第44期 #12
午後八時半。外回りの営業が予想外に長引いた。今日は社に戻らず直帰しよう。そう思った途端携帯が鳴って、経理の洗井君からだった。
「今どこですか?」
「驚くなよ。こちら惑星オルドン」
「A社が見積額を今日中にコールバックしてくれって」
「先程パラレルワールドに移行してしまったのだ。ここのぼくはそっちのぼくじゃない」
「じゃあなんで地球のぼくと電話で話してるんですか?」
「うむ。電話だけ元いた世界と接続している。確かに不思議だが、おそらく時空連続体の微妙なねじれが……」
「今どこですか? 戻れるならすぐ戻ってA社に返事してください」
「いや、だから。戻れないから」
「今横浜とかだったらA社にそう説明しますから。でもホワイトボードによると今池袋あたりでしょ」
「わかんないやつだな。ここは地球じゃない」
「じゃあ周りの景色を説明してください」
「うむ。荒涼たる砂漠だな。むこうにジャバ・ザ・ハットの岩屋みたいなのが見え、鉄のシャッターが下りている。シャッターには『ISP』と大書されている」
「どういう意味ですか?」
「インターネット・サービス・プロバイダー?」
「んなわけないだろ」
「洞窟を進むと……あっ! 砂漠と思えたのは巨大地底世界であった。今地上に出たぞ。向こうに建物があり人の気配がする」
「じゃあそこがどこか聞いてみてください」
「そこは竜宮城であった。美しい乙姫たちにもてなされ、たちまち三千年の月日が流れた」
「もしもし?」
「はいはい」
「三千年も電話がつながりっぱなしかよ」
「時空のねじれが時間軸を寸断しているのだ。竜宮城を後にして幾多の冒険をしたぼくが見えるぞ。星間戦争が勃発し残虐雷帝が銀河を支配、ジェダイの騎士となったぼくは、お姫様を人質に取る雷帝に捕まってしまう。絶体絶命! しかし強欲な雷帝はぼくが持っていた思い出の玉手箱を開けてよぼよぼの老人になってしまった。銀河に再び平和が訪れた。ぼくはお姫様と結婚し、ジェダイ・アカデミーを再建した。アカデミーの中心には傑出したジェダイ・マスターであるぼくの銅像が建てられた。その前に立ち、万感の思いが込み上げるのであった……」
「わかりました。とにかく今日は社に戻れないんですね?」
「うん」
「A社には明日にしてくれと言っておきます。だから最後にひとつだけ教えてください。『ISP』ってなんですか?」
「うむ。池袋ショッピングパークの略だよ」
「やっぱり先輩、今池袋なんだ」