第34期 #19
床に落ちたカンバスの上を電線の影が行ったり来たり。君はえんじ色のシートにひざを立てて、窓の景色に見いっている。昼のさなか、大阪から京都へ向かう各駅停車だから、人の影はまばら。遠慮しなくていいはずなのに、長細いシートのはしで身をもたせ合っている僕ら。
いつでも月から金はあわただしい。一編の詩をゆっくりと読む暇も何もありやしない。五日間のふてくされた人生と折り合いを付けるために束の間、電車に乗るなんてありふれたやり方。君は窓の外を見ている。
岸辺という名の駅を過ぎた頃、はたして川岸でも見えるのだろうかと、僕は視線を床から持ち上げて首を回し、こめかみを窓枠に寄せた。川なんて見えず、代わりに原っぱのそこかしこには黄色い花の群。
「たくさん咲いてるね。あれは菜の花かな?」
僕は君に尋ねた。
「菜の花じゃないわ。あれは、きりん草」
君が僕に答えた。
「きりん草?」と僕。
「そうよ、おかしい人。秋に菜の花だなんて!」そう言って、大げさに君は笑った。
「秋に菜の花は咲いてないわ」
「そうか」
そういえば、そうかもしれない。
「きりん草は葉っぱと根っこに毒があるのよ」
「ほんとうかい?」
「ほんとうよ。小学校の時に先生に習ったもの。きりん草を触っちゃだめだって」
「ふううん」
「あら、信じてないのね」
「ううん」どっちつかずの返事で答える。僕の頭を、君がぽんぽんと叩いた。「どっちにしろ」攻撃のあいま僕は言った。「僕の小学校の先生は教えてくれなかった」
「そうかしら」
「そうだよ」
「きっと、あなたがそれを望まなかっただけよ」
「そうかしら?」
各駅列車が次の駅に停車すると思いのほか乗客があった。君はひざを立てることすら止めて、前を向いて座ってしまい、それきり僕らはきりん草の話もしなくなった。
*
月曜の朝、寒いからコートを羽織って外へ出る。空には薄い曇。あやつり人形のように足を動かして、駐輪場まで歩いてゆく僕。自転車の前で立ち止まるとフェンスのすぐ脇に、黄色のつぶつぶの花を付けた植物が生えているのを見つけた。
きりん草。五年間こうして通っているのに気付かなかったとはね。知れば近づいてくる。草でも人でも、それは同じことだ。
今朝、十月を知ったよ。君は、どうしてる?
肺に息を入れて、そんな手紙を空に、投函してみる。