第38期全作品一覧

# 題名 作者 文字数
1 ピアノエチュード「革命」Op.10-12 アキコ 323
2 ポスタル・レトロ 八海宵一 1000
3 高岩斬り 印田あみ 934
4 雨空とスカート ヒロ 987
5 わたしというのはそんなものです。 EMI 533
6 書架の亡霊 サカヅキイヅミ 997
7 新しい恋 水島陸 897
8 お見合い 稲木有司 980
9 1/10 刻黯 503
10 バラ しなの 981
11 96 964
12 月と星の光の下で 愛留 999
13 歌う惑星 朝野十字 1000
14 テープレコーダー るるるぶ☆どっぐちゃん 998
15 コロティの想い出 宇加谷 研一郎 1000
16 姉が太陽を飲み込んだ qbc 1000
17 物言わぬ彫像の前で(ナペチャ王物語) 三浦 999
18 特に意味なし=人間 壱倉 990
19 曠野反次郎 999

#1

ピアノエチュード「革命」Op.10-12

僕は手首を切って、彼女はピアノを弾いた。
遣る瀬無く行き場がない時、僕は持ち歩いている剃刀を手首にあてがい、彼女はショパンの「革命」を弾く。僕は彼女の「革命」を聞きながら、赤く線を引く。彼女は猫背の背中を更に丸めて、早過ぎるパッセージに左手を転ばせながらピアノを叩く。
遠いところで鳴るサイレンを、耳を研ぎ澄ませて、聞いていた。
無意味を愛することなど、不条理だと、呪っていた。
血管を血が逆流する。彼女の白い指が鍵盤を闇雲に走る。血が手首を伝う。鉄の匂いが彼女の鼻腔に届く時、彼女はぱたりと手を止めた。
鼓動が止む。吐息が口腔で辛い。静かすぎる。
「やめよう」
彼女は呟く。
けれど最初から、戻る場所などなかった。
僕も彼女も、根源的に、宿命的に、浮遊していた。


#2

ポスタル・レトロ

 ぎいぃがたん、と錆びついたチェーンの音が坂道に響いた。聞き慣れた悲鳴のようなブレーキ音がだんだんと近づいてくる。
 由紀は電動ベットで半身を起こし、そのままの姿勢で窓を開けた。少しじっとりとした風が、部屋のなかに流れこみ、強い日差しが青白い肌に反射した。つけっぱなしのテレビが、まだまだ暑さは続くでしょう、と予報しているのを聞いて、ひとりでこくん、とうなずいた。
 ぎいぃがたん。
 いまにも壊れてしまいそうな自転車の音が、家の前で止まった。
 ボサボサ頭の青年が勢いよく自転車から降り、その反動を利用して錆びたスタンドを力いっぱい蹴りつけているのが見える。
 彼は前かごに入れていた郵便鞄を肩にさげると、郵便受けを無視して由紀のいる窓際まで庭を通ってやって来た。
「はい、手紙」
 小麦色の腕が手紙の束を鞄から取り出し、由紀の手のひらにそっと置いた。だが、いろんな色の封筒やハガキは、すぐに由紀の手からこぼれ落ちた。
「あいかわらず、すごい数の手紙だね」
「これくらいしかすることないから」
 こぼれた手紙を拾おうとする彼の手を制しながら、由紀は寂しそうに微笑んだ。
「…それより、あの自転車なんとかならないの?」
「自転車? …自転車がどうかした?」
 彼は玄関先の錆びた自転車を眺めながら、首をかしげた。
「うるさいよ、ぎいぎい言ってるし」
「…昨日、油差したばっかりなんだけど」
「そういう問題じゃないと思う。バイクに乗ったら?」
 由紀の言葉に、彼はボサボサ頭をかきながら、応えた。
「免許持ってないんだ。第一、あの自転車気に入ってるし」
「そんなだと、出世できないよ」
「余計なお世話だよ。そんなこと言ってると、手紙持ってこないから」
「そんなぁ、職務怠慢だよ!」
 由紀は口を尖らせた。
 それから、しばらくして郵政公社が民営化され、ボサボサ頭の彼は来なくなった。聞いた話だと、自転車しか乗れない彼はリストラされたのだという。
 ぎいぃがたん。
 錆びたチェーンに、甲高いブレーキ音。
「はい、手紙…って、メール便だったっけ?」
 ボサボサ頭の彼は、宅急便の制服を着ていた。
「そうだよ、うちはずっとメール便」
 由紀は微笑みながら、うそぶいた。
「この坂、自転車で上がってくるの大変なんだけど…」
「だったら、バイクに乗ったら?」
「だから、免許ないんだって」
「そんなの、あたしは知らない」
 由紀がすました顔で、そっぽをむくと彼は頬を膨らませた。


#3

高岩斬り

この男とであわなかったのは宮本武蔵にとっては幸いだった。天才剣士峰八郎と剣を交えていたら武蔵といえどもその輝かしい戦歴に黒星をつけていたかもしれない。八郎のあみだした高岩斬りとはどんな剣法か。ちょうどいま峠の下で彼が試合を行うところなので拝見することにしよう。
 あ、いや、試合はもう終わっていた。あざやかな高岩斬りによって八郎の相手は股間から血を流して息絶えていた。そう、高岩斬りとは相手の股間を、正確にいえば男の急所を、はっきりいってしまえば睾丸を切断する剣技のことだった。剣の修行をはじめたときに八郎は、相手のどこを攻めれば確実に勝利を得られるかを真剣に考えた。男にはだれでも股の間を狙われれば致命的な、睾丸というものをぶらさげている。それをあやまたず斬りさえすれば、勝利は確実に思えた。それを悟ったときから毎日、紐にたらした小石を木刀で打ちつける稽古をはじめた。拳大の石からじょじょに小さくしていきしまいには豆粒ほどの小石を狂いなくとらえることができるようになった。それからは連戦連勝、八郎の前に睾丸を斬られた兵法者の屍が累々と横たわるようになった。たちまち彼の名は兵法修行者の間でひろまり、彼を倒して名声をあげんものと名乗りをあげる挑戦者は絶える事がなかった。          
 たったいま試合を終えたばかりの八郎の前に、はやくも新たな対戦相手が立ちはだかった。さすがに一息いれたいところの彼だったが、相手が小柄の、どことなくひ弱な感じの剣士だったので、早くかたをつけてしまえとばかり、向かいあって剣を抜くなりいきなり高岩斬りをくりだした。まちがいなくその剣先は相手の股間を切り裂いたと八郎は確信した。その直後、彼の額に相手のふりおろした真剣がふかぶかとくいこんでいた。
「なぜだ・・・」
 うすれゆく意識の中で八郎は、たしかに断ち切ったはずの相手の股間に目をやった。そして切り裂かれた袴のその場所に、あるべきものがないのを知った。
・・・不覚、女剣士であったか! それが彼の最期の言葉だった。
 後世の剣士列伝に峰八郎のことが語られていないのは、彼のあみだした剣法のその品のなさにあったのかもしれない。睾丸を高岩の当て字にしたのは、せめてものたしなみというものか。


#4

雨空とスカート

 僕は駅前で真美が来るのを待っていた。せっかく久しぶりに真美と会うというのにぐずついた天気だ。僕は空模様に時折目をやりながら、真美が下りてくるはずのバス停を見つめていた。
 待ち合わせを二〇分ほど過ぎた頃、雨がやっと上がった。待っていたかのように真美が反対側の道路から手を振りながら僕の方に駆けてくる。バスの時間じゃないよな、不思議に思って訊くと、送ってもらったの、と言葉を濁し、黙れとばかりに僕の口へ飴玉を放り込んだ。
「スカートなんて珍しいな」
 問いかけると真美は当然の顔で雨空を傘で指した。僕が首を傾げると、スカート履いたことあるわけないか、と笑って目の前の水溜りを傘の先で掻き回す。
 真美はいつまでもぼんやりしている僕の横に並ぶと足を踏み出した。こんなに小さかったっけ、と彼女を見つめる。真美は僕の視線を勘違いしたのか、場違いな服装に気づいたような表情でそっとスカートを持ち上げた。ふくらはぎの辺りについた数滴の泥が目につく。
 自分のスラックスに目を向ける。足にまとわり付くのが気持ち悪い。真美の足元が軽快に見え、彼女が今日スカートにした意味がわかった。だが真美は僕の脚をじっと見つめる。何だよ、と言うと真美は溜息をついて言った。
「君、ジーンズばっかだったのにね」
 就職まではジーンズ以外をほとんど持っていなかったことを言われて思い出す。苦笑すると、真美は僕のネクタイに手を伸ばしてきた。そっと持ち上げると軽く撫で、力が抜けたように再び手を下げる。唇を小さく噛み、ぽつっ、と彼女は言った。
「結婚、するかもしれない」
 突然の言葉に僕は真美を見つめ返す。真美は口を小さく開けたが、すぐに閉じてそっぽを向いてしまった。僕は手を伸ばしかけ、すぐに慌てて引き戻す。もう、真美に手を伸ばしちゃいけない。真美は気づいているのか肩を小さく揺らし、それでも黙り込んだままだ。
「おめでと」
 いかにもとってつけた台詞。言わなければ良かったと後悔する。でも、今はこの言葉しか。この言葉しか浮かばない。もう一度真美のスカートを見つめた。彼女のことを好き、だったのだろうか。
 真美が半歩、僕から体を離した。僕は何となく視線を逸らし、無理に理屈っぽい話題を探そうとした。しかし先に真美が口を開く。
「友だち、だよね」
 僕は曖昧に首を振る。縦にも横にも紛らわしく首を振る。
 また雨が一粒、鼻先を濡らした。


#5

わたしというのはそんなものです。

 生け花の剣山のように、脇にちょびちょびと毛が生えていた。
 小学生の時から剃っているから、割と色が濃い。
 見ているだけでも気持ち悪くて、剃った。
 ぷつぷつした毛が残ったから、抜いた。
 血が少し出た。
 そのままタンクトップを着た。
 鏡の前で手を上げてみた。
 やっぱりぷつぷつしていた。

 それが、8月の一番印象的な出来事。
 一ヶ月に一回だけ書く気が起こる日記帳に書き込んだ。
 私というのはそんなものです。

 最近流行のマンガを読んで、久しく大爆笑した。

 それが9月の一番印象的な出来事。
 一行だけだけど、日記に書き込んだ。
 私というのはそんなものです。

 今日、ペットのポチが死んだ。
 15歳で、犬にしてはものすごい長寿だった。
 死ぬ前の日まで、生きているかどうかも分からない犬だった。
 私より年上で、私より先に逝った。
 唾液をたらして、汚らしいと思っていた。
 でも、久しぶりに泣いた。

 それが、10月の一番印象的な出来事。
 日記には書かなかった。
 そのできごとは衝撃的すぎて、私じゃない気がした。
 だから、日記には書かなかった。

 周りでは、どうでもいいことばかりが起こる。
 くだらないけど、日記に綴る。
 それが一ヶ月に一回の楽しみ。

 私というのはそんなものです。


 

 
 

 
 


#6

書架の亡霊

 それは中学二年生の、真っ白な夏の話。

 その頃、世界は明るい表情を取り繕うのをやめていた。甘い砂糖菓子に慣らされた子供達に、社会通念やら自由経済やら言うバリュームを飲ませて泣きっ面を拝むのが「そいつ」の無上の喜びだった。
 何人かの子供達は抵抗しながらも「そいつ」の言いなりになった。何人かの子供達は、寄り添って夢の抜け殻を分け合い、せめて仲間内でだけでも甘ったるい砂糖菓子を味わおうとした。僕はどちらにも属さなかった。敵に迎合するでも群れを作って逃避するでもなく、僕は知性と孤独な観想を武器に世界と戦おうとしていたんだ。
 そう言った人間の常として、僕は夢想癖とシニズムを併せ持った少年だった。そしてそう言った少年を受け入れてくれる場所は、この世に図書館しかなかった。デカい図書館って牢獄みたいに堅牢だろ? あれは荘厳さを演出するためじゃないんだぜ。僕みたいな奴を追い込んで隔離する為には、あのくらい堅牢にならざるを得なかったのさ。尤もそこがこの世で唯一、「世界」の眼から離れた場所になってたのは皮肉だったな――何せ奴と来たら、知性と文学が大の苦手だったんだ!
 
 図書館通いにも慣れて、何処の棚に何があるかを把握した頃、夏が来ていた。
 僕はいつものように誰もいない二階の奥まった席に掛けて、小説を読んでいた。項は滞りなく捲くられ、活字は絶え間なく消化され――いい加減物語の中に意識が没入した頃、唐突に声を掛けられたのさ。

「……いつもいるね」
 恐ろしく寂しい声だった。

 死後の世界、違うな、生まれる前の世界から声を掛けられたら、あんな感じだと思うぜ。
 僕は思わず振り返り、そして見たんだ。無機質な程に明るい夏の日差しで、白と黒に塗り分けられた書架の列を。すきま風を孕んで、幽霊のように翻るカーテンを。
 そして棚の影からじっと僕を見つめている、ぽっかりと口をあけた「寂寞」を。
 一も二も無く逃げ出したね。
 で、悟ったんだ。「世界」は知性と文学を恐れたんじゃない。「寂寞」を恐れたんだ。「世界」は子供達に生臭い世界を強いたんじゃない。あの限りなく散文的な空虚から守ろうとしたんだ。
 僕は今じゃ普通に高校を出て、普通に会社員をやってる。あんなのの世界に居るよりずっとマシだね。でもまあ、もう「寂寞」に出逢う事ももう無いんだろうさ。
 あれは中学二年生の、永遠に白い夏の事だ。
 それ以上でもそれ以下でも無い。


#7

新しい恋

変則的な休日がある。突発的だから計画が立てられない。また,頓挫した時の落胆が耐えきれない。今日も暇な休日で全く嬉しくはない。
家の中にいるのも悲しくなるだけなので,ケータイの機種変更をしに出かけた。このケータイには前の彼女との色褪せたプリクラが貼ってある。女々しくも半年経っても剥がせない。

「油っぽい」と告げられて別れたのが半年前。多汗症じゃなくって存在に対して。斬新な表現。
剥がせば,全てが無かった事になりそうで怖かった。縒りを戻せるとか考えてないけど、自分で消せる程気持ちは整理できていない。

奇麗な店員は熱心にケータイの説明をしてくれる。在庫が有るか奥へ確認に行った時、隣のギャル店員も「こんなのも有りますよ」と、赤い機種を紹介してくれた。メール使い放題のその機種はとても若者っぽく思えた。程なくして戻ってきた奇麗な店員が「それよりもこれの方がラジオが聞けて楽しいですよ」と、赤いケータイを取り上げた。するとギャル店員が「お客様はこれ気に入ってたんですよね?」と問いかけてくる。キョドった私は、うまく言葉に表せられない。
若者らしさを取るか,ラジオを取るか。奇麗な店員が熱心に薦めてくれたのだから,ご厚意に・・・いや、それじゃあギャル店員が適当な仕事をしているって遠回しに言っている風に取られやしないか?
フル回転で脳を動かしていると、次第に二人の店員が言い争いを始めた。
お互いのおすすめポイントだの、社員と契約社員の軋轢だの、仕舞には、

「なによ、この出っ歯ラクダ!」
「なにを、このガリガリパンダ!」

声を荒げる奇麗な店員の右手に握られている僕のケータイは、もう苦しそうな位にギュウギュウギュウギュウ握りしめられて,電池蓋の所に貼ってあるプリクラが「ベロン」って捲れちゃって「思い出!」って思ったけど、それよりも奇麗な女性が僕のケータイを力強く握ってる事に「がんばれがんばれ」って念じずに入られなかった。

それは、失恋を自分自身では忘れられないからって、誰かに力を貸してもらおうなんて事じゃないんだ。僕のケータイを握っているってことがなんか自分をすっごい好きって言っているみたいでドキドキしちゃった。


#8

お見合い

「久しぶり」
「本当に久しぶりだね、写真見たときはびっくりしたよ」
「俺だってそうさ、まさか見合い相手が麻美とはね」
「でも、浩一、上手だったね。今日、いかにも初対面ですって顔してさ、あれなら叔母さんも、私たちが知り合いだって全然気づかないよ」
「お前だって、役者だよ。化粧もうまくなったし、結構、男だましてきたんじゃないの」
「何よ、私にだまされたのは、浩一だけ」
「だよな、お前、高志と別れてから、すぐ見合いして、真顔で結婚するって言ったから、信じちゃってさ」
「真顔じゃなくて泣き顔でしょう、それに、正確には、結婚もいいかなって言っただけだったのに、みんなにメールしちゃってさ」
「ごめん、本当に悪かった。早とちりしすぎだったよな。」
「本当に、結婚すると思ったの」
「だって、相手は、一流商社のエリート。そりゃ、高志もいい奴だったけど、お前を泣かせたと思ってたから。」
「それで、『祝!麻美が結婚、高志を乗り越えた』ってメールを出して、ロンドンに行ったんだ」
「本当に悪かった。由紀に聞いたけど、お前が高志を振ったんだってね。それに、見合いも、まだしてなかったって」
「そうよ、失礼よ。それに、あれから、私たちには、全く音信不通でさ。」
「そうなんだ、ロンドンに赴任して、やたら忙しくなっちゃってさ。ようやく、日本に帰ったのが半年前。あれから5年が経ったんだよね。」
「そう、5年。浩一が、お見合いを受けるって聞いて、私のこと忘れたのかと思ったわよ」
「俺もだよ。でも、何で、叔母様に知り合いだって言わなかっの」
「自分だって、同じじゃない。上司の方に、『こんなきれいな女性とお会いしたいのは勿論ですが、実は、大学時代のバイト先の知り合いで』って言えば良かったのに」
「それはさ、えーっと、つまり」
「つまり、何」
「俺、麻美が泣いていた理由、高志を振った理由、ずっと考えてたんだ。それで、どうしても、本当のこと知りたくて。でも、普通の再会じゃ、こんなこと聞けそうになくて。それに・・・」
「それに、何よ」
「それに、俺、お前に言いたいことがあってさ」
「私だって、浩一に、話したかったわ」
「何だよ、それ」
「浩一こそ、先に言いなさいよ」
「じゃ一緒に、言おうか」
「じゃ、1.2.3で言うね」
「1.2.3、麻美が好きだ」「1.2.3、浩一が好き」

「え、今、麻美、何て言った」
「今日のお見合いは成功だね」


#9

1/10

俺は携帯が嫌いだ。

それは数日前、痛みに耐えかね起きると、目の前に男が立っていた。
金を吸い尽くしてやった男だ。
今は使われていない倉庫の中で、俺は椅子にぐるぐる巻きにガムテープで巻かれ、目の前の男と二人でいる。
男は狂気で赤黒くなった顔を近づけてきた。
「お前の体に、爆弾を埋め込んだ。スイッチは携帯と連動している。090-1*9*-*4*0〜090-1*9*-*4*9の末尾の一桁の10通り。今からお前に、0〜9の番号を選ばせてやる。さあ、何番だ?」
今まで俺に恐怖し、媚び諂い、俺の足元を這い蹲ってた奴が、勝ち誇った顔をしてやがる。
俺は今の現状に、恐怖より怒りを感じて、倒れこむように椅子ごと男に突っ込んだ。
面食らった男に、恐怖の表情が表れる。
その顔に頭突きを食らわす。
何度も……何度も……
血が飛び散る。それでも俺は繰り返した。

お互い顔中血だらけになった頃、俺は気づいた。
番号聞くのを忘れていた。
今更聞こうにも、聞けない男が地に横たわっている。

爆弾を手術によっても取り外すのが難しいと知った時、俺に恐怖が取り付いた。

俺は携帯が嫌いだ。
間違ってもこの番号にかけようと思うなよ。
俺が死ぬ前に、俺がお前を殺してやる。


#10

バラ

バラが咲くと思い出すのは、恥ずかしそうに、由紀に差し出されたバラの花。まだ、小学生で、五年生。クローバがいっぱい入った籠の中から、バラの花は取り出された。バラはクリーム色で小さい。亘君うさぎ飼ってて、草刈りの帰りだった。白いうさちゃんは赤い目をしていて、亘君からもらった草をおいしそうに食べていた。あの頃、由紀の方が背が高かった。
 中学でも亘君とクラス一緒だったけど、何か距離ができてしまって、昔みたいには遊べなかった。もうお互い子供じゃなくて、自然に振舞えなかった。何か怖いの・・。でも、人生はこれからって・・由紀は高校出てすぐに、年上の男性と結婚した。でもすぐ別れて、それから独りでいるうちに、もう四十。ほんと嘘みたい。年なんかとりたくない。
 同級会に亘君出てこないけど、いつも話題になるのは、結婚しないから、同級生の女の子の憧れだったから。・・
 田舎の交通って車に頼っていて、電車に乗るのは本当に久しぶり。お盆の日、用事を済ませて電車に揺られながら帰ってきた。駅のホームで、十人ばかり降りた人の中に、すてきな中年の男の人を見つけた。ジーパンと白いシャツで野球帽かぶってる。右手に旅行カバン。由紀、駆け出した。
「亘君!」
 亘君、立ち止まって、振り返った。
「由紀ちゃん!」
 亘君ひどく驚いた風で、でも昔と同じ笑顔で、何だか昔のとおりで、年取ったこと忘れてしまう。
「どうして車で来ないの?」って聞くと、「新幹線できたから、楽なんだ」って。昔の、小さい頃そのままの感じ。中学時代にふたりの間にあった、あの変な距離感はすっかり消えていた。一体あれって、何だったの? 本当、何だったのだろうか・・すっかり年取ったから・・それとも、年取るってこういうことなの?
 最近田舎は、道歩いてる人いない。二人並んで線路沿いの道を行くと、線路の垣にバラの花が咲いていた。ひとつだけぽつんと淋しく咲いていて、由紀バッグから小さなはさみ取り出して、パチンと切った。それから由紀、亘君見上げて・・何だかとっても照れ臭くて、少し赤くなりながら、バラの花、渡した。
 すると由紀、肩を強く抱かれて、驚く。それから、肩抱かれたまま線路沿いの道をゆっくり歩いて行った。バラの花は亘君の左手で揺れていた。バラはピンクで大振りだったけれど、少し傷んでいた。
 由紀、よかったね、バラ咲いてて、本当に・・。


#11

 季節外れな蚊に気付いたのは、その小さな羽音が耳のすぐ側をかすめたからだ。神経を逆撫でするような不快なその音は、だが、ひどく弱々しい。
 まるで油の海の中を進むようにゆっくりと、ふらふらと進む蚊は仲間とはぐれ、季節と一緒に取り残されてしまったのだろう。まったく、不器用なやつだ。
 その蚊が疲れたように自分の右手の甲にとまるまで、コウタはぽかんとその様子を見つめていた。蚊の呼吸など感じられるはずもないのに、やっと落ち着く場所を得てほっと溜息をついたように感じた。そうして、自分が何者であるのか思い出したように蚊はコウタの皮膚を刺した。痛みと言うのも馬鹿馬鹿しいくらいの刺激に、コウタは、はっと我に返る。反射的に左手を振り上げ、打とうとした。だが、その手は振り上げたままとまってしまう。
 のろのろと動きの遅い蚊は、まだ懸命に血を吸っていた。
 恐らく、もうすぐこの蚊は死ぬ。
 なんとなく、そう思った。だとしたら、わざわざ自分がここでとどめをさすこともないような気がする。仲間からはぐれてふらふらと漂って痩せこけていた身体には、今コウタのあたたかい血が腹一杯に飲込まれているのだろう。せめて、自分が今感じている希有な感覚、その感覚を認識する忍耐力に見合うだけの満足感を感じていればいいと思う。
 ようやく血を吸い終えた蚊は、またふらふらと飛び立っていった。強い西日に反射して、その姿はすぐに見えなくなってしまう。
 ふと気付いたようにパウリーは燃えるような痒みを覚えて、振り上げた不自然な位置のままであった左手で乱暴に右手の甲をかきむしった。赤い引っ掻き傷ができる。
 その時だった。背後で、パチンと大きな音がした。振り返る。そこには、両手を合わせたシンイチの姿。
「刺されたのか? まったく頓馬なやつだな」
 自らの手の中を覗き込んでその小さな虫をしとめたことを確認したシンイチが、コウタを一瞥してそう言った。いつもの、小馬鹿にしたような口調。だが、コウタはいつものようには怒鳴り返さない。
「うるせー」
 静かに、そう呟いて唇を噛み締めた。眩しそうに夕日を睨みつける。それはもう、秋の太陽だ。夏は、終ったのだ。
 馬鹿馬鹿しい。手の甲の腫れはじんわりと広がったまま赤く疼いている。妙な胸中のもやごと吐き出すように、コウタは大きな深呼吸を繰り返した。


#12

月と星の光の下で

 電話が鳴った。部屋の電気もつけずに夜空を眺めていた俺は、月明かりに照らされて光っていた受話器をとった。


『夜代月光』
 日本人の名前にも色々あるけど、自分の名前ほど特殊な人に会ったことはなかった。俺は「やしろつばさ」。『月光』なんてつけたもんだから、幼稚園、小学校の名簿の中じゃ一番の有名人だった。この字を見て「つばさ」なんて読めたやつもいない。
 そんな俺の名前が一番じゃなくなったのが、中学校の名簿だった。いや、一番には変わりなかったのかもしれない。けど、少し違った。…つまり、セットで一番になったんだ。
『夜太星光』
この名前が名簿の俺の下の欄に入ってきた。「やたいほたる」と読むらしい。まぁ普通「ほたる」とは読めないけど、「つばさ」よりは、ましか。
 
 名前順に座ってるわけだから、後ろの席のやつか、と思った俺は、何気なく振り返った。そこで俺に気付き微笑んだのは、まさに『星』の使者だった。――…一目惚れだった。
「よろしくね」




 中学3年の3月。俺はとうとう告白した。名前のせいで、いや、名前のお陰で、周りからひやかされる事が多かった俺たちだったが、実際は付き合ってはいなかった。眼をつむって頭を下げる俺に、
「よろしくね」
という声。眼を真ん丸くして顔を上げた俺に、星の使者はあの時と同じように微笑んだ。
 



 付き合って3年目の記念日に、星の使者は泣いた。泣き顔を見たのは初めてじゃない。感動的な映画を見た時だって、二人の大好きなお笑い番組を見た時だって泣いていたから。でも、悲しそうな泣き顔は、喧嘩したトキ以来だった。最近元気がないのには気付いていたのに、結局俺は何も出来なかった。次の日の夜、星の使者は、旅立った。遠い国へ。俺の知らない遠い国へ。



「ちょっと、つばさ、聞いてる?」
受話器から聞こえる高い声。
「聞いて、」
るよ、と答えようとした言葉を高い声が遮る。
「そだ!今夜はそっちも晴れだよね」
「あぁ」
「月、見える?」
「あぁ、星もキレイに見えるよ」
今夜の月はね、と楽しそうに話しだした声を今度は俺が遮る。
 「なぁ、ほたる」
 「…何?」
話を遮られて少し声を曇らせたのが伝わってきたが、俺は気にせず言葉を続けた。

 「今年の夏、こっちで結婚すっか」

静かな月明かりのキレイな夜。自分の声が部屋と受話器の向こうで響いた。しばらくの沈黙。
今日はあの日から8年目の記念日。星の使者は、泣かずに、笑った。
 「よろしくね」


#13

歌う惑星

 地球に似たこの惑星には、石器時代程度の文化を持ち家族や社会の概念を持つ知的生物が棲んでいた。彼らは全身が鱗に覆われ、背中に退化した小さな甲羅を背負っていた。ゴトー博士は、助手のロボットと共に、密林の奥地に棲む特に希少な種族を研究していたが、不慮の事故で死んでしまった。私は政府の技官で、博士の研究所を閉鎖するため派遣された。研究所に残っていた助手のロボットはブルネットに藍色の瞳をした美しいヒューマノイドで、マリナと名乗った。
「マリナ、この研究所を閉鎖し、君の電源を切って長期保管用のケースに収納する」
「了解しました」
 ロボットに対してそれ以上の説明は無用のはずだったが、私はなぜかもう少し話したい気持ちがした。
「いずれ誰かがこの研究所を引き継いて、また君に仕事を与えるだろう。君は、待つことは苦痛じゃないだろう?」
「はい。苦痛ではありません」
 博士の研究資料を整理しているうちに日が暮れて、森のほうから賛美歌のような美しい歌声が聞こえてきた。希少種たちは歌う。彼らの言葉は歌なのだ。私はマリナを連れてハッチの外に出た。星空の下美しい音楽が続いた。
「なんて言ってるんだろう」
「友だち、また会いましょう。また会いましょう」
「言葉がわかるのかい?」
「ゴトー博士は私に言語解析ソフトをインストールされました」
「君は、ゴトー博士をどう思ってた?」
「ゴトー博士は優しい人でした」
 ロボットに感情があるように見えることがある。亀に似た奇妙な生物の言語や文化に夢中になる奇特な科学者もいる。まるで人間以外にも精神性があるかのように。現代では、そのような素朴なアニミズムは完全に否定されている。ロボットが時として人間らしい言葉を覚えるのは、そのほうが仕事の効率が良いからに過ぎない。私はそう自分に言い聞かせた。
「マリナ、そろそろ君を収納するよ」
「はい」
 私たちは研究房の中に戻った。棺桶のようなケースにマリナを横たえた。
「おやすみ、マリナ」
「おやすみなさい」
 マリナは目を閉じた。私は彼女の電源を切り、ケースの蓋を閉めた。マリナはこのまま廃棄されるだろう。人類の大規模な植民によって、希少種だけでなくこの星の多くの生物がまもなく絶滅するだろう。ゴトー博士はそのことに強く反対していた。彼は異端者であり、国家の敵だった。
 ふと気付くと、希少種の歌がやんでいた。再び外に出ると、辺りにはただ黒々とした闇が広がっていた。


#14

テープレコーダー

 塔の最上階で空を眺めていると、美しい声が聞こえた。
 耳を澄ませる。
 美しい泣き声だった。
 空よりもずっと青く淡い色、それを思わせるとても美しい泣き声。
 空を眺めるのをやめ、テープレコーダーを持って、あたしは塔を下り始めた。
 人々が忙しそうに行き交う駅前の雑踏にたどり着く。ガラスが割れていて日の光にきらきらと輝いていて、その上を人々は歩き、ガラスはさらに粉々に壊れ、信号が変わり、一斉に走り出す車、しかしそれでもあたしには何も聞こえない。ずっとずっと、あの美しい声しか聞こえない。歩き回る。歩き回る。太陽の下、あたしは歩き回る。
「どこへいくんだい?」
「聞こえないの? この泣き声」
「ああ、聞こえているよ。今日はいい天気だね」
「さよなら」
 歩き続ける。
 線路脇の狭い路地、電車がのろのろとあたしを追い抜いていく。のろのろと視界から消えていく。見えなくなる。公園には噴水があり、そばにしゃがみこむ。日傘を持った老婆はあたしにハンカチを差し出した。泣いているのはあたしだろうか。あたしだったのか。違う。あたしは泣いていない。汗一つ描いていない。ハンカチを受け取る。老婆はふらふらと歩き続ける。ベンチに座っていた紳士に、彼女はハンカチを差し出した。
 美術館を通り抜け、海岸を歩く。
 波打ち際のあの病院へ、あたしは入る。
「調子はどう?」
 母の病室に入り、声をかける。リンゴを剥いてやり、手をさすってやる。
「調子はどう?」
 母は何かを答えた。あたしには泣き声しか聞こえなかった。
 病室から出て、再び海岸を歩く。
 ふと振り返る。
 母の病院は目に入らなかった。
 目の前には怪物が居た。
 ぐちゃぐちゃでめちゃめちゃな色彩の、どうしようもない形状の怪物が、そこに居た。
 怪物は泣いていた。
 あたしはテープレコーダーのスイッチを入れ、怪物に向かって歩き出した。
 良かった、本当に良かった。こんなに近くでこんなに美しい声を聞けて、本当に良かった。
 怪物はあたしの肩に両手をかけた。頭がゆっくりと開き、まばらにならんだ長く鋭い牙が見えた。少し怖かった。が、声をあげることだけは出来なかった。こんなに美しい泣き声をとっているのだから、それは出来ない。震えながらもこらえた。
 怪物は泣いていた。慰めて欲しいのかもしれない。怪物の頭がゆっくりとあたしの喉へとかかる。寂しそうに震えながら。
 あたしは声を立てない。慰めもしない。


#15

コロティの想い出

急停車と同時にドアが開き、女が飛び出す。運転手は「ちぇっ」と呟いて発車した。私はその場に居合わせた。6歳だった。

女は両手に豆腐を持っている。それは生のままで、そのために彼女の手はぬれていて、豆腐は今にも地面にこぼれおちそうだった。

「あの。お姉ちゃん」
「なによ」
「どうしてトウフもってるの」
「ボクには関係ないのよ」
「もったいないよ」
「仕方ないの。子供にはわからないことなの」
「子供じゃない」
「いくつ」
「6歳」
「子供よ」
「マーボードーフつくれるのに?」
「嘘でしょ」
「ほんとだよ。うちくる?」
「お母さんいるんでしょ」
「いないよ」
「ほんとに」
「ずーっといない」
「名前は」
「J」
「J? あは。探偵みたい。あたしT」
「T、早くしないとトウフ悪くなる」

私は女を家に連れて帰った。

「さあ、作ってもらおうかな」
「うん」
「ほら」
「嘘なんだ」
「嘘?」
「うん」
「どうして嘘なんか」
「だって」
「仕方ない、冷蔵庫は? あ、挽肉あるね。味噌と砂糖に塩でしょ。なんとかできそう」

私はご飯を温め、女はマーボードーフをつくり、二人で食べた。女は「ちょっとごめんね」と涙を流し「あたし間違った結婚しちゃった。でももう遅いの」と独り言のように呟いた。私は黙って食べた。おいしかった。

「帰るよ」
「帰れる?」
「どうせ待ってるだろうし」
「僕と」
「ん?」
「僕と結婚しようよ」
「あは。それは未来の恋人にとっててあげなさい」
「いやだ」
「じゃあJに魔法かけてあげる」
「魔法?」
「コート・ロティ」
「コロティ?」
「ん。覚えとくのよ、じゃあね」

その日から20年。私は恋人を一人もつくらなかった。時々、豆腐を持っていた女のことと彼女が私に残した魔法を思った。「コロティ、コロティ」

ある日ブック・バーへ出かけた。ここは本を薦めてくれる酒場だそうだ。店に入るとカウンターで女が一人で飲んでいる。当然本を話題に酒を飲む。私は森有正と水上勉の関連性について語った。
「その組合せって、ドライブに豆腐を持って行くようなものよ」
「豆腐?」
「そう」
「ドライブに豆腐?」
「ん。それがどした? あ、ワイン、コート・ロティなんだけど一緒に飲まない?」


「あなたは、あなたは!」私は思わず席を立っていた。
「ど、どしたの」
「魔法なんだ。豆腐とドライブそれに、それにコロティ」
「よくわからないけど、変な人」
「T、魔法を解いたぞ」
私の呟きに女はこうこたえた。

「よくある、本当によくある話よ、J」


#16

姉が太陽を飲み込んだ

(この作品は削除されました)


#17

物言わぬ彫像の前で(ナペチャ王物語)

 『ナペチャ王』という題の彫像の前に着いた。豪奢な鎧に老体を包み、頭には小振りの冠を載せているが、どこか不釣合いな印象である。両手で杖をついたこの像は俯いていて、見上げていた私と目が合った。
 そこへカイゼル髭の紳士が現われ、この彫像について語ってくれた。

 ナペチャは羊飼いの一人息子として生まれた。彼の母はナペチャを産み落とすのと引き換えに二十歳の短い生涯を終えた。
 頑強な父の元で一人前の羊飼いとして成長したナペチャが十九歳になった日に、二十年続く事になる戦争が始まった。やがて、父はエルヌイの将校として迎えられ村を出て行った。父は傭兵だった。エルヌイの司令官の戦友だった。
 ナペチャのいる村まで戦火が延びて来たのは彼が二十七歳の時だった。既に妻を持ち、病気勝ちの六歳になる娘がいた。開戦から八年が経ち、戦線は大きく西へと動いていた。村はエルヌイからゴーゴンの領地となっていた。
 三十六歳のある日、ゴーゴンの国王が病死したのを機にエルヌイ軍が村を解放した。その隊を指揮していたのが六十三歳になっていた父だった。十七年振りの再会を短く祝うと、父はすぐに村を出て行った。
 その三年後、戦争の終結と入れ替わりに、疫病が村を襲った。まず娘が倒れ、看病していた妻が次に倒れ、間も無く二人共がこの世を去った。娘の婚約者だったいつかの解放軍兵士も、埋葬を見届けると村を去った。
 一年後、戦場で病死していた父の葬儀が国葬として営まれた。ナペチャは召抱えられ、宮殿に住む事になった。そこで彼は学問を修めた。
 六十二を数える頃には、ナペチャは参謀として隣国との領地争いに奔走していたが、この頃のエルヌイは、ゴーゴンと同盟を結んだマデランとの小競り合いや、西からのバイ族の襲来などで優秀な将校らを相次いで亡くしており、嘗ての大国の姿を留めてはいなかった。エルヌイは、ナペチャと、ハムブラム二世以来の名君になるであろうと期待された若き現国王オラハムシ五世とのたった二人によって維持されているようなものだったが、国王が散策中に落馬しそれが原因で亡くなると、エルヌイは一年足らずで瓦解した。
 この彫像は、突入して来たマデランの兵隊を玉座で迎えたナペチャの姿を現したもので、その格好が王の物だった事から、後に『ナペチャ王』と称された。

 語り終えると、紳士は消えた。
 私はもう一度『ナペチャ王』と視線を交わし、この場から去った。


#18

特に意味なし=人間

ところで君は、今この瞬間に人生を左右する決断を迫られたらどうする?
僕は恐らく慌てふためき、うわあどうしよう困った困ったと混乱してしまうだろう。考えなくても分かる。人間には2種類の人間がいて、1つは何事もズバズバと正直に物事を決めていく人間。もう1つはよく回り道をして、迷い、悩み、苦しみながら生きていく人間。僕は典型的な後者で、我ながら格好悪いなぁと思っているのだが、一方で前者のような人間になりたいともあまり思わないし、親しくもなりたくない。 
 この世に生きる人間のほとんどは、僕と同じく後者のような人間だ。あまりハッキリと物事を決められず、何事も用心深く行動をする。考えすぎだと言ってしまえばそれまでだが、それ故に人間らしいではないかと僕は思う。
 しかし当然のコトながら、そんなハッキリしない人間にも、唐突に重大な決断を迫られるコトがある。
 僕の友人が面白い体験をしたので聞いて欲しい。
 彼はNと言うのだが、そのNがある日会社の同僚からこんなコトを言われた。
「あ、お前来週中国へ飛ばされるらしいな」
この言葉を友人から聞いた時、Nの頭には色々なコトがぐあッと沸いてきたらしい。中国へ飛ばされる?この俺が?まさか中国地方のコトではないだろう。家族は?老後は?ああどうしよう困った困った。
 そんな風に混乱しつつ、Nの考え出した選択肢は2つ。大人しく中国へ飛ばされる。クビ覚悟で完全拒否をする。50年後のコトまで視野に入れ、Nが悩みに悩んで考え出した結論は、どういう訳か「思い切って少年時代の夢だった小説家を目指す」になってしまった。
 人間という生物は基本的にヒネクレていて、追い込まれると驚くような大胆な行動に出る。今回のNもそのパターンであった。
 
 そして数日後、Nが会社側から受けた命は次の様なモノであった。
「今度から3日間、中国の支店の調査をして来てくれないかな」
 全く馬鹿みたいな話だ。Nが老後のコトまで考え、覚悟を決めて決断をしたというのに……。しかし当のNはこれを聞いて、おおいに喜んだ。いかに強く決断しても、結局当り障りの無い所が1番安心できるのである。いやつくづく馬鹿みたいな話だ。

 しかしその馬鹿さ加減が、人間らしいと思うのだが。
 
 面白い話と言ったが、案外意味の無い話だった。いや本当に無意味な話だ。誠に申し訳ない。

 でもその無意味さが人間らしいと思うのだが。

 


#19

 人から縄を貰った。首を括るには少し長すぎるように思えたので、恋人を縛ってみることにした。気分を出すためにまず目隠しをしてから縛り始めた。どうやら恋人には素質があったらしく、普段はひどく冷たい肌がすぐに火照り始めた。「身体、熱くなってるよ」と言うと、少し身を捩って、可愛らしく頬を赤く染めた。後ろ手を縛り終えると、恋人はそうするのが当然のように、脚をM字に開いて、蹲踞の姿勢になった。僕はベッドを降り、床に正座して恋人を見上げた。亀甲の模様を形づくった縄が軽く肌に食い込み、やや乱れた髪が黒い目隠しの上に垂れ、唇をやや開いて俯いているその様子は、いやらしいとか滑稽だとかいうのでなく、不思議な尊厳さみたいなものがあって、そう、まるで仏像のようだった。
 ほとんど恍惚として見上げていると、唐突に恋人が「あ!」と声をあげ、ピュっと、僕の両頬に水みたいなものがかかった。なんだろうと訝しく思う間もなく、再び恋人が「ああ!」と声をあげると、僕の頬はまた何かに濡れた。見れば、恋人の大事な処から水流が迸っていて、食い込んだ縄が、ちょうど水流を勢いよく二分しているのだった。恋人はもうとまらなくなってしまったようで、「あ! あ!」と声をあげながら、僕目掛けて放水し続けた。尿というには透明で匂いのないその少ししょっぱいような液体を僕はほとんど敬虔といえるような気持ちで浴び続け、耳や鼻や口から、身体のなかに這入ってくるに任せた。やがてそれは僕の身体のなかで、如来や菩薩と姿を変え、経文を唱えながら僕の身体を駆け巡っていった。経文は仏の口から出ると漢字や梵字となり黒い筋のようになってゆらゆらと仏のあとに棚引いていた(如来の口からは梵字が、菩薩の口からは漢字が出てくるようなのだけど、何故なのかは僕にはわからない)。
 不意に痛いくらいに勃起していることに気がつくと、激痛のような快感が背を駆け抜け、ドピュっと射精した。床に零れたその精液のなかから、大日如来や弥勒菩薩が次々に這い出してくると、経文を唱えながらゾロゾロとベッドに這い上がっていき、恋人の股間に食い込む縄の隙間から恋人の身体のなかに這入っていってしまった。目隠しをされたままで、何もわからないであろう恋人は突如侵入してきた異物に、「あ! 」と切なげに声漏らし、勢いよく放水した。それをもろに受けた僕は堪らず、「昇天! 昇天!」と叫んで、また射精した。


編集: 短編