第39期 #16

トーフ地獄

 今度の閻魔大王は、地獄始まって以来の女閻魔だった。

 ヒラ獄卒である僕にとっては月一の企画会議が憧れの閻魔に会える唯一の機会である。今回の議題は「豆腐地獄の具体的内容について」。豆腐を粗末にする人間が増えたため豆腐地獄の建設が急務らしい。地上というのはわけのわからない所だ。

「鉄塊を仕込んだ豆腐の角を亡者にぶつける」という極めて退屈な牛頭のプレゼンがようやく終わった。さすが脳みそが牛なだけある。材料費も鬼件費も馬鹿にならないだろうに。地獄の財政事情まで考えなくては企画は通らず、彼女の目にも留まるまい。

 僕は実際に亡者を使って実演を行なった。
「まず、彼に冷奴を食べさせます。無論生姜も鰹節も、醤油の一滴すらかけてあげません。そう、地獄の責め苦は既に始まっているのです」
 お歴々が固唾を呑んで亡者の嚥下を見守る。やがて彼は喉元を掻き毟り、割箸でざくざくと首を突き刺し、絶命した。
「地蔵大豆か」
「はい。地蔵大豆を食べると喉が灼けます。咽喉内で甲蟲が暴れ回るような激痛に耐え切れず自殺を図るというわけです。勿論彼らは蘇生し、恒久的にこれを繰り返します」
 反応は上々。ちらと閻魔のほうを見ると、上気した顔で血糊のついた豆腐に見惚れていた。
「うん。白い豆腐が鮮血で赤く染まる、というビジュアルコンセプトにも適合していますし、コスト面でも問題ないようです。これでいきましょう」

 かくて豆腐地獄が落成し、僕は現場主任となった。しかし亡者は一向に送り込まれず、代わりに閻魔が通って来るようになった。彼女にはもはや他に居場所がなかったのだ。豆腐を粗末にする人が増えたというのは誤報で、彼女を快く思わない連中が故意に流したものらしかった。

 二人で木綿山の上に座り、無辺に広がる豆腐色の景色を飽かず眺めた。どこを見渡しても人影はなく、鮮血の滴りなどただの一点も認められなかった。
「辞めるんだって?」
 既に敬語を使う間柄ではなくなっていた。
「うん、コキュートスに海外留学。逃げるみたいで癪だけど」
 そこは西洋地獄の最下層、氷地獄。生きて帰れる保障はない。僕は泣いた。彼女も少しだけ泣いた。

 そして三年。僕はこの間の抜けた地獄で彼女の無事と、地上の人間どもが豆腐を粗末に扱ってくれることだけを願って暮らしてきた。年明けには彼女も戻ってくる筈だ。来年のことを考えれば自然と笑みがこぼれる。乾いた牙を乳白色の風がとろりと撫でた。



Copyright © 2005 ヒモロギ / 編集: 短編