第44期 #28

劇場

 まったきのその暗闇がいつから続いていたのかわからない。しかし、物語が書き始められるからにはその暗闇が破られるところから話は始まらねばならず、読者にはとっては私が感じた途方もないような時間の長さはまるで問題にならぬことだろう。だから、「唐突に間の抜けた音楽が聞こえ出したかと思うと、パッとあかりが燈った」とでも書き始めておけばよい。
 私は劇場の真ん中らへんの椅子に腰掛けていたようで、先ほどまで微塵も気配を感じさせなかったというのに劇場は観客により埋め尽くされていた。目にはしっかりと観客の姿が映し出されているが、あいかわらず人の気配というものはなく、しかし人形のような、というには少し違っていて、本物と寸分変わらぬ映像のような具合だ。
 舞台の上では十数頭のピンクの仔豚が輪になってただぐるぐると回っていた。一糸乱れぬその様子は一見機械のようであるが、こちらは漠とした観客と違って、変なまでに生々しく、吐く息、垂らす涎まで目に見えるようだった。その仔豚の様子に観客たちは私にはまるで解らぬ感興を覚えるらしく、時折歓声をあげ、一斉に拍手した。何十度目かの喝采のあと、音楽の調子が急に変わると、仔豚たちはいっぺんに飛ぶようにしてくるっと回り逆向きに走り出し、そのあまりの見事さに私はぎょっとなってしまうほど驚いてしまったのだが、他の観客はまるで知らぬふうで、相変らず私には解らぬ頃合いで歓呼した。私はその頃合いを解そうとして、懸命になって仔豚たちを見詰めてみるのだが、皆目見当が尽かず、何か一頭指標になるような仔豚がいて、その様子に興を覚えるのだろうかと一頭一頭順に目で追っていくが際立って他と異なるようなものはおらず、それぞれ微妙な差異をみせてはいるものの動き自体は一様に同じで、機械のようなという最初の印象は変わらない。
 印象? 待て、待て、ああ、そうか。私の蒙昧な脳髄に突如光が差し込み、真実本当のところを察するに到ったのだが、まるでそれを悟られたかのように、音楽が途切れ、燈も消えた。まったきの暗闇の中で、あかりが消えたと共に劇場を埋め尽くしていた観客もまた消えたのだということを私は確信していたが、それが一体どうしたというのだ。私は依然何もわかっていないのと同然で、何ひとつ変わらぬまま、この暗闇がいつ果てると知れぬからには、この先を書き続けることも出来ないのだ。



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