第40期 #17
結婚、申し込まれて幸福なはずなのにって、由紀・・思う。鏡の中の由紀は、由紀を見詰める。その眼差しは揺れていて、定まらない。
由紀、男の人って怖い。理由は思いつかないのに由紀は男性を恐れる。
男が女と違うって、自明のことで、筋力も骨格も肌合いも違うから・・・だから、惹かれる。違うという前提があって、はじめて性的忌避感は除かれて、あの性的遮蔽は開かれる。亘君の目を見て、その唇に触れることができる。同性の間では閉ざされている、あのベールが開く。
由紀、なぜ小さい女の子に戻ってしまうの。小鳥のような心臓は喜びに震えているはずなのに、同時に恐怖に震えている。亘君を信頼しているのに、その筋力の強さや、意志の強固さに触れると、由紀・・なぜ亘君の目を覗き込むの。
瞳の奥に由紀・・何を見るの。
男性はつらい? 男性は何を求めているの。女は何も持っていないのに。由紀何も持っていない。
由紀、幸福ね、本当に・・・。
鏡の前から離れると、由紀、愛犬のニュートンと早朝の散歩に出た。最近はいつも、線路脇に茂ったバラの株の所まで行く。
だれも知らないけれど、このバラって・・実は、月下氷人のバラ・・。でも、このバラちゃん花付きが悪くて、葉っぱばっかし茂るから、心配なの。このバラにはたくさんの花を付けてもらって、独身同盟の面々にブーケを贈らなくちゃならないの。
みんな美人なのに結婚しなくて、由紀、今、裏切り者って呼ばれているの。亘君だって知られちゃって大荒れ。だから、バラの精さま、どうかお花をお恵みください。由紀にお与えくださいましたように、独身同盟のすべてに愛を・・・。
「キャー、ニュートン」由紀は叫んでいたわ。「バラちゃんに何てことするの。おまえはもう・・」
・・そうね、ニュートン、おまえのおしっこじゃなくて、ちゃんとした肥料を上げましょう。そして、結婚式の時には、たくさん花をつけてもらわなくちゃ。
由紀、あなた幸福ね・・・由紀、目を上げて、その言葉に答える・・・ええ幸福よ、たぶん・・・。
由紀は小さい女の子で、同時にもう中年の女性で、そしてとても年老いた女で、みんな勝手なことを言っている。だからもう、百パーセントの幸福はない代わりに、百パーセントの不幸もない。
朝日か夕日かわからないような輝きの中へ、水平に差す赤い光の中へ、由紀は尻尾を振るニュートンと一緒に、線路沿いの道を歩いて行く。・・