第44期 #29

トーストとトマト

 トコのトーストは朝の儀式だ。
 電子レンジのトースター機能で九分半、屈伸十回分の余熱で取り出したトーストに、上部2cmを残してジャムとマーガリンをきっかり半分ずつ塗る。はじめはまっさらなパンを口にすべきなのだと彼女は言う。左側のジャム区域から右側へのマーガリン区域へと、彼女の口はリズムよくパンを切り取ってゆく。最後の一切を慎ましく口に差し込むと、スカートのくずをはたいて、するりとドアを抜けて出かける。
 トコのトマトは夜の儀式だ。僕が仕事の帰りに買ってきた大ぶりのトマト2つを、ベッドの上から長い腕を差し伸べて掴み取る。スプリングをしならせて流し台に飛び掛ると、左手で流しのふちを握って、腕を蜘蛛のように折り曲げて、赤い果肉に齧り付く。薄赤い肉片と小さな種が、ステンレスの空間にぼとぼとと音を籠らせる。
 トコはベッドで観察している僕に、トマトの汁で汚れた腕を伸ばす。僕をどんどん巻き取ってゆく。胸にぴったり顔をつけ、トシオトシオと呼ぶ声は、初めのトで僕を穿ち、シオで僕を浸食する。トコトコと呼ぶ僕の声は、彼女の頭頂部を転がるばかりで、ちっとも彼女に入り込まない。
 トコは時々いなくなる。彼女のねぐらは一つではない。昨夜もトコはいなかった。朝のまぶしさに目を覚ますと、流しの上にトマトが2つ、ぼんやりと赤い光を放っている。



Copyright © 2006 冬口漱流 / 編集: 短編