第40期 #27

イブの夜

ツネコは寒がりだった。外へ出るときは手袋にマフラー、コートに帽子。全身をくるんだうえに、カイロを背中に貼り付ける。家の中でもオイルヒーターにホットカーペット、タートルネックに綿入りの羽織にウールのスリッパをはく。

ところがどれだけ厚着をしても温もらないところがある。それは目だった。誰にも信じてもらえない。夫は「目が寒い? 俺はフトコロがサムイ」とつまらない冗談を言う。医者からは精神科を勧められた。が、ツネコは自分の網膜周辺が凍りかけているのを知っている。朝、目があかない。必死にまばたきをするとシャーベットのようにジャリジャリ鳴る。半分凍ってるのだ。夫はその音が聞こえないと言うし、これ以上訴えたらおかしくなったと思われる。

クリスマスイブの朝だった。夫は土曜日なのに仕事だという。見送るふりをしてこっそりつけていった。予想はしていたがマネキンのような女が夫の手をとった。夫は女を抱き寄せ、髪に鼻を近づけたかと思うと手品師のように小さな箱をだして、マネキンのトウフのように白い手の上にのせた。

それ以上見なかった。ツネコは網膜がゆっくり凍っていくのを感じていた。くだらない火遊びなんだ。花火といっしょですぐ燃え尽きるだろう――にもかかわらず腹がたつ。こういうとき男だったらどうするのだろうとツネコは思った。目が凍っていって、まばたきも辛くなってきた。

気づいたらブックバー「デニス」という店にいる。どこでもよかったのだ。カウンターに座ったもののツネコは酒が飲めない。「あたし飲めないんですけど」半分自棄になって言った。「ここ、なんですか」

「お客様、失礼ですが目が凍ってらっしゃいますよ。今日は冷えますからね」
「え、わかるの?」
「はい。私もよく冷えますもんで。よかったらどうです」

マスターはそう言って「風にのってきたメアリーポピンズ」を差し出した。よく聞いた題名だけどツネコは読んだことがない。子供の好む砂糖菓子のようなお話なら勘弁だった。マスターは他の客と話をしている。仕方なくページを開いた。メアリーポピンズって結構意地悪なんだな、でも優しいな――こんな麩まんじゅうみたいな味わい、子供にわかるんだろうか。

マスターが生姜湯をつくってくれて、その甘辛い味とメアリーの魔法が、凍った網膜をゆっくり溶かしていった。目から涙が溢れでたけれど、それが溶けた氷水なのか泣いているのか自分でもよくわからなくて困った。



Copyright © 2005 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編