第41期 #15
除夜の鐘が聞こえてきた。
普段はほとんど聞こえないのに、この時ばかりは街中に響き渡る鐘の音。その控えめで不思議な音色は、人々に大きな節目をそっと知らせる。それが今年は甘い香りを漂わせた。
ジーマは年を越せなかった。
香りを追うように、母が階段を上がってきた。
「線香ぐらいあげて下さいな」
母は扉に語りかけた。ジーマが倒れ私が閉ざして以来、母は扉を開けなくなった。
「お守り効かなかったわね。ここに置いとくから」
お守りはジーマがくれたものだった。
小学生の頃、ジーマはよく散歩に連れて行ってくれた。
夏休みは毎朝叩き起こされ、カブトムシを採ってやると言っては薄暗いうちから近所の寺へ向かった。だが何度行ってもカブトムシは手に入らなかった。帰りに手にしていたのは、いつも蝉の抜け殻だった。
中学に入り私の好奇心が色づくと、ジーマとの会話が徐々に鬱陶しくなっていった。ある日私は手の届きそうもない抜け殻を取るようジーマにせがんだ。ジーマはその晩倒れ、翌日から散歩に行かなくなった。
子供ながらもばつが悪く寝たきりの八畳間に入れなくなった。麻痺という言葉を確かめるのも怖かった。
卒業証書が届いた日、私は初めて部屋に入りジーマに嘘をついた。
「蝉の命は短い。たった七日の儚さを嘆いて泣きまくるとも言われているが、土の中でだって七年も生きているしその七年を無駄に過ごすわけではない。閉ざされた中で人知れず何かを準備するんだ。本人さえそれが何かも知らずにな」
その日どうしてそんな話をされたのか判らなかった。だがそれが最後の言葉だった。ジーマがくれた蝉の抜け殻はその日枕元に置いてきた。
「人の一生なんてもしかしたら蝉の七年かも知れん。その時間が本人にとってどれだけの長さかなんてそんなことは誰にも判らんよ」
祖父の言葉を思い出しながら私は耳を澄した。こんな真冬に蝉の声など聞こえない。
窓を開け埃だらけの雨戸を掴んだ。長年の埃と湿気で雨戸は動かない。力ずくで開けると雨戸はがたんと外れがらがらと音を立てて庭に落ちていった。冬の空に鳴いているのは、あの寺の鐘だけだった。
音に驚いた母が階段を駆け上がり部屋の扉を開けた。その瞬間冷たい風にのった鐘の音が一気に部屋を通り抜ける。蝉のお守りを手に母は泣き腫らした目で笑っている。
「ジーマに……」
「いい加減ジーマはよせよ」
「…でもね。とりあえずはあけましておめでとう」