第44期 #20

ナオキ君

 小学校五年か六年のころ、クラスの日課の一つに、三分間スピーチというのがあった。毎日「帰りの会」の時に、一人ずつ自由に話をするのである。
 ナオキ君は、一言でいえば、明朗活発、という男の子であった。マラソンが得意で、気も強かった。でも乱暴ものではなくて、情があったから、みんなに広く好かれていた。
 彼がその日どんなことを話したのだったか、細部はすっかり忘れてしまった。たしか、自分の幼い妹についてだったようにおもう。具体的な内容よりも印象ぶかいのは、その話に途中から、明らかに虚構が混じってきたことだ。
 語られている事柄が事実かどうかという判定は、改めて考えてみればむつかしい。どうもこれは嘘じゃないか、という感覚が、しだいに水位を増してくる。ナオキ君の話でいえば、妹と遊んでいたら、彼女が庭のバケツにおしっこをした、というあたりで、それが決定的になったような気がする。
 それまでつくり話をする子供などいなかっただけに、聴衆の間には、ホントかよ、というざわめきが高まってきた。
 普通の子供には、公的な場面で嘘を言うなんてとんでもない、という思いこみがある。具体的に追い込まれもしない時に、まるで無かった話をつくるような頭がはたらくものではない。
 ナオキ君も、最初はふとした思いつきで、現実をちょっとゆがめてみただけだったろう。しかしひとたび現実という地上を離れてみれば、どこへ飛翔しても自由である。聴衆の面白がる気配も、揚力として働くことになる。
 ところがこの奇妙な息詰まるような時間は、長くはつづかなかった。
 担任のH先生は、大学を出たての若い女性だった。潔癖で、常日頃から口やかましかった。ナオキ君が一生懸命話している最中に、
──もっとちゃんと、本当のことを話しなさい。そんな変に作ったりしないで。
 たまりかねたように遮ったのは、即興の危うさに堪えられなかったのであろう。
 彼が素直にはいと答えて、まじめな「本当の話」に切り替えると、とたんに座の温度が冷えた。ほっとする一方、一抹のつまらなさが漂った。彼の話が終わると、先生は、
――そう、それでいいの。
と満足そうにうなずいた。
 あれから二十年経って、自分の才に余るうそ話をひねり出そうと四苦八苦しながら、
(あの時のナオキ君は、本当に楽しそうだったな)
とおもい出す。当時の私は、書物の中の物語に、誰か作者がいるものだということさえ意識していなかった。



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