第41期 #17

逆行

 人はなぜ死後世界を知りたいと願うのか。すべてを諦念の中に解消しさっても、まだ死後の安寧を願うのか。それとも、我らの意識が必ず対象と二分されるための便法に過ぎないのか。
 今はの際で、不信心な私も死後世界に手を合わせる。私の死後世界は二つの道を持っていた。一つは、私が過去に迷い込んだそのままに、時間が逆行を続けること、もう一つは、再び時間が反転して順行すること。
 タイムスリップして、高校時代の自己と重なるなら、私は自己を失って高校時代の自己に戻ると考えた。それは、私の死に他ならなかった。しかし、考えてみれば、その死とはわたし自身への投入であって、そのことが自身を失うことになるのだろうか。
 もし、これが時間の逆行によって生じることではなくて、未来の自己に投入されるのならどうであろうか。その場合も私は自身を失うことになるのだろうか。もしそうなら、私は不断に死に続けなければ、自己を保ち得ないことになる。それならば、死とは自己実現そのものではなかろうか。
 すると……と私は思った。私は過去の自己に投入され続けたとしても、はやり自己を失うことにはならないのではないか。これを自己喪失と呼ぶのだろうか。いやむしろ、自己純化と言う方が正しいように思われた。
 私は、『意識に時間は無い』と言う言葉の意味をはっきり理解した。
 私はその瞬間、高校生の自己に投入され、その先へ、つまり更なる過去へ時空が展開したのを感じた。わたしは自身の時間の方向が逆行であると悟った。
 私の意識は時間を超越していた。悪夢の中で、「覚めよ!」と叫ぶ自己のように、私は過去世界の自己の中にいた。私は確かに時間の順方向の主体ではなかった。しかし、私は逆意志する自己だった。
 私が何かを欲する、あるいは何かを意志するの逆とは、欲する以前を欲することであり、意志する以前を意志することだった。私は逆行する時間を生きる自己となって、時間の波をさかのぼって行った。
 そこは、世界のすべてが逆様になっていて、逆様なりに意味が通る、逆の因果律が支配する、完全な世界だった。
 私は未来の記憶を持っていた。私は未来の(過去の?)自己の何たるかを知っていた。私は時間が逆転していることも、私が谷底に転落したことが時空転換のきっかけであることも、知っていたのである。……夢なら覚めよ!



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