第39期 #17
物理現象の観測者は、その現象を記述する法則内に取り込まれる。時空を移動すると観測者もまた時空から変容を受ける。だからタイムトラベルは可能だが、意味はない。
もし、宇宙が膨張の果てに収縮を始めるなら、時間もまた逆転して、人は墓穴から生まれて子宮に葬られる。逆回しの映画を見るように。
わたしは窓ガラスに映った自身の顔に見入っている。わたしが時空を超えて過去に移動してきたことは、わたしの顔にはっきりした変容を起こした。わたしは高校生に戻っているのだ。しか
し、わたしの脳はまだ変容に抗していて、未来の姿を残している。わたしはやがて完全な変容を受けるに違いない。わたしは本当の意味でもとの高校生に戻る。
わたしはふたつの可能性について考える。一つはこのまま時間の逆転は止まらないで、さらに過去へ突き進んでいくこと。わたしはやがて幼児期にさらには、母の胎内へと戻るだろう。しかし、それは実際のところ墓穴に入るのと変わらない。あたたかく湿っていて、水が流れている、山裾の古い墓場と変わらなかった。
もう一つは、時間がここで再び逆転して、前へ、少なくとも以前は前と呼んでいた方向に進みはじめること。わたしは再び高校を卒業して、人生をやり直すだろう。しかし、そのことに何の意味があるだろう。わたしには将来を生きた記憶は何も残っていないのだから、同じことをただ繰り返すだけだった。
墓穴も子宮も実際には等価だった。そこは有無が転じる場所だった。言い換えると、時間が転じる場所だった。時間が転じて、わたしが存在しない時間になる。あるいはわたしが存在する時間になる。わたしが存在しないところには、わたしの時間は存在しないが、時間が存在しない訳ではなかった。
わたしは、高校の古い木造校舎の窓ガラスを見詰めている。時間の方向を知る術はなかった。それでは以前は、時間の方向を知っていたのだろうか。・・わたしには、ゆっくり考えている時間が残されていなかった。もうじきわたしは、高校生の自身に重なる。もうこの記憶と意識は閉ざされる。一体、時間はどちらに向かうのか。知る術はないのか。いや、知ったからと言ってなんと言うこともないではないか。しかし、今はこれ以外、何の関心も残っていない。悲しみも、恐れも、感傷も、他者への愛も、自身へのそれも、何も感じない。何か聞こえる。「!よめさらなめゆ」