと思って」
 先輩として後進の指導はきちんとしなければ、ね。私は微笑みかけて、まずは可愛いところを褒めてあげた。


#14

夢を見る世界

テレビで現代の若者についてのニュースが流れた。
ボクは一人、白で統一された殺風景な自室で、年代モノのテレビのダイヤルをカタカタと回す
テレビから流れるニュースに別段に気に留めるわけでもなく

流し目で映像を捉える。

最初に映ったのは小太りの男
話し方からして批評家だろうか。
年の頃なら45を超えたぐらいの小太りの男は
テレビの前に居る視聴者に向けて、我に正義が有りという態度でこう言った

「今の若者は夢を見なさ過ぎる。だから、二次元の世界に入ろうとするのだ」

批評家の発言は非常に癇に障る。
別に自分が二次元を愛しているわけではない。
別に自分が二次元を愛している者の味方をするわけではない。

では何故、癇に障ったのか。
既に別のニュースを読み上げているキャスターを尻目に
ボクは自分に問いかけて、一人で癇に障った原因を探る

テレビのキャスターが新しいニュースを取り上げる
新しいニュースは、幼き親が子供を殺すといった
凄惨かつ惨い話だが、今の世の中では極普通の事だった。

故に現代のボクでは心は動かされない。
キャスターがニュースを読み上げ終え、批評家がまた発言をするのを聞く

「最近の親は精神的に幼すぎる。我々を見習って欲しいものですな」

小太りの評論家が、自分が大人の手本であるように
胸を張りながら述べるを快く思わなかったボクは、その場でテレビを切った。

刹那、ようやく癇に障った答えが導き出された。

「この人達は夢を見れる時代の人。
 ボクらは夢を見れない、夢を知らない……
 だからこそ、仮想である世界に……夢を見れる世界に行きたいと考えているんだ」

誰に言うわけでもなく
自室で呟きながら、目の前に広がる小さな世界をボクは夢を探しに旅立った


#15

旅人

酒を飲みながらアイツが言った。

僕は『楽園』を目指すよ。

俺は笑った。

いきなり素っ頓狂なことを言いだすな。

いや、僕はずっと考えてたのさ。
けれど実行する勇気が無かった。だから言えなかったし、できなかった。
でも、気づいたんだ。行かなくちゃ何も変わらないって。
僕は行くよ。だから、今日でお別れだ。

おいおい、何を言い出すんだ。もう酔っちまったのか?
そもそも『楽園』ってなんだ?俺は全く分からんぞ。

『楽園』は君も知ってるはずだ。
…これが地図さ。僕はやっと見つけたんだ。

地図?これが?子供の落書きにしか見えんぞ。
どうした、何か悩みでもあるのか?俺でよかったら相談に乗るぞ。

僕は行く。だから、今日でお別れなんだ。

何を言っている?訳が分からない。

お別れなんだ。

何を…。

君はもう忘れてしまったのか?

……。
なんなのか分からんが、そんなものがある訳無い。考え直せ。

かもしれない。けれど僕は地図を手に入れた。『楽園』を思い出した。
探しに行く。これはチャンスなんだ。

…それは、今の生活を捨ててでも手にすべきチャンスなのか?

もう諦めたくないんだ。

…俺はどうなる?…お前がいなくなってどうすればいいんだ?
お前は俺を失っても、それでも行くのか…?

すまない。けれど。

俺たちは、俺たちはずっと一緒にいたじゃないか!



俺はいつのまにか泣いていた。泣きながら叫んでいた。アイツに行くなと何度も繰り返していた。

それを見ながら、アイツは寂しそうに、けれどしっかりと何度も繰り返していた。



すまない、それでも、僕は―――。



目が覚めると、アイツはいなくなっていた。

……そうか……、行っちまったのか。
…マスター、アイツいつ出てったんだ?

アイツ?アイツって誰です?あんた、ずっと一人で飲んでたじゃないか。

…え?何を言っているんだ?アイツはずっと俺の隣で…。
……名前……、そういえば、アイツの名前、なんだっけ…?

俺は落ち着かなくなって辺りを見回すと、足元に紙切れが落ちているのを見つけた。

これは…、アイツの地図…?

拾い上げて見てみると、やはりそれは俺には子供の落書きにしか見えなかった。

けれども、どこか懐かしくて、しかし、何故なのかは思い出せなくて

俺はまたいつのまにか泣いていた。何かを洗い流すように。何かを埋め合わせるように。



『楽園』なんてある訳ない。そんなものがあるはずない。

けれど、アイツの名前は…一体なんだった?



テーブルの上では汚い地図が鈍く光っていた。


#16

打擲

 あっ! 痛いなあ……。
 目から盛大に火花が出た。何かに思い切り頭をぶっつけたらしい。いや、何かに叩かれたみたいでもあるな。
 一体何だ。頭だよ。……それはわかっている。何かから這い出して、頭をぶっつけたのか? 待てよ……待てよ、確か自分は……そうだった、母の胎内に戻ったのだった。その後、細胞合体を繰り返して、卵巣の中へ埋没した。それがなぜ、どこかから、又出てこなくてはならないんだ。

 何か、やわらかい穴だったな。膣みたいな。いやいや、それは子宮にたどり着いたときの記憶じゃないか。子宮に吸い込まれていく、あの記憶と混同しているのではないか。あの、安堵感とやすらぎ……。子宮に収まって、羊水に浮かんだときの、あの幸福感。上方から響いてくる母の心音は天上の音楽だったな。何かこんがらかっているのか。しかし、やわらかい圧迫を経て、何かにいきなり叩かれた。

 何かが見える。……ということは、目はあるってことか。
あの女の子、どこかで見たことがある。母の小さい頃の写真だ。しかし、母がこんな粗末な着物を着ていたとは。それに、電灯もない。
 それは、祖母の幼いときなのだった。痛っ! また……痛ああ。これは……だれかがひっぱたいているのだ。

 いろりに掛けられた鉄鍋の中では、蕎麦と芋と菜っ葉が煮込まれていた。それがお椀に取り分けられ、幼い祖母に渡された。老いた祖母は蕎麦を嫌っていて決して食べなかったが、幼い祖母は大きな箸を右手に握って食べていた。祖母の祖母と、両親と、姉弟たちと一緒に、幼い祖母は、いろりのまわりに座っていた。真っ黒にすすけた柱の間を、青みを帯びた煙が上がっていった。

 痛い! まただよ。痛……。
 そうか……わたしにはやっと打擲の意味がわかった。
父母未生以前の自己……その存在を悟れということなのだ。


#17

海

 瓶詰めにされていた二つの目は、朝のまだ冷たい海に放たれ、しばらく波打ち際で砂や小石と戯れていたが、やがて離岸流につかまり沖へと繰り出す。海は穏やかで波は低く、二つの目は寄り添うように競うように陸から遠ざかる。
 糸くずのような視神経は二つの目を繋げてはいない。目はそれぞれで自由に遊び、揺らぎ、漂っているのだが、互いの姿が見える距離を保っている。
 朝日が昇り始める。潮は日の昇る方角に流れている。船が目の北側、遥か向こうをゆっくりと渡り、やがて小さくなりその姿を消す。遠い船がどの程度の大きさだったのか、目にはわからない。知るすべもない。空は青く、僅かばかりの雲が西の空を彩っている。
 二つの目は海の上で楽しそうに回転する。東を向いていたはずの目はふと空を見上げ、遠く離れた陸の方角を望んだあと、深い海に魅入り、その青に恐怖し、また昇りかけの太陽を網膜に焼きつける。一つが回転して止まる。すると今度はもう一つが回り始める。繰り返し繰り返し、目は気の済むまで回り続ける。くるくると遊び続ける。二つの目は、ここには自分達しかいないことを知っている。
 何日も漂う。目は遊びにも飽きて、今はただ流されていく先を見つめている。陽が何度も網膜を焼く。何もない日々を何もなく過ごす。やがて仄かに陸が恋しくなってきたころ、ほんの僅かな位置の違いにより、今まで一緒に旅を続けてきた二つは一つずつになる。一つはそのまま朝日が昇る方角に向かい、もう一つは対流が作る渦にのみ込まれる。渦から吐き出されたとき、もう一つは、朝日よりも少しだけ南の方角に向かうことになった。
 少しずつ互いが離れていくことを知り、まさしく自分の半身を失うことを知り、目は悲しいような寂しいような、それでいてどこか晴れやかな気持ちにもなる。変わることのなかった日常が変わる。しかし、それで良いのだろうと思う自分がいる。漂っていた長い時間の中で、いつかくるだろうと覚悟し、そして期待もしていたことを、二つの目は自然と受け入れた。
 いずれ目は腐るか、溶けるか、あるいは魚の餌になるだろう。何もない海だから、それは避けられないことだ。
 できれば魚に食われるのが良いな、と二つの目は同じことを考える。迫りくる魚の口を見つめながら最期を迎える。想像したそれは、まるで古臭いホラー映画のワンシーンのようで、目はうっとりと愉悦の色を滲ませた。


#18

月の下で

(この作品は削除されました)


#19

ずんずんずん

<今日も私はずんずん歩いた。昨日もずんずん行ったし、明日もずんずん走るつもりでいる。私ってばずんずん、ずんずん、ずんずんなのよ>

「この文章だけを、毎日ブログに書いてくれないか。そういう実験なんだ。キーボードを叩くのが面倒だったらコピーペーストを使ってもいい。古田さん、頼むよ」

「なに、それ。毎日同じこと書くの? なんか頭おかしそうじゃない? ま、いいけどさ。これって役にたつの?」

「ああ。少なくとも俺の研究には大事なんだ。古田さん、お願いだよ」

「わかったってば。毎日書けばいいのね? でもあんたさあ、久しぶりに会ったのに強引じゃない?」

「すまん」

「いつまで?」

「わからない」

「このアドレスでいいのね?」

古田智子は大学時代の友人に協力することにした。指定されたアドレスに日記を開設し、早速<今日も私はずんずん歩い……>と打ち込む。研究の意図はわからないけれど個人情報は書いていないので気楽だった。その翌日も次の日も忘れずに続け、やがて一ヶ月が過ぎた。その間に友人から連絡はない。

(勝手なひと!)

古田は一度電話してみたが繋がらなかった。送ったメールも届かない。

(このずんずん日記、どうしよう?)

古田は迷ったけれど続けることにした。続けた理由の一つは「ずんずん日記」に読者がいることをアクセス解析ツールで知ったからだ。数は少ないが自分を除く二人の人間が「ずんずん日記」を毎日開いていた。ときには10人以上のアクセスの日もある。

(毎日おんなじことしか書いてないのにどうしてこんな日記読むの?)

三ヶ月が過ぎ、一年たった。古田自身は勤め先で事務をこなし、仕事が終わると誰彼に誘われて飲みにでる。その生活はここ数年変わらなかったが、どんなに酔いが回ろうとも、男の部屋に泊まる日も、携帯電話から「ずんずん日記」を更新することは忘れなかった。

四年目のある日、古田は富山県の山で遭難した。富山は庭だから、と男の誘いにのったわけだが彼は全くの方向音痴ときて、二人して山に置き去りにされた。携帯電話に電波が入らない。男は泣きそうだったが古田は「ずんずん日記」が更新できないことしか考えていなかった。

「ごめん、智子さんどうしようか」
「ずんずん行くしかない」
「どこへ」
「どこへでも。ずんずん走るのよ。私はいつもそうしてきたんだから」

まもなく道路に出て無事に帰りついた二人は結婚した。古田は今はもう「ずんずん日記」をつけていない。


#20

旋回

 海岸線を走る。ひた走る。風が吹く。頬撫でる。オープンカーとはいかないけれど。
 小雨の中FMを聴きながら、海を横目に見ながら時折お茶も飲みながら、約束を思い出す。潮干狩りに行こう、今が時期だからね。数日前に自分で言ったくせにちっともきちんとした計画を立てようとしないから、私が下見に行く事にしたんだった。海は穏かで、遠く沖に一隻、船が揺蕩っている。
 FMから流れるポップスはがちゃがちゃとやかましくて、何を歌っているのかわからない。対向車のデコトラも騒々しい。もうさっきから何台の冷凍車が私の右を通り過ぎたか。ぺちゃんと潰されてしまいそうなデコトラの圧力。いっそ潰してくれればいい。奇跡的にスポーツカーのように変形を遂げて、ありふれすぎにありふれたセダンがこの海にマッチするかもしれない。本当はビクついているのだけれど、そんな風に考えないと車の一つも運転なんて出来やしなくなっているのだけれど。
 約束なんてしてしまうから、だ。約束の朝に私はあなたの大好物だったフレンチトーストを二枚焼いた。食塩を微量にまぶし、グァテマラ産だのコロンビア産だののストレートで、苦味の強いユーロスタイルを嗜みながら読めない経済新聞片手に、ああ、いけないいけない、堤防にまたこすりそうになったわ、そうそう、そうやって美味しそうにほうばっていた。今思えば憎らしいわ。あのフレンチトーストはせいぜい72点がいいところなのに、出てきた言葉が潮干狩りだなんて。
 まだ外は明るい。明るいが、生憎の天気のせいで太陽はその影さえ行方知れずだ。この広く、白く、長く、重い空に、その姿を捉えるのは容易じゃない。ちょっとちょっと、危ないじゃないの、何考えてんのよ今のワンボックス。カーブだってこと頭に入れておきなさいよ、私まで死んだらどう責任とってくれるのよ、もう。あ、でも私も今上向いてたから一概に相手のせいにはできないわね。
 FMの耳障りなポップスが緩やかなクラッシックになって、5時間が過ぎた。競艇で言えば1マークどころか2マークも回って、3周以上走っている。ぐるぐるぐるぐる旋回している。思考も時間も放つ言葉も、脳裏に浮かぶ約束の日のフレンチトーストも、ぐるぐる、ぐるぐる、と。スタートは抜群だったのにこれじゃあ転覆なんかと変わらないわ。なんならフライングしてたのかしら。
 お茶が切れたみたい。窓からポイ捨てごめんなさい。さようなら。


#21

僕と幽霊が

 研究職を志して五年。友達も作らずにひたすら地道な勉強を重ねて、やっとの思いで東京の大学に受かって上京した僕が今住んでいる古いアパートの二階左端の部屋の隣には幽霊が住んでいた。
 そのすぐ後、ちゃんと足の付いている人間が引っ越してきて、泣く泣く部屋を追い出された幽霊は何故か僕の部屋に住み着きました。
 こうして僕と幽霊の同居生活が始まりました。

「うらめしいよ〜」
「はいだめ!もう一回」
「う、うらめしいよ〜」
「何度言ったら分かるの、この、無能、足無し!」
「ちょ、足無しって、おま」
「口答えしない!もっと恨み妬みその他万象を抉り込む感じで」
「う〜ら〜」
「全っ然ダム!スタッピドバスタード!ファッキン!」
「そ〜んな〜」
 隣人が引越してきて以来、僕と幽霊は何故だか特訓をしていた。何の特訓かと言うと、これが馬鹿な話なのだが、人を脅かす特訓なんだ。驚かす、ではなく脅かす。つまり隣人を脅かして、恐怖で支配して、ゆくゆくは出て行ってもらおうという作戦だ。
「やっぱり無理だお」
「お前が言うな、馬鹿、言いだしっぺが」
「正直すまんかった、今は反省している」
 赤子のするハイハイのような姿勢で幽霊は何か訳の分からないことを口にした。
「じゃあ、出てけ」
「ちょっ、無理、把握した」
「どっちだよ」
 こんな感じで特訓は上手く行っていない。何といっても本人にやる気が感じられない。
「いや、俺的には住めればどこでもいいし」
「女の子が俺とか言うな、ていうか僕は迷惑だ」
「いいじゃん死んでるし?新ジャンル『シンデレ』べ、別に供養なんかいらないんだからね」
 本気でお祓いとか頼んだ方がいいのかもしれない。玄関に塩を撒いてみたが、あれは中に入れないだけで元々居るやつには効果がないんだと。本人が言っていた。

 そんな生活にも慣れてきた頃。僕は地元のそういう方面に詳しかった友人に、何とかならないものか、と電話で相談をしてみた。
「いや、嘘でしょ」
「へ?」
「だって君、友達居ないじゃん」
「ああ、うん」
 畳敷きの六畳一間ボロアパートの一室がやけに広く感じた。
「大丈夫、君にはびっぱーがついているお!」
 そう言って彼女は隣の部屋へ消えた。何でも、こっそりと隣のパソコンを使わせて貰っているらしい。僕は急いで玄関に塩を撒いたが、アレが壁を通り抜けて移動する以上、たぶん無意味だ。あぁ、くそ、恨めしい。


#22

擁卵

 眠っている間に卵を産みつけられたらしい。朝起きたら左頬に違和感があった。鏡に顔を映してみると、いつものさえないあばた面が気の抜けた目で僕を迎えた。肌の弱い僕のにきびは凶暴な赤い斑点を薄い皮膚の下から顔中に浮き立たせていて、青春の情熱とかいう無駄なエネルギーが行き場をなくして全部そこから吹き出たようだ。卵はそんなにきびに埋もれるように、赤い斑点の一つとなってつつましく左頬にあった。気づいたら妙に痒くなってきて、僕は午前の授業中ずっと掻いていた。
 昼休みに呼び出されて人気のない美術室に行くと、カワグチハナエが机に長い脚をもたせて待っている。長い黒髪に飾られた白い夏服がまぶしかった。TVで見るような美少女で、天気によって民放の写りが悪くなるこんな村にいる子じゃないと思う。左頬を掻きながら立っているとカワグチハナエは君の気持ちは嬉しいけど、と困った顔で手紙を返してきた。僕は笑って頷いたけどカワグチハナエは笑っていなかった。
 廊下で待っていた見覚えのある女達が僕をちらちら見ながら、ニキビクリーム塗れよとかエステで顔替えて貰えとか言ったかと思うとすぐ今日さーピアタウン行こうよとはしゃいでいる。ピアタウンは村にたった一つのショッピングモールだがここから自転車で三十分はかかる。ひらひらと遠ざかるミニスカートを見て、お前らのなまっちろい大根なぞ誰が見るかせいぜい田んぼの蛙が覗くくらいがセキノヤマだなんて毒づいてみる。
 学校が終わって、村外れまで続くあぜ道を自転車で走った。左頬が痒くて仕方なかったが全力でペダルをこいだ。山すそにあるいびつな三角形をした水田の脇で自転車を降り、ワイシャツの袖で汗を拭うと、僕は曇った夕空に大声で歌った。彼女の好きな流行の昭和歌謡っぽいポップスだ。姿を見せないままの蛙が鳴きやんで青い稲のすき間から僕の歌を聞いていた。二番のAメロで歌詞を忘れた。僕は大きく息をついて、やっぱりカワグチハナエはかわいいな、と思った。
 翌日痒みが治まってから僕は卵のことをすっかり忘れていたが、一週間くらいたった頃どうやら無事に生まれたらしい。透明な四枚翅をつけた人間に似た小さな生き物が、窓をすり抜けて雨間の月に飛んでいったのを見た気がする。でもそれは夢だったのかもしれない。
 卵のあった場所には小さな穴が開いていたけれど、夏になる前に新しいにきびに取って代わられ、跡形もなくなった。


#23

アビイロード

「まったくねえ、まったくぜんぜん燃えんのだよ」
 そう言って博士はどぼどぼと本に油をかけていく。
「さっきからこやってねえ、がんがんねえ、こうやってがんがんにやっているのだがねえ、まあまったくねえ、燃えんのだよ」
「はあ」
 煙が凄まじい。煙に目を瞑る。
 通りの向こう側では借金取りが家を破壊していた。どかんどかんと凄まじい音があたりに響いている。コンクリートが回りにばらばらと飛び散っている。
「君は寒くないのかい、ねえ、どうなんだい」
 氷の上には猫ちゃんが座っていた。プリティーきわまりない黄色い瞳の、ロシアンブルーの猫ちゃんである。
「君は寒くないのかい。僕は寒いのだけれどねえ。コートも何も無いしねえ。全く持ってこの街の寒さは堪えるよ」
「にゃあ」
「かなり、寒いのだがねえ。寒くないのかい。猫ちゃん、寒くないのかい」
「にゃあ、にゃあ」
 タキシードの襟をかき抱き、わたしは舞台へと出かける。
「あなたは、なんてむすめなの」
 舞台には微かにピアノの音が響いている。
 あの娘は白い服を着て、長い黒髪をひっつめにしてピアノを弾いていた。
「あなたは、なんて。なんていう、なんていうメロディ」
 ぽつん。ぽつん。鈍い響きが途切れ途切れに響いている。
 娘は女優では無くピアニストであった。ピアニストではあったが数年前、怪我をしてピアノが弾けなくなった。事故と発表されたが違った。自分で自分の手をずたずたに引き裂いたのだった。わたしは知っている。娘は、自分の手で自分の手をずたずたにしたのだ。
(もっとうまく弾きたい。もっと。もっと。もっと)
「あなたはなんていう、ああ、なんていう」
 この舞台に娘を出すべきだったのかどうか、良く解らなかった。ともかくわたしは席を立った。客席からはピアニスト役の娘へ万雷の拍手。舞台の上の娘へ万雷の拍手。
 会場を出る。わたしはめくらめっぽうに歩き回る。街を歩き回る。
「だんな、ねえ、これ、どうだい。これ、綺麗、だろう」
 わたしは花売りの男に捕まった。
「これ、買いなよ」
「いらないよ」
「買いなよ。綺麗、だろ」
「いらない」
「綺麗、だろ」
 雨が降ってきた。遠くから万雷の拍手。わたしは言う。
「いらない」
「買わないと、こうだぞ」
 男は何を思ったのか花にどぼどぼと油を注いだ。
「火を、付けるぞ」
 ライターを構え、男は叫ぶ。
 男は鮮やかな緑の服を着ていた。
「いらない。絶対にいらない」
 わたしは強く言い切る。


#24

再びうんこの話

 急な便意を催し、地下の公衆トイレに慌てて駆け込んだというのに、扉の前で便意も忘れ凍りついてしまったのは、長細い白磁の便器のなかに、巨大なうんこが鎮座していたからなのだけれど、その巨大さに圧倒されたのではなく、つい二日前に「短編」という小説投稿サイトに、或る意地の悪い気持ちを込めて書いた、巨大なうんこと遭遇する『うんこの話』が発表になったばかりだったからだ。
『うんこの話』はほとんど実話なのだが、小説と違って、あの巨大なうんこの主ははっきりしていて、無論僕ではないわけなのだけれど、それが一体誰かということはともかく、今、目の前にある巨大なうんここそは正真正銘の正体不明の巨大うんこで、細長い便器の形にあわせるようにでろんと無駄に長く、巨大なタクワンのようでありながら、うんこ以外の何物でもないその存在感は、まるで底意地悪く『うんこの話』を書いた僕を責めるようで、なにか手酷いしっぺ返しを受けた気がした。

 便意はすっかり引っ込んだというのに、得体の知れぬ腹痛のようなものがして、腹を押さえながら地上に戻り、梅田の人混みをすり抜け、待ち合わせ場所である茶屋町の喫茶店に着くと、空になったティーカップを前に恋人が手持ちぶさたに待っていて、なじるように「えらいのんびりやったねぇ」と言ってから、こちらの顔色に気づかず、「な、お腹空いてへん? ここ軽食も美味しいんやで」と言った。
 無言で首を振ると、彼女は「あっそ」と可愛らしく口を尖らせてから、メニューを広げた。しばらく彷徨った彼女の目が「お昼の特製チキンカレー」のところで止まったのが、何故だかひどく不吉に思えた。

 嫌な予感に苛まれる僕を余所に彼女は
「この人はホットコーヒーで、私は■■■■■■」
 と、言ってはいけない言葉を発してしまった。

 途端に彼女はべちゃりと、よく見慣れた下痢便気味の僕のうんことなって崩れ、続いてウェイトレスも崩れ、店全体もふるふると震えだし、慌てて外に出たところでべちゃりと崩れ、見上げる茶屋町のビルも阪急の高架もぶるりと揺れ、一斉にべしゃりとなった。
 うんこまみれどころか総下痢便うんこ化していく梅田の街のなか、HEP FIVEの赤い観覧車だけが、水車のごとくうんこをかき回していて、あの観覧車に、初めてのデートのとき、彼女と乗ったのだと、そんなことを思い出しながら、溢れくるうんこに飲まれ、僕は何処かへと流されていった。


編集: 短編