# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | ぞろぞろ | 桑袋弾次 | 1000 |
2 | 沈黙の糸 | 中野ましろ | 777 |
3 | また夏がくる | めだか | 1000 |
4 | クリックせよ | 千葉マキ | 1000 |
5 | 彼岸のバス停 | 狩馬映太郎 | 997 |
6 | I looked at the angel | EMI | 1000 |
7 | ビバ!弁慶 | さいたま わたる | 1000 |
8 | 宇宙人はどこにいる | 朝野十字 | 1000 |
9 | 妄想世界 | 沙海 綾彦 | 999 |
10 | 人を喰った奴 | とむOK | 1000 |
11 | 閃光 | 那須斗雲 | 974 |
12 | 方舟 | 神崎 隼 | 1000 |
13 | シングルマザー | ゴーヤベイベー | 680 |
14 | 夏の葬送 | 佐倉 潮 | 686 |
15 | 溶けちゃった雪だるま | 水島陸 | 646 |
16 | 電車がまいります | 真央りりこ | 1000 |
17 | オクトパシー | 宇加谷 研一郎 | 1000 |
18 | ぼうぼう | くわず | 1000 |
19 | 睡眠薬とジャスミンを入れ過ぎた、まるでくだらない冗談のようなアフタヌーンティーを飲みながら | るるるぶ☆どっぐちゃん | 1000 |
20 | セルロイド | 曠野反次郎 | 992 |
「ふもとの寺から応援要請、二泊三日の出張を命ず」
突然に、本部長からのメール。出張旅費代わりのわらじを鮫島さんから受け取って、男は山道を下っていった。
男は、ふもとの寺のことは何も知らなかった。しかし、事務所も男の住まう小屋も、山ぜんたいが寺の所有と聞いて、男は後ろめたい気持ちを抱いた。まいにち、小屋のまわりに生えるヒノキの、一番やわらかい部分を削っていたからだ。
「あら、面白い形。これ、なにに使うの」
男がかばんの底から取り出した張形を尼僧たちは食い入るように見つめた。
「なんだか懐かしい形ね。ちょっと触ってもいいかしら」
「若いころはこういう形のものでよく遊んだわね」
「ここの、エラみたいに張ったところをきゅっと締めてあげると、男のひとはとても喜ぶのね」
かわるがわる手にとって、さすったりしごいたりしながら尼僧たちはしずかに笑った。
男は、集まってくる尼僧たちの張形を作ることにした。聞けば20年にいちどの大法会だという。後ろめたい気持ちに菩提心も重なった。工具一式を鮫島さんに電話で頼んで、さっそく仕事に取りかかった。既製品は作らない。一本一本、使うひとのからだに合わせて彫りあげるのが、男のやり方だった。
まずよく洗い、毛を剃る。指で丹念に形をなぞり、挿しいれ、肉襞の細かいところまで、濡れ具合、締め付け具合をその形状とともに確かめる。
場合によっては、自分のものを入れてみる。入れてみないと求めているものがわからないこともある。禁欲生活が長いせいか尼僧たちは、入れてみないとわからなかった。
いったいどれだけのおまんこをやっつけたのか、朦朧としてきた明け方、そのリズミカルなお肉の収縮に記憶の底をくすぐられ、じっと顔を見つめれば、頭を丸めた鮫島さんが、
「列に並ばないとあなたに会えないと言われて」
言いながら、ぎゅんぎゅん男を締め上げる。
「でもここは、あなたの来る場所じゃなかったの」
襖のあちら側で、順番待ちの女たちがいらいらと畳をむしっている。
「ここはふもとの寺、じゃなくて、ふともも寺、なのね」
不意をつかれて男は中出しした。鮫島さんはそれをぎゅっと搾り取るとすばやく立ち上がり、二つの石を激しく打った。火はみるみるうちに襖をつたって天井をなめ、二人が逃げ出すころには寺ぜんたいを包み込んだ。それでも女たちは、燃えさかる炎を祝うかのようにぞろぞろと、乾いた街のほうから集まってきた。
「朝っぱらからうるさくしないでよ」
“いってきます”を催促する母に言い放った一言。あたしの言葉。
電車の中、授業中、お弁当、ずっと頭からこびりついて離れない。
案の定、夕方のリビングは沈黙の糸が張り詰めていた。
野菜を炒める音。食器が擦れる音も、レンジの電子音もそう。いつもは特に気にも止めない生活音が、今日だけは特に耳につく。
この妙な雰囲気をごまかしたくて、テレビをつける。どんなことにも甲高い声で過剰に反応するタレントも、芸能人を面白おかしく批評するキャスターも、何か違う。
あたしがうるさいなんて言ったから―――答えはもう出ている。
逆の立場であれば、きっとあたしは口をぎゅっと結んですべてに投げやりになってしまうだろう。それなのに、「あそこが一番」って言ったメロンパンも、クッキーも、いつもと変わらないでそっとテーブルに置かれている。
自分がしてしまったこと、それでも変わらない愛情を注いでくれる母。自分の不甲斐なさが身にしみる。
「ごはん、食べなさい」
無言で食卓についた。野球中継のキャスターの声だけが、その場を満たす。
もし、今振り向いてくれたら、ごめんなさいって言えるかな。だけど、じっとあたしが見つめても、絶対にこっちを見ようとはしないのがわかる。食べるスピードがいつもより早い。今日だけ、気づいてしまう。
ごめんなさい。朝はごめんなさい。今日の朝・・・すみません。
なんて言えば伝わるだろう、あたしの気持ち。
「・・・ぃ。」
口に食べ物を含んだまま、もごもごしながら、やっと自分が聞こえるくらいの“ごめんなさい”を言った。
今、気づいてくれたら・・・・、言えるのに・・・。
「ごっ・・・・。」
なんではっきり言えないんだろう。
「・・・なさ・・・。」
「・・・・・。」
普段は言えるはずの言葉が、でてこない。歯がゆい。苦しい。
心の中で、そっと歯を食いしばって泣いた。
ありったけの色のちがうみどりを、折り紙に小さく千切ってばらまいたような葉々が、落ちつかなくなる清んだ風のゆらめきにのせた薫りのなかに浮かんでいる。からだをやや少しおこすと焦点のきまらない先に、ほんとうは赤く紅なのに白くみえる、さくらの小さな5枚の花びらには、青い空からくっきりとしたふちどりがある。ひとつ、そしてまたひとつと、やがて歩みに合わせて花たちが、離れるにつれて重なり集まるけれど、ぼんやりと、そのふちどりをどこまでも見失うことなく見別けることができる。それをとおして見あげた空から、桜もちと草もちがあまって落ちてくるかと、ポカンとあけた口元がはずかしく、少し息を切らしてあがってきた坂道をふりかえり、ふと、遠く街までつづく丘の向こうに、高架を滑るように走る電車がかわいらしくみえる。それにしても、見あげるたびにしずかに立つ姿に見惚れてしまう。
その丘のなだらかにつづく坂の途中には、いつもいく図書館の近くに、新緑のにぎやぐ五月になってもなお咲きつなぐ一本のこの大きなさくらの樹があった。
まだ子供だった頃、ここで知り合った子と、この樹を見ながらたくさんお話しをした。
「さくらの歌、知ってる?」
「どういう歌?」
「白い布が衣替えではためいて、さくらの花が山に広がっているみたいだな、ああ春が終わって夏になるという歌」
「それ、さくらなの? ちきゅうがあたたかく、なってるからかな……」
「さあね。でも、この樹のことだと思って」
あたたかい陽ざしをうけて、かがやく澄んだひとみで見あげているから、この樹の白やら空の青がその横顔にもおりてきた気がする。むかしの人もこうやって、さくらをながめていたのかなと想う。
今になって、歌のつづきを知る。
「そうやって咲き継げては、この春に色とり取りに咲く花たちを、ひと花ごとに語り伝えてきたのかな。こんな話もあなたが散ると、できる相手さえいなくなる」
あの時、何かを約束したような気がするのに忘れていて、それを思い出せないのが悔しくて、しらべ物をしていると見つけてた。するとあざやかに、あの子の声がよみがえってきて、それに誘われるようにして、ここでさくらを見あげている。この丘の上から、おだやかな電車の動きを見つめれば失ったなにかを思いだせる気がして、さわやかな晩春の風がその気持ちを青い空へと連れていってくれると、花びらが舞い、そしてまた夏がくるのだなとおもう。
今年の春、俺はIT関係の新入社員になった。
だが、自宅にパソコンは無くワードやエクセルは初心者だ。
そんな俺に必要なのはソフトを完全にマスターすることだった。
おもいきってパソコンを買いに出かけ、あちこち店を見たが見つけることが出来なかった。
途中、お腹が空き飲食店を探しに行く。
賑やかな電気街を離れ、歩いていると近くの電信柱に、
「この先、パソコン有り、細い道を右に曲がれ」と書いてあった。
俺は凄く気になり、細い道を右に曲がった。
すると、そこには赤い看板に「クリック屋」と文字が書かれている店があった。
薄汚れた店で客の気配は無く、無気味な場所だった。
俺は店の扉をおもいきって開けた。
店内にはパソコンが3台しか無く、部品らしき物とガラクタのような物が置いてあった。
どこのメーカーなんだろうとパソコンを見ていると何か後ろに気配を感じた。
「いらっしゃいませ」と年老いた男の店員が言った。
俺はびっくりして爺さんの顔を見ると優しく微笑んでいた。
「何かお探しですか、お客様?」
「パソコンを探してるんです」俺は少し震えた声で言った。
「そうですか、お予算はどれくらいでしょうか?」
「なるべく安めでお願いします」
「では、こちらの商品はいかがでしょうか、こちらは初心者の方に大変お勧めですし、今ならワードとエクセルが付いてますから満足すると思いますよ、どうですか?」
「えっ、ワードとエクセル付いてるんですかぁ?」
「はい、大変お買得だと思いますがねぇ」
値段は30万円。
高いのか安いのか俺には分からなかったが、ソフトが付いてるなら仕事が上手くいくかもと思い購入した。
翌日、パソコンが届き、説明書を読みながら準備した。
普通に起動され、ワードもエクセルも普通に使用出来た。
だが、怪しい物を見つけた。
幾つかのアイコンの中に赤いアイコンが点滅している。
説明書を読んでも、そのアイコンについては書いて無かった。
ビクビクしながら俺はそのアイコンをクリックしてみた。
すると、勝手にパソコンが終了して真っ暗になった。
壊してしまったのかと思い、説明書を読んでいた。
「クリックしましたね?」と小さな女の声で俺に繰り返し話し掛けてくるのが聞こえた。
すると突然、
「おめでとうございます大当たりです、インターネット使い放題、電気代も無料です、こんなこと他ではありません」
そして、勝手に起動され画面には「クリックおめでとう」と写し出されていた。
一年振りの改札を出ると、駅前の広場は優しい季節に包まれていた。
「暑さ寒さも彼岸までか――」
まったくうまく言ったものだと感心しながら息子の上着を剥ぎ取ると、脱皮を終えた吾が五歳の成虫はバス停前のベンチにぷいっととまった。
ベンチでは先客が羽を休めていた。まばゆい麻の上下に身を包み、杖の柄を両手で握る一人の紳士。その後姿にふと花柄の木彫りのループタイが目に浮かんだ。
「よく覚えてたなぁ、このベンチ」
「うん」
去年と同じベンチに座る息子の頭を撫でながら、そっと麻の紳士の胸元を覗く。実直に天辺まで締められた花柄のタイが今年も光っていた。何年ぶりだろう。
私はポケットからラミネートを出して子供に渡した。私のお手製ゲーム機が彼の最近のお気に入りである。画面も動かなければ音もしないその極薄ゲーム機を、息子はピコピコ言いながら操作しはじめた。その奇妙なおもちゃと息子の夢中な様に、麻の紳士が口を開いた。
「坊や、いいの持ってるねぇ」
息子は返事もせずに熱中している。
「最新型のゲーム機をあんまり欲しがるもんでね、広告を切り抜いてラミネートしてやったんですよ。何でも彼んでも風呂に持ち込んじまうんで、これなら濡れても大丈夫ってね」
「ほー、お父さん考えましたな。よかったな坊や」
時間が少しだけ止まったかのように、麻の紳士は息子の姿を眺め続けた。
「坊や、幾つだい?」
「五歳っ」
「そうか、五歳かぁ。そりゃよかった」
顔も上げず答える息子に、紳士は満足そうな顔で頷いた。
バスは思ったより早かった。
「お先に失礼しますね。バス、来ましたので――」
ゲームに夢中の息子を急かした。
「おじいちゃんち行きのバス来たぞ」
「バス? 乗るの?」
「そうだよ。だからおじさんに挨拶しなさい」
「ばいばい、またね」
紳士に手を振る息子に、ふと私は思い立ち彼に耳打ちをした。少し渋る小さな頭にもう一度耳打ちすると、かなり躊躇いながら麻の紳士に駆け寄った。
「おじさん、これあげる」
紳士はラミネートの薄っぺらなゲーム機を手に戸惑いながら頭を下げた。私は息子を抱き上げながら紳士に声を掛けた。
「それなら雨に濡れても大丈夫ですよ」
最後部の席に息子を座らせ振り返ると、すでに紳士のバスも後に止まっていた。ゲーム機をポケットにしまう彼の片手には、いつのまにか花束が握られている。扉の開いた寺町行きのバスに、麻の紳士はゆっくりと乗り込んだ。
肩甲骨は、生まれる前は天使の翼だったのだよと、キリスト教徒だった祖母はいつも言っていた。今の僕は、決してそんなことを信じる事はないのだけれど、それを聞いた当時は嬉しくて、「僕は天使だ」とみんなに言いふらしていたものだった。
関係ないのだけれど、肩甲骨の「肩甲」は、「健康」だとずっと思っていた。何せ、小学6年生から中学1年にかけてまでそう思っていたのだから、よほどのことだと思う。しかし、何故天使の羽が「健康」なのだろうと考え、よく調べてみると、自分の犯している過ちに気がついて、恥じた。
祖母が死に、成長して一人身になった僕は、祖母が教えてくれた翼のことは忘れてしまっていた。
ある、夏の日の出来事だった。
東の空には入道雲がもくもくと立ちはだかっている。蝉の声が、僕をイライラさせた。そして、窓から見える空の中心に、何かが飛んでいた。最初は鳥だと思ったのだが、手足が6本あるように見える。よく見ると、小さな子供で、手足かと思われたもののそのうち2本が羽だった。
天使だ。
しかし、僕はそれを暑さのせいにした。
そんなものがいるわけないか。
きっと今日は夕立だなとため息をつきながら、僕はメンズ雑誌に目を戻した。
雑誌に飽きた僕は、それを投げ、再び窓の外を見た。
強い日差しを当てられているアスファルトの路頭に、白いワンピースを着て、つばの大きな白いキャベリン帽を被った若い女の人が立っていた。多分、僕と同じくらい。太陽が不似合いな白い肌をしていて、日傘までもが白かった。日差しが異常に強いために、眩しいほどに輝いて見える。僕はその姿を、ただじっと見つめていた。
彼女は僕がいるのに気づき、にこりと微笑むと、「すみません」と話しかけてきた。
「このあたりで、羽の生えた子供をみませんでしたでしょうか」
僕はこの人を、真っ先に天使だと思った。
さっきのあれは、幻覚ではなかったのだろうか。
僕が黙っていると、「見ませんでしたか?」と彼女はさっきよりも口調を強くして言ったので、僕は思わず怖くなり、「いや、見ていないよ」と言ってしまった。
「そうですか」
彼女は残念そうにしながら、しなやかな足取りでその場を去っていった。
僕は、天使を見た。
と言っても、誰も信じてくれないだろう。
僕自身、信じられないのだから。
本当に、一瞬の出来事だった。
僕は肩甲骨を誇らしげに想い、窓の前で、大きく腕を広げた。
義経一行は安宅の関へ差し掛かった。弁慶は背中の主を降ろし、主従十二名を睨め回す。
「では打ち合わせ通り、よろしく頼む」
つまらなそうに義経は山伏姿に身をやつす。その傍らでは弁慶、白粉を顔中に塗りたくり、慣れた手つきで隈取っていく。
「おい武蔵坊。早くしなよ。関守の白面野郎がいらついてるぞ」
「急かすな次郎、やっと回ってきた主役の座だぞ」
「どうせ俺たちゃいつも脇役さ、っとなんだ、おかしいな。さっきから忠信の姿がみえねぇな……うわっおお御曹司っ」
あわわあわわと三郎が義経の背後を指差すその奥に、三升の紋付に大太刀を佩いた若武者がひとり、そして大音声。
「しぃぃばぁぁらぁぁくぅぅ」
どたどたと足踏み鳴らし、舞台中央へと歩を進める。悠然たる姿に目を奪われたその瞬間、関所の中央階段から狐忠信がポンと飛び出す。
「権五郎、のでる幕、ではないんだなこんちきしょのこんこんちき」
なにおぅと権五郎太刀を抜き構え、くわり目を剥き、黒衣に支えられての大見得。
「おお、でっけぇ」
駑鈍権五郎をあざ笑うかの如く、所狭しと跳ねる狐忠信。出番を完全に失った富樫の顔面はさらに蒼白、やにわに上手から大星はじめとする塩冶浪人達が「われら本懐遂げたり」と行列なせば、あっぱれあっぱれと屋上を右往左往する鼠小僧に、ええとあれは砥辰か。
「おぉれ、だまれだまれぃ、お主らの出る幕ではない、主役は俺だ」
堪りかねた弁慶、ドケドケドケと中央へ向かうも虚し。戸板が返りお岩さん「こーんーばーんーはー」雑踏を掻き分け登場御存知白井権八に、箙に梅が枝挿したこちらは源太景季、
「どなたか父を見ませんでしたか」
「うわっ景季っ、たたた忠信、引き抜け、ぶっ返せっ」
慌てふためく義経おもわず八艘飛び越し舞台の外へ。笛の音高くジャミかき鳴らし鼓乱打の清元連中、こちらには声枯らさんばかりの長唄連中。
「めーたーめーたーだーまくーにーしろーまくーおーひけー」
大合唱の中、委細構わず広げる勧進帳、ぐいと見得きる弁慶のその顔前へ、スッポンから面灯りでせり上がるお菊さん。
「あーあ。やってらんねぇな、こりゃ。」
義経は私の隣に座り込み、やれやれと鬘を取って汗をぬぐう。
「まだ、やるの」
「もちろんだとも」
毅然とこたえる私の首根っこを弁慶、舞台の上からむんずと掴み引き上げる。
「まぁ、まて弁慶、話せばわか」
私の弁明を最後まで聞くことなく、弁慶は無言でこれでもかとばかり幾度も私を打ち据えた。
「最近の若い人は宇宙人に興味ないのかなあ。昔はテレビでもね。矢追純一、知ってる?」
「いいえ」
「えーうっそ。宇宙人は地球に来てるんだよ。日本にも。住民票取って普通に暮らしてるんだよ」
「はあ」
洗井君は会社の後輩でなかなか見所があるので居酒屋で一杯奢ってやってるわけである。
「ぼく先輩と部署が違うじゃないですか。なんでこうしつこく誘われるのかなと」
「いやなら断ればいいじゃん」
「断りづらいですよ。先輩、粘着質だから、後で何されるか不安だし」
「シャーロック・ホームズも粘着質だよ」
「だからなんですか」
「君ね、知らないようだけど、ぼくは営業マンとしてすごいんだよ。F社と最初に大口契約取ったの、ぼくなんよ」
「知ってますけど、もう五年以上も前の話でしょ」
「何年前とかじゃなくてね。企業の基本は営業だから」
「うち技術系ですけど」
「いやだから。技術者こそ生え抜き不要なんだよ。どんどん技術の流行が変わるご時世で、結果、レガシー技術社員の在庫が不良債権化するわけよ。そして顧客ニーズと全然噛みあわない企画ばかり出して、売れないのは営業の努力不足だとかさ。わかってないんだよなあ。そのくせ愛社精神だけは旺盛でさ。石にかじりついてもやめないからね。そして内輪だけで通用する技術スキルが何級だとかさあ。そんなこと顧客にとって何の意味もないんだよ!」
そんな洗井君であったが、最近急に付き合いが悪くなった。彼女ができたらしい。彼女は美容師をやっているという。私はその美容院に行ってみた。一目見て、私は彼女が宇宙人である可能性が高いと直感した。実は私は直感的に宇宙人を見分ける能力があるのである。彼女は何らかの宇宙的陰謀によって洗井君に接近したらしい。私は洗井君を一人暮らしの自分のアパートに呼んで、UFOの研究資料を見せ、それとなく危険を示唆したが、彼はまったく取り合わなかった。飲みに誘っても露骨に断るようになった。
そんなある日、交通費清算のため経理部に行くと、洗井君が休んでいて、代わりに新人の女の子が受付けた。
「心配だな」
「ただの風邪だそうですよ」
「しかし……」
「なぜ先輩は洗井さんばかりえこひいきするんですか」
「うむ。実は宇宙的な問題があるんだよ」
「たまには私も奢ってください」
「いいけど」
「私、UFOの話、好きなんです」
そう言って彼女はにこっと笑った。その瞬間、私は直感した。彼女が本当の宇宙人かもしれない。
菜の花の枯れカスが、カサカサ擦れて音を立てた。誰もが忘れてしまった春の名残。底抜けした空が放つ優しい風が、悲しき亡骸をそっと包みこんだのである。
「コノミちゃん可愛いんだよなぁ。お前にわかるかぁ!?」
サッカーの汗を拭いながら、恍惚として一樹は言った。
「おまえ、まだあのテのゲームやってんの?」
僕は見下した目で一樹を見た。
そう、彼は二年ほど前から、恋愛シュミレーションゲームにのめりこんでいるのだ。
「お前サッカーは超人的なのになぁ。リアルでも彼女つくれよ。もったいないよ。」
僕は使われなくなった花壇に腰かけて、埃まみれのスパイクを脱ぎながら言った。
「何で?リアルじゃあ、だれかれを好きになったって、必ず報われるわけじゃないじゃん。それに、愛、愛って意味わかんねぇえんだよ、俺は。大体何だよ、愛って。」
「誰かを好きになることじゃないのか。」
太陽を背に、一樹は大きな影法師のように見えた。
「それは恋だろ?一方的なものじゃあなくて、双方的なものってこの世には存在しない気がするんだよなぁ。」
「でも、潤子はきっと僕のことを好きだし、僕も彼女が好きだ!」
花壇に腰掛けている僕の影と一樹の影が重なった。
「潤子!?誰だそれ??」
冷たい何かが僕の背中をゆっくり撫でてから、心臓をそっと、しかしぎゅっと強く潰した。
「は??今のサッカー部のマネージャーだろ。――――いや、中学のときのだったかな?あれ??――――あれ?」
意味不明な返答に一樹はどんな顔をしただろうか。顔を上げる勇気は無かった。
それから僕は、靴紐が絡まった振りをして、随分長い間俯いていた。
気付くと僕は、グラウンドの隅に取り残されていた。
顔を上げると、カラカラに枯れた菜の花の残骸が視界の隅に飛び込んできた。
僕は冷や汗をかいていた。気付いてしまったのだ。本来、潤子は布団の中の妄想世界の住人だったことに。
妄想と現実の混濁。恋愛ゲームに興じる一樹をあざ笑っていた自分がまるで滑稽である。
擦りきれているのは僕も同じだった。
愛を知らないのは僕も・・・・・
「待てよ!!」
愛を知らないのはこの世界だって同じなのかもしれない。
幸せな家庭も、恋人も。
全ては現実にすり替わった一方的な妄想なのかもしれない。
ふらつきながらの家路の途中、ふと、いつもカップル達がたむろする公園の傍を通り過ぎた。
そこには虚空に向かって恍惚と話しかける、連れのいない男女が疎らにベンチに座っていた。
次の日、俺は部長に辞表を出した。
「これは栄転だ。何が気に入らん」
ちょび髭の前で俺の辞表と辞令を交互にひらひら泳がせて、部長が俺に聞いた。
「パートナーです」
「優秀な奴だ」
「人を喰った奴です」
「昔の悪い癖だ。今や業績トップの宅配人だぞ」
「相棒の死亡率も、でしょ」
「危険な任務が多いからだ」
部長はちょび髭をしごいて、昇進を素直に喜べと言う。嘘だ。厄介払いに決まってる。
「たとえ過去にそんなことがあったとしても、今は無いはずだ。もともと文化が違うのだ。それを理解しろ」
少なくとも証拠は無い、と免罪符のように断言する部長の鼻先でひくひく揺れるちょび髭を毟り取ってやりたいのを我慢し、俺は新しい相棒に挨拶した。
「俺が任務で死んだら喰うのか」
俺は涙目だったに違いない。
「そんな野蛮なことはしない」
クロコ星系出身の鰐型宇宙人ワニブチ配送主任は、地球人の三十倍はありそうな大口を開けて舌なめずりすると、爪の伸びたごつい手で俺と握手した。
何でも運ぶ銀河宅配。俺が配属されたのは「戦地直送課」だ。危険は多いが給料もいい。仕事は銀河連邦軍の紛争地帯、最前線への兵器の宅配だ。こんなものまで民営化される昨今なのだ。
初仕事はアント星系へ飛んだ。地下数百メートルに達する巣穴の奥で、連邦軍はアント星人の叛乱軍を相手に交戦中だった。ブツを届けてハンコを貰えば、こんな所に長居は無用だ。
地上目指して移動中、横穴から来た突撃部隊に遭遇した。黒い触角と細い六本の手足を揺らし、無数の蟻型宇宙人が巣穴狭しと追ってくる。やっと振り切りさあ出口という時、砂地の竪穴がぼろりと崩れた。必死でつかまり下を見ると、力強い爪でワニブチ主任が這い登って来る。
奴は俺の尻を見て舌なめずりをしやがった。
手元の岩がまた崩れ、真っ逆さまに落ちてゆく。俺は意識を失った。
目を覚ましたのは病院の一室。枕元には俺を見守るワニブチ主任がいた。
「助けてくれたのか」
「そんなつもりは無い。背中にお前が落ちてきただけだ。動かないから死んだと思った」
「喰わなかったんだな」
「言っただろう。生きてるものを殺して喰うなんて、地球人のような野蛮な真似はしない」
「そうかあ。そうだよなあ」
俺はワニブチ主任のごつごつと太い首っ玉に抱きつかんばかりに喜んだ。
「当たり前だ。生きてるものは生きたまま喰う方が美味いに決まっている」
次の日、俺は部長に辞表を叩きつけた。
和彦は生来、普段なれてないことをするとき、必要以上に気負ってしまう。
たとえば今日、これから証明写真用の、インスタント写真を撮らなければならない。
なんかかったるい。
郊外のショッピングセンターの入り口脇の小スペース。
こんなかえって目立つところに、それはたいてい設置されてる。
証明写真のボックス。
駐輪場に自転車を止め、不機嫌ヅラで、和彦はそれを目指した。
カーテンで閉ざされたボックスの中。女性の膝から下が見えた。
ちっ、あいにく先客がいる。
一応順番待ちをするため、和彦はその脇で所在無げに突っ立っていた。
やがて先客は出て行き、外で写真の完成を待っているようだった。
和彦はおずおずと会釈しながら中に入った。
座席をくるくると調節してると、カーテンを開けられ、はっとして見上げると、先客の女性だった。「スイマセン」
女性は遠慮気味に、きょろきょろと中を見渡している。
「何か?」
「いいえ、なんでも。ただ、このボックス。明日にはこっから撤去されてしまうらしいんですよ」
「へえ、そうなんですか」
他に答えようがない。
不自然な沈黙のあと、女性はカーテンを自ら、もとのように閉ざした。
どこかで見たことのある女性だった。
撮影の準備をしながら、和彦は頭の中でぐるぐると考えていた。
知り合いの類ではないが、きっと、今までにどこかで。
美人ではないが、決してブスでもない。「十人並み」という言葉は、まさに彼女のための言葉だ。
さて、そんなことはさておき、セッティングを終えた和彦は、機械正面のボタンに向かい、お望みの写真サイズを設定した。『十秒後に、撮影を開始します』 機械の女声が無機質に告げた。
ドキドキ。
小心者の和彦は、この場になって、急に緊張してしまった。
イスの高さはあっているか。
サイズの選択はOKだろうか
あと、髪型…寝癖なんかたってないだろうか?
たちまちすべてが不安になり、ふと、正面左の撮影例のモデルの写真を見た。
「まさか…」
正面に顔を戻しながら、和彦は横目で、もう一度そのモデルの顔を見た。
「さっきの彼女じゃんか!」
和彦は妙な気配を感じ、カーテンの外に飛び出ようとしたが、ときすでに遅し。
『はい! 撮ります』
閃光!
『はい! 獲ります』
閃光!
『はい! 捕りました』
閃光!・・・・・・・・・・・
和彦はとられた。
この世界に住む人々が、神を敬わなくなって、どれほどの時が過ぎたか。
人々は惰性や世間体のためだけに教会へと通い、神父は金儲けのために神の教えを説く。
祈りの言葉に心は宿らず、オウムが人の声を真似るかの如く、ただ消えていく。
自分達の都合の良いように歪められた教義。そして、同じ神を崇めているのにも拘らず、その教義の違いだけによって引き起こされる戦。
自分勝手な人間達に、神は心を痛め、叫ぶ。
だが、人間達には届かない。どんなに神が喉を枯らそうとも、耳を貸そうとはしない。 やがて、神は叫ぶのを止め、いつしか、狂気に捕らわれた。
それから、百年の月日が流れた。
小さな村に、信心深い夫婦がいた。夫婦はただ粛々と、毎日を過ごしていた。
ある日、夫は不思議な夢を見た。夢の中で、夫は妻と船の上にいた。
そして、神が現れ、こう告げた。
「裁きの時は近い。正しき者よ。船を作り、動物達のつがいを乗せ、その時を待つのだ」
流石に夫も、その夢が神からのお告げだとは思わなかった。が、妻の夢の話を聞き、考えは変わった。同じ夢を見ていたのである。
その日、夫婦は細々と蓄えていた貯蓄を使い、古い船を買い上げた。そして、二人だけで修理を施し始めた。
「猟師にでもなるのか?」
村の者は、二人を嘲笑ったが気にせず、ただ黙々と作業を続けた。
修理が終わったのは、季節外れの大雨が降り出す前日であった。夫婦はその雨に只ならぬ物を感じ、動物達や食料を乗せ、海へと出た。
その時、村から火山の噴火のように、水が噴き出すのを見た。
全ての大地を海の底へ沈める、神の裁きが始まったのである。
一年半が過ぎ、船は地上に佇んでいた。そこに、夫が一人で座り込んでいた。
水が引いたのは、一年後だった。そこまでは、問題無かった。
種籾を蒔いたが、海の底に沈んでいた大地から、芽は出なかった。原因は土壌だけではない。一滴も雨が降らないのである。
やがて、動物達が飢えや喉の渇きに耐えられず、一匹また一匹と死んでいった。夫婦達はその血や肉を得る事で、辛うじて生き延びた。が、それも時間の問題だった。
妻が死んだのは、数日前だった。夫は妻の骨だけを埋めた。
夫は呟いた。
「なぜ、神はお告げを」
そして、夫は夢を見た。夢の中で、神は言葉を紡ぎ始めた。
「裁きの時は近い。正しき者よ。船を作り」
そこまで聞き、夫は悟った。そして、夢から覚める事は無かった。
会う人みんなに大変ねと同情されがちな母一人子一人の生活だが、今の私達はそこそこ楽しく暮らしている。
子供を預けて一日働き、疲れて帰宅しても、ミッキーの人形を抱いて寝ている我が子の姿を眺めていると、母として弱音なんか吐いてられない。
この子だけが今の私の生き甲斐なのだ。
ミッキーが大好きな子供を連れて、ディズニーランドへ行った。
実は、子供がいつも抱いているミッキーは、私が彼、──つまり、この子の父親──に買ってもらった物。
一人でこの子を育てていても、どこかで男らしかった彼の想い出を捨て切れていなかったのかもしれない。
その事は子供には秘密にしていた。と言うより言う必要がないと思っていた。
しかし、子供がミッキーに「パパ!パパ!」と言って近づいていった時は本当に驚いた。
パパじゃないのよと言っても抱きついて離れようとしない。
当のミッキーは困惑して私の顔を見つめている。
子供には不思議な能力があるって言うし、もしかしてミッキーの中にいるのはあの人?
この子がお腹に入ってると知った途端、私を捨てたあの人?
私はミッキーに話しかけた。
「あなたがいなくたって、私はこの子を育てあげて立派な大人にしてみせます。」
ミッキーは何も言わず子供を抱きしめ、両手で空高く掲げた。
エレクトリック・パレードの音楽が流れ始めた。
ミッキーと私たちは一緒に歩き始めた。
見物している他の客も私たちの再会を祝ってくれているような気がした。
これから訪れるだろう幸せを感じていた。
突然、音楽が止んだ。
シンデレラが叫んだ。
「ちょっと待って!その子の父親はアタシよ!」
シンデレラ城の鐘が鳴った。
住宅街の物かげから、黒い服を着た者たちが三人、四人と姿を見せる。真昼の頃。ぞろり、ぞろり、数は増え、やがて二十人足らず黒い列となる。とぎれとぎれ何人かずつ塊って歩く。中には一人で歩く者もいて、それでみな一様に済生会病院となりの坂を下ってゆく。
ああ、どこかで人が死んだのだ――そう思うことに、きっと慣れている僕は、曇り空の下くっきりと黒い色が動くさまを見て面白く思う。ミニチュア大の人生が演じられている。泣いた者もいるか。そして泣いている者も。でも僕の席からそれは見えない。小指ほどの黒い服が、手と足をしたがえ動いている風としか。遠くから見ていると分からないことがある。部屋ではラジオの中、ビヨンセが「クレイジー・イン・ラヴ」を唄っている。「オ・オウ・オ・オウ・・・ナ、ナナ」路中あますところなく金貨をばら撒いているような声。
ああ、どこかで人が死んだから人が集まり、また離れる――再び僕は思う。今年の夏は曇り空ばかり続く。ここ数日、便秘で重くなった腹を抱えている。黒い服の者たちは日常に点綴された、いつか遠くの僕ら。桜並木が重いみどりを繁らせる。その下を黒い服が通り過ぎる。ガラス越しでしか見えない風景もある。「ソ・クレイジー・ライ・ナウ、ソ・クレイジー・ライ・ナウ、ソ・クレイジー……」葬儀にまだ早すぎる声。
少し運動をしなけりゃいけないな。そう思い僕は部屋を出る。アパートの表玄関をくぐり抜けたとたん、ありったけ蝉の声が両耳を浸した。命の瀬戸際で夏の葬送をしている。アディダスの靴紐を締めながら、そういえば昨日は八月十五日だったことを思い出す。
テレビでは、お花見をする人たちが楽しそうにお酒を飲んでいます。
サエちゃんはいつものように朝の6時に起きて、サボテンに水をあげました。猫のクル太はそれをストーブの前で寝転がりながら見ています。顔を洗い、歯磨きを済ませたサエちゃんは、お母さんの作るご飯をクル太を抱きながらテレビを見て待っています。キッチンからする焼き魚のにおいに、サエちゃんはちょっとうれしくなります。
昨日大雪が降ったので、サエちゃんは雪だるまを作りました。ドラえもんみたいな雪だるま。目はオセロのコマ、口は釘、頭に味付け海苔を貼付け、両腕にはポッキーを挿しこみました。夜、おトイレにいった時、玄関の雪だるまにサエちゃんはおやすみと言いました。
今日の朝ご飯は茄子のお味噌汁と大好きなホッケの開きです。サエちゃんは骨にこびり付いた身もしゃぶって食べました。
『ほっけおいしいよ』
サエちゃんがお父さんに言うと、
『この前、朝市で買ってきたやつだよ。サエも行ったっしょ?』
と、骨をしゃぶりながら言います。
お母さんが
『親子でみっともない。しゃぶんじゃないよ!』
と、言いました。
サエちゃんは骨をクル太にあげました。
お友達が迎えにくる8時、サエちゃんは支度を済ませてランドセルをしょって、いってきますと元気よく言いました。
玄関に出ると、昨日の雪だるまがいません。
サエちゃんは、トモミちゃんに
「雪だるまを見なかった?」
と、聞きました。
トモミちゃんは
「知らん」
と、答えました。
今日は、昨日とはうってかわって天気のいい朝です。北海道にも春が訪れます。
妻の水紀は機嫌が悪い。夕食が始まってから一言も口をきかない。こういうときは下手に話を聞き出すより黙っているのがいい。何度もスプーンであんをすくっていると、やっと水紀が話し始めた。
「やられちゃった」
「蚊取り線香買うの忘れたのか」
ゆうべは思わぬ蚊の出現で、夜もろくに眠れなかった。
「踏切の手前でね、後ろから車でシバノさんが来たの」
ラッコのような愛くるしい目のシバノさんは、隣の高級マンションに住んでいる。
「それで?」
スプーンを置いて合いの手を入れる。この話が終わらないうちは、ゆっくり眠ることもできないような気がした。
「窓がすぅっと開いて『山田さん、こんにちは』って」
水紀は大きく目を見開いて、斜めに頭を下げる仕草をした。
「でね、立ち止まって『こんにちは』って返したの」
「うん」
窓からなま暖かい風が吹き込んだ。
「スーパー『もなか』でアイスが四割引でしょ、あとね、薬屋でノーマットの試供品があるんですって先着十名様。コンセントに差すだけなの、ちっちゃくてかわいらしいデザインよ」
水紀のエプロンがゆったりと波打つ。
「シバノさん貝叩くようなリズムで言うのよ、カンカンカンって警報機でしょ、じゃあって窓が締まってシバノさん遮断機の向こうに消えてしまったの」
天津飯からはみ出ているグリンピースみたいに取り残されて、水紀は予感通り試供品を目にすることはなかったし、四割引のキャラメルアイスをカウンターに忘れて来てしまったらしい。普通の蚊取り線香でいいのにと言いかけてやめた。なにもシバノさんと色違いのワンピース買わなくてもと言ってしまって水紀の機嫌を損ねたのは先週のことだ。そそくさと風呂に入り、弘恵より先に布団に潜り込んだ。
風呂上がりの身体に布団がまとわりつく。おまけに耳元で蚊がうなり始めた。何度か振り払ったが、すぐにまた現れる。寝返りを打ってようやく眠れそうだと思っていたら、いきなりぱしっと頬に平手打ちをくらった。
「なにすんだよ」
神妙な顔の水紀がいた。
「だめよ動いちゃ、蚊がいたのよ」
「蚊?」
「血吸ってたの」
叩かれた頬に手をやってみるが、蚊に刺された痕はなさそうだった。
「そうだ」
水紀が立ち上がった。
「アイスがあったんだ」
先週買った小豆バーがあるのだと言う。汗をかいたからだろう。身体が熱っぽかった。喉も渇いていた。
「食べる?」
開いた窓から、電車のやって来る音がはっきり聞こえた。
今夜も眠れそうにない。
不況は売上に響く。ノルマをこなすのに、週六日骨を削るように働かなければいけない。立ちっぱなしの足には疲労が溜まっている。世間が日曜日だ、祝日だと浮かれているときこそ売らなければいけない。
由紀子の楽しみは寝ること。休みをベッドですごすことが、明日の元気になる。布団のぬくもりを味わったあと伸びをして起き上がり、熱いシャワーを浴びてバスタオルに包まれる。そして近くのデパートの蛸の天ぷらを温めて、ビールを飲む。
目を覚ますと夕方の五時を過ぎていた。いつもより眠ったなあ冬だったらもう暗くなってるよまったく夏だね夏だよ、と呟いた。
「そうですね」
誰かが返事をした。
由紀子がそっとふすまを開けると大きなタコがいる。叫ぼうとしても声がでない。
「コーンポタージュ、飲みます?」
タコは人間の言葉できいた。その声は太く低い声で優しかった。
タコにスープをつくってもらうなんて初めてだ。由紀子は猫舌だったから、何度かふーふー吹いて冷まさないと飲めない。けれど、いざ飲んでみるとほどよい甘さとコーンの食感に満足した。今なら走って逃げることもできるし声だって出せる。どうしよう?
「他にも食べます?」
タコが聞いてきたから、冷蔵庫を指さした。
「天ぷらがあるんだ。温めてくれる?」
「わかりました」
数分後、テーブルには冷えたビールと天ぷらが並び、タコと由紀子は乾杯した。タコは美味しそうにビールを飲み干し、何も気にせずに蛸の天ぷらを食べた。
「さあ、肩でも揉みましょう」
タコの八本の手にちょっと惹かれた。
「優しいのね」
「いえ普通です。ところでコーヒー飲んでもいいですか?」
「いいよ。あたしがいれてあげよう」
由紀子は台所へ向かった。くつろいでいるタコが人間に思える。
「あなた、本当にタコ?」
タコはコーヒーを思わず噴き出して、笑った。
「はっはっは。人間に見えますか? そうです私はタコです」
「人間だったらいいのに」
「またお会いしましょう、私は物語の中にいます」
「物語?」
「はっはっは」
タコの輪郭がぼやけ、姿を消した。
由紀子は呆然と座り込んだかと思うと次の瞬間には着替えていた。そして飲みにいった。休日に着飾って出るなんて久しぶりのことだ。
バーテンダーと話をしていると、
「いいですか、ここ」
と声が聞こえ、それはタコの声だった。
「さっきのタコ」
由紀子が振り向くと同じ歳くらいの青年だった。酔いも手伝って「あなた私のタコになれ」とこづきまわした。
目覚めた粂婆は、独り寝の部屋の電灯の紐を引き、夜の名残の闇を追い出した。
朝四時。それはまだ人ではなく、動植物の時間である。人の賑わいの中で起きることは気疲れであるし、またそれは自分の老いを際立たせる辛さも伴う故、人で無いものの時間に目覚められる身体になったことに、婆は有難い気持ちでいた。自分はもう木や草に親しいのだろう。心が人を脱いで動物になり、体が動物を脱いで植物となる。そして魂が生き物を脱ぎ置いて仏さんになるのだろうと、婆はぼんやり想った。
庭の小屋に飼っている三十羽程の鶏に餌を遣るのが婆の日課であった。顔を洗い簡単服に着替え餌籠を携えて小屋に赴くと、鶏共はもう目覚めており、婆を急かす様に喚き立てていた。群の中へと分け入り、「わっちより早起きでぃらいなあ」と相好を崩しながら、四方へ野菜屑を撒いてやった。
村の年寄りが集って茶を啜っていると、村一番の長寿である粂婆は毎度の様に「粂さんは達者だなあ」と言われ、婆は決まって「ぢべたにへばりついて、長う伸びとんや」と、歯抜けの口で笑うのだった。それを聞いた村の者は皆、婆の謙虚な生き方に、仏さんが長命を授けて下さるのだと首肯した。
大風を往なす木々のしなやかさ、稲光の様な鼠の敏活さ、小虫の持つ奇跡の様に繊細な体躯。婆の眼は、唯命あるということそのものに、眩い光の輪を見、そしてそれに感嘆と感謝の念で応えるのである。年寄る毎に我知らずそう暮らして来たのであるから、然るに婆にとって世の中は、生きながらにしてまみえる極楽であった。
唯、孫の雄一が都会の大学へ行き、其処で働き口を見つけてしまった事には、やはり淋しさを感じずにはおれなかったが。
餌を遣り終え、婆は小屋を出た。庭の端は緩やかな丘へ続いており、そこから近隣の町が見える。
町を見下ろす婆の頭上を、二羽の雀が飛び去り、町の曇天へと消えた。
その時不意に婆は何故か、雄一が病に臥しているのが判った。
雄一がいるのは、此処から新幹線で数時間離れた先であるが、孫の唸る姿荒い息遣いを見聞きしたという生の感触が、婆の身体を走ったのだった。
「仏さんに近なったら、何やしらよう判るもんかなあ」
今日は畑で収穫した葱を出荷するため、息子夫婦が早めに起き出して来るだろう。雄一の事を告げようか迷ったが、呆けを来たしたのかと勘繰られても癪なので、二人が町へ出払った後で電話してやろうと、婆は思った。
「大変だ!」
「どうした、騒々しい」
「布団がさ、布団が」
「布団が?」
「布団が吹っ飛んだ」
「なんだと!」
マジか?!
こうして俺達は、誰にも告げず旅に出た。
今にも雨が降り出しそうな、鈍い光の朝だった。
俺達はまず北に行った。ブリザードの吹き荒ぶシベリアの大地で、一つの悲劇を見た。次に東へ行った。母の無い子が、美しい母になったのを見た。南へ行った。特に何も無かった。西へ行った。少しギャンブルをして、幾らかスった。
幾時代が過ぎ、冬には戦争があった。
砂漠の街で知り合ったラクダ乗り達はみな呑気で良い奴ばかりでだったが、そいつらは全員戦争へ行った。みんな死んでしまった、とジョニーから手紙が届いた。
俺達は歌った。
「ゆあーん」
「ゆよーん」
「ゆあ」
「ゆよーん」
幾らか儲かった。
バスはガタゴトと走り続ける。
布団は何処にも見つからない。
「見つからないね」
宿のベッドで、相棒が言う。
「見つからないな」
星を見ながら、俺は答える。
車窓はいつしか懐かしい景色に変わっていた。
故郷まではもう幾らも無い。
結局俺達は、布団を見つけることが出来なかった。世界の何処にも、布団は無かったのだ。
俺達の旅は終わろうとしている。
「見つからなかったな」
「そうだね。だけどさ」
「うん」
「俺はお前と旅が出来て、とても良かったよ。本当に良かったよ」
「そうだな。俺もそう思う」
「そうか」
「本当に良かったと思う」
夕日が、とても眩しい。
何年か振りに帰った家は、何処も変わっていなかった。何故かその事が、少し俺を泣かせた。
水を飲もうと、俺は裏庭にある井戸に向かった。
そしてそこで、俺はそれを見た。
布団は、裏庭にあったのだった。
(布団は最初から裏庭に有ったのだ!)
俺は笑った。笑いが止まらなかった。
「なんだ。布団はこんな所にあったのか」
相棒もそう言って笑った。
「布団はこんな所にあったんだ。吹っ飛ばされた癖にこんな所にね。こんな所に。こんな所に」
「こんな所に」
俺達はいつまでも、西日に照らされた裏庭で笑いあった。
布団は、静かに風に揺れていた。
「大変だ!」
「なんだよ、騒々しい」
「熊がさ、熊が」
「熊が?」
「熊がクマった」
「なんだと!」
マジか?!
こうして俺達はまた旅に出た。
だがもう迷いはしない。
俺達は前より強くなっている。
「どうした」
辿り着いた裏庭で、ぶるぶる震えて困っている小熊に、俺は優しく声を掛けた。
片胸を露わにした女が、乳を与えるようにセルロイドの赤ん坊を抱きかかえている。精巧とはとてもいえないどこからどうみても安っぽいただのセルロイドの人形だ。その人形の赤ん坊に何やら話しかける女の顔は、成る程、これが母親の顔というものか。と、思わず頷いてしまう程なのだけど、やはりそれはセルロイドの人形なのだ。不思議なのは、ほとんど目の前に女がいるに関わらず、人形に話しかけるその声がどこか遠くから聞こえてくることで、何を言っているのやらはっきりとしない。
ちらりと女がこちらを見遣る。その顔は先程のものとはまた違う何かドキリとするもので、そうかこの女は私の妻なのだと当然のようにそう思うのだけれど、妻であるはずの女の名前がまるでわからない。わからないといえば、いまいるこの部屋は一体どこなのか。部屋の隅に文机があるような畳敷きの小さな和室で、私と女は薄紫色した座布団に座っている。見覚えがまるでないようで、記憶のどこかに微かに引っかかるものがあって、ひどくもどかしい。
「……この子は……お祖父さまの……」
おそらくは私の妻であろう女が私に向かって何かいうのだか、相変らずどこか遠くから聞こえてきて、わずか数語しか聞き取れない。この子というのがセルロイドの赤ん坊のことだとすれば、お祖父さまというのは私の父のこととなるのであろうか。いや、そもそもその赤ん坊が私たちの子である筈がないのだ。なにせその赤ん坊はセルロイドで出来ていて、まんまるとした目は、絵具か何かで描かれたもので、半開き造作された口はあてがわれた乳房を口にふくみはしない。それなのに私は、女の言葉に鷹揚に頷いていて、何ごとか人形に話しかけていた。その言葉は女の言葉同様にどこか遠くから聞こえてきて、判然としないのは何故なのか、私にはもうまるでわからない。
不意にどこか遠くで名前を呼ばれた気がして、見れば妻である筈の女が、セルロイドの赤ん坊に何ごとか話しかけていた。私は腰をあげ、女の隣でかがみ込むようにして、人形を覗き込み、その頭を撫でてやった。暖かみのまるでないセルロイドの感覚が伝わってきたかと思うと、耳元でぎゅるうんと大きな音がして、驚いて目を見開いてみれば、大きくてひどく恐ろしいものが二つ、目を爛々とさせて、私を覗き込んでいて、あまりの恐ろしさにたまらず鳴き声をあげると、破れんばかりの笑い声が降りかかってきた。