# | 題名 | 作者 | 文字数 |
---|---|---|---|
1 | ヒロイック・ファンタジー | サカヅキイヅミ | 997 |
2 | 繰り返される死 | 神崎 隼 | 988 |
3 | リアル | めだか | 1000 |
4 | ある母の日のブログ | 狩馬映太郎 | 994 |
5 | ダンディの憂鬱と涅槃 | とむOK | 1000 |
6 | 怒顔の行方 | さいたま わたる | 806 |
7 | 樋口 藍 | 桑袋弾次 | 1000 |
8 | 顔文字家〜朝の出来事偏〜 | 千葉マキ | 862 |
9 | 最後の日 | 葵 | 1000 |
10 | 砂上の少年 | 八海宵一 | 1000 |
11 | 約束 | Tanemo | 922 |
12 | 僕の思い出 | 刻黯 | 801 |
13 | 三人目のおじいちゃん | 水島陸 | 958 |
14 | 白昼夢 冒頭 | くちなし | 557 |
15 | 青いワンピースの女 | 朝野十字 | 1000 |
16 | (削除されました) | - | 382 |
17 | 五月、僕は図書館で | 真央りりこ | 1000 |
18 | ときにフェロモン | 海野茂雄 | 961 |
19 | 桜 | 長月夕子 | 989 |
20 | ナイフ | 無明行人 | 765 |
21 | AC | 青島さかな | 804 |
22 | 大きな魔法のじゅうたん | 川島ケイ | 1000 |
23 | 善悪の彼岸に、回る観覧車 | るるるぶ☆どっぐちゃん | 1000 |
24 | 五月の決意 | (あ) | 1000 |
25 | 心臓 | qbc | 987 |
26 | 雪の国 | 三浦 | 945 |
27 | 5月のゴッホ | 宇加谷 研一郎 | 1000 |
28 | 蝶が翔ぶ日 | 海坂他人 | 998 |
29 | ロボット | 佐倉 潮 | 1000 |
30 | 雨 | 戦場ガ原蛇足ノ助 | 987 |
31 | 彼ノ者、欠落ニツキ | 朽木花織 | 921 |
32 | 梅見ごろ | 曠野反次郎 | 989 |
格別の理由は無いが、どうも電線という奴が信用出来なくなった。
私は決然と靴紐を縛り、電話口で放った声が何処に届いているのかを見極める旅に出た。
早くも予感は裏付けられつつある。
改めて見る電線の何と奇妙な事か。数十歩置きに地面に突き刺さる巨大な柱。それを跨いで空を這う黒い紐。慣習とは恐ろしい――こんな物を毎日目にしながら、感じる所が無かったとは!
早足に駆け電線をトレスしたが、何故だか同じ路地をぐるぐると回るばかりで、一向に景色は変わらなかった。何の手品か。恐らくは私のように電線の胡散臭さに気づいた者から、真実を遠ざける為の罠なのだろうが、そんな物を用意している時点で、電線とは後ろめたい物ですと云っている様な物だ。第一、その程度の罠でこの私を翻弄する事が出来ようか。太い電線とは別に細い電線が一本、裏路地に延びているのを見ると、私はそこへ飛び込んだ。
ふいに、差す陽光の赤さにぎょっとした。電線に気をとられて気付かなかったが、既に暮時。人々は逆光に顔を隠して家路を急ぎ、烏は悪魔の如き声で哄笑し、私の影は不気味な程に長くずるずると伸びていた。
――陥れられた。
迂闊であった。私の行動が敵に気取られていない訳が無かったのだ。何せ敵の手は、文字通り市街の至る所に伸びている。結果、出し抜いたつもりの私ははや欺かれ、家路を急がれ哄笑され、挙句影を伸ばされた。明らかに警告だ。敵は私を本気で排除しようとしている――以後の追跡は命懸けだ。
それでも私は進んだ。もはや電線の先に通話相手がいる等とは信じられぬ。きっとそこには全てを牛耳る元凶がいて、それを討たぬ事には日常には戻れないのだ。きっとそうだ、間違いない。私は塀を越え、屋根を駆けた。
やがて私は一軒の古びた家屋に辿り着いた。
ドアを叩くと熊の如き巨漢が現れた。その獣めいた瞳に補足された瞬間、私はこいつこそが全ての元凶であると理解した。
「一昨日電話遣して今日まで来んとは何じゃァ、としき! 貴様ァ親に金も送らんと」
元凶は手近にあったモップを取った。その巨躯だけでも私を圧倒出来そうなのに、得物を使う気らしい。容赦なき殺意に寒気を覚えながらも、私は落ちていた金属バットを取り、正眼に構る。
「いい度胸じゃァ親の力見せたるッ」
バットが最後の西日を映し、鈍い光を宿す。
いかにも元凶らしく獰猛に笑む敵に、私は多分決然とした表情で突っ込んだ。
二人の戦士が、崖の側を歩いていた。二人とも満身創痍と言った出で立ちで、体中のあちこちにまるで模様のように血がこびりついていた。
「ちっ。あれだけいたのに、俺たち二人だけかよ」片方の男が、そう舌打ちする。
「そう、騒ぐな。合流地点はもうすぐだ。他の組はまだ、生き残ってるだろう」
「しかし、な。魔王を倒すために、国に帰れば英雄、ってな精鋭を集めたはずだろ? あまりにも、不甲斐無いとは思わないか?」
「仕方があるまい。私達だって、人の事は言えんだろ、ルファ? 無駄口叩いてると、体力の無駄だぞ?」
「わかったよ。ん?」
その時、向かう先に、何かが動いてるのに気づき、二人は腰の剣に手を伸ばした。そして、二人は慎重に道を進んでいった。
と、突然、ルファが駆け出した。目前にいるのが、崖から落ちそうになっている、人間だったからである。
「無駄だ、ルファ」背後でそう声がしたが、ルファには届かなかった。
ルファが走る間にも、相手の体は徐々にずり落ちていっていた。そして、ルファが目の前まで来た時には、崖の上には両手だけしか見えなくなっていた。
「間に合え!」ルファが叫び、手を伸ばす。
が、ルファの手は相手の手をつかむ事ができなかった。間に合わなかったのではない。相手の手はまだ、崖の上に辛うじて残っていた。にもかかわらず、ルファにはその手をつかむ事はできなかったのである。
「な……」自分の手と相手の手が重なっている。だが、地面の感覚しかしない。ルファは絶句した。
そして、そのルファの前で、手は崖の下へと消えていった。
「無駄だと言ったろ?」ルファの背後で、そう声がした。
「今のが何か、わかるのか?」
「ああ。今のは、先の魔王との戦いで、ここで死んだ人間の記憶だ」
「記憶?」
「本人は気づいてないだろうが、同じ死を繰り返させられてるのさ、魔王に挑んだ罪の罰として。また、しばらくしたら、この崖から落ちていくさ。それを私達に見えるようにしてるのは、脅しだろうね」
「永遠に……、このままなのか?」そう聞くルファの肩は、怒りに震えていた。
「さて、ね。永遠に、このままか。魔王を倒せば、もしくは」
「急ぐぞ。合流地点はすぐそこなんだろ?」ルファはそう言うと、早足で先へと急ぐ。
そして、二人はその場を後にし、目的地へと向かった。
魔王が倒されて、五年。二人がこの道を幾度辿ったのか。それを知る者は、誰もいない。
子供の頃に楽しんだ、懐かしい人型機械がでてくる映画を見にゆく。あの頃とは違い、実写版ということで、どうなる事かと思っていた。役者の演技は良かったのに、なんだかふわふわした、ゴムまりみたいなボディをもった機械どうしの決戦があって、拍子抜けだし情けなかった。そこにはだから、何も感じなかった。
十二階ほどのビルの上を、勇ましく見栄を切るから、変わってないなと懐かしかったのは、確かにそうだ。道路をぶち抜くこともなく、アスファルトの上を平然と歩いてゆくから、苦笑する。
「あはは、随分と軽いんだなぁ」
と思うと、いきなり気がついて納得した。
「なるほど、実写だ。これは、すごい」
軽いから、あんなゴムまりみたいな、妙につるつるしたボディなんだ。
特殊な強化プラスチックなどの素材で、空洞の骨組みをして、チタン繊維を吹き付けたアルミでボディを覆う。鉄の代わりだと、コストは気が遠くなるほど跳ね上がるが、マッハの速さで空を飛ぶのだから、こうでもしないと重過ぎて飛べない。スペース・シャトルの再突入時の速度が、ほぼマッハ1だと聞いた覚えがある。そんな速度で飛ぶわけだから、妙な凸凹があっては、空力的に困るし、そうでもしないと火だるまになってしまう。
「火だるまは、まずいよなぁ……。でも、面白いかな」
どういった設定だったのか知らないが、昔の銀座のビル街といっても、高さは5〜6メートル。今なら近所の商店街でも、そんなものだろう。もともと、この人型機械は、その程度の高さなのかも知れない。そこなら角度に頼れば、そこそこの高さで済んでいただろうに、今はビルの方がやたらと高層になっている。そのうち、特殊耐火風船とか、そんなボディになるのだろうか?
だからといって、鉄の匂いや、機械のギシギシした音を期待していたから、観る側としては物足りない。とはいっても、送り手は実写を売りにしてしまったら、あくまで拘らないとリアリティがない。
「送り手というものは、ここまで考えのか」
何も感じなかったなんて、送り手でも見る側でもない、なんて中途半端なことを考えていたんだろう。
それにしても、あれにリアリティは感じない。そう思わないんだ、どこが悪い? ファンタジーにするか、リアルにするか、それは見る側の"おつむ"の問題かもしれない? 馬鹿にするな!
他人事ではなく、もうすでに仮想現実のほうに、リアリティを感じているという事だろうか。
幸せという言葉を検索すると、古い日付のブログを見つけた。
恋と夢と花よ恋
〜夢見る花恋の花恋なブログです〜
〈母の日まで頑張るぞ!|Main|花屋開きます、絶対!〉
2004年5月9日(日)母の日お疲れさまでした!
今日は母の日。花屋になって初めての母の日です。とても忙しくてめちゃ大変だったけどいっぱい売りました。ちょっとシンドクて泣きそうになっちゃったけどね。まさかあんな忙しいとは思わなかった。でも良かった、忙しくって。
母の日に休めない花屋さんのお母さんは可哀想って誰か言ってたけど、でも花屋さんのお母さんは翌日誰よりも幸せだって誰かが言ってた。それ本当かも。売れ残り山ほど貰ってお風呂場が真っ赤です。お風呂入れないよ〜(涙) さっき実家に電話したら東京のバナナ買って来いだって。明日買ってかなきゃ。私は薄いピンクが欲しかったんだけど赤しか残らなかったからお母さん赤で勘弁してね。
花屋さんのお母さんは誰よりも幸せ…なんだって
〔投稿by花恋2005/05/09/23:01〕
真っ赤な風呂場の写真が添えられていた。私は煙草に火をつけ、ブログをさかのぼった。
〈電話の音色|Main|母の日お疲れさまでした!〉
2004年4月26日(月)母の日まで頑張るぞ!
一週間ぶりにお店行ったら狭くってビックリした。お花が溢れててお店も私もいっぱいいっぱいって感じでした。このままどんどんお花が増えてお花に埋もれてたいよ〜! 一週間も休んじゃったから10日まで休めないしちょっと不安。でも頑張るんだ、母の日まで。だって待ちに待った母の日だもん。19回目だけど、花屋としての初めての母の日。
特別な特別な、初めての母の日
〔投稿by花恋2004/04/26/22:38〕
写真はかすみ草だった。私はさらに記事をさかのぼった。
〈絶品ケーキ|Main|母の日まで頑張るぞ!〉
2004年4月19日(月)電話の音色
今日…、突然電話が鳴りました。電話はいつも突然だけど、やっぱり突然鳴りました。母が大好きだったアメージンググレースが鳴りました。母の着メロです。先月倒れて以来、ずっと聞けなかった着メロです。大好きな音色、でも父の声でした。
一週間ほど更新できません。ごめんなさい。明日実家に帰ります。
〔投稿by花恋2004/04/19/00:44〕
記事に写真はなかった。私はひとつ戻り、白いかすみ草を保存してブラウザを閉じた。
「もう行くの?」
古臭いブルースの流れる薄暗い店内。俺はウィスキーグラスで顔を隠し、女の視線を避ける。女の話など聞いていなかった。そう、俺はひどい水虫持ちだった。今夜はいつにもまして苛烈な掻痒感が16ビートで俺の脳髄を打っていたのだ。
「冷たいのね」
冷たい? そうだ俺は冷たい水で足を洗いたいんだこれ以上引き止めるな俺が足を洗った水で顔を洗って出直してきやがれ。
「電話するよ」
俺は女の頬を伝う涙を指で掬い、グラスと勘定を置いて店を出た。
行きつけの薬局のシャッターは閉まっていた。俺は頭の中でたっぷり30秒はさっきの女に悪態をついた。その時、店影の路地から、怪しげな中華服の男が怪しげな日本語で俺に話しかけた。
「いい薬あるよ」
俺は男の差し出す名刺をひったくった。書かれた住所に行ってみると、店の看板は「LAP SOULS」。その下に大きな筆字で「楽法僧」と描かれていた。
扉を開けた瞬間に大音響のラップが響き渡る。歌詞は般若心経だった。サイケデリックに装飾された店内で響き渡るラップの読経。ステージでは真っ赤な褌を締めた男達が、しゃっくりするような歌に合わせて前後にステップしながら木刀を振っている。
カウンターで名刺を見せると、坊主頭のバーテンがグラスを差し出した。俺が手を出すと、腕を引っ込める。手を戻すと、また差し出す。手を出す、引っ込める……
俺はバーテンの腕をむんずと掴み、グラスを取り上げて濃い色の液体を一気にあおった。
刹那、音楽が止んだ。
「全てを捨てなさい」
いつの間にか俺は褌野郎どもと一緒にステージで木刀を振っていた。腰には同じ真っ赤な褌、身一つ他に何もなし。奴等と俺は軽やかなステップを踏み、木刀を上段に振りかざし、振り下ろす。男共が身動きすると猛烈な体臭が噴出し、呼吸とともに殺人的な口臭が俺を包んだ。最早水虫どころではなかった。俺はこいつらと一緒に、ただひたすらに踊る。構え、打つ、構え、打つ。息を合わせてむ、は、む、は。吐くたび口臭、打つたび腋臭。
そうだこれこそ俺の求めていたものだ。俺は水虫は褌野郎どもは三千世界は一つになり、こころ、心、ココロハ開かれレreれ……
それからどうなったかって? 決まってる。誰のものとも知れない褌を締めて一晩中踊った俺は、水虫だけでなく、ひどい陰金田虫持ちになってしまったのだ。今夜も俺はコートの襟を立て、閉店間際の薬局に滑り込む。
怒りの感情というものが欠落気味の俺でも、そう、時と場合によっては「怒ら」なければならぬ日がこの先の人生、全くないとも言い切れないな。さあて、一つ頑張ってみるか。
芋の子を洗うような行楽地。押し合いへしあいの家族団欒。ガキの手にしていたソフトクリームが何かの拍子に俺の背中にべっとり。
「うわあああぁぁぁぁん」
泣きたいのは俺の方だぜ、とシャツの裾にべっとりのクリームをグイと引っ張り上げる。まぁここまではヨシとしよう、不慮の事故にいちいち腹を立てても仕方がない。
しかし、母親はこちらに一瞥をくれる訳でもなく「何ぼぉっと歩いてるのっ。しっかりしなさい」とガキの手を引っ張りスタコラスタと立ち去っていくではないか。
謝罪のシャの字もねぇのか。うぬぬ。俺は烈火の如く怒りの感情の引き出しをうんとこどっこいしょこじ開けなければならぬ。よぉぉし。
俺は、ヤカンの如く頭から湯気を吹き上げ、ハリモグラの如く一本一本の髪を逆立て、キツネ目の男の如く右目をつりあげ、杉サマの流し目の如く左目を切れ長にし、青ミミズの如くこめかみに青筋を這わせ、ポップコーンの如く鼻を膨らませ、熟した柿の如く赤らめた頬をフグの如く目一杯膨らませ、今にも墨を吐かんとするタコの如く口を尖がらせ、ダンボの如く耳をはためかせ、ろくろっ首の如く首をぐるんぐるん回しながら、オラオラ魁皇の如く肩をイカらせ、遠山の金さんの如くもろ肌を晒し、鳩の如く胸襟を開いて、ええっとそれから、アミダくじの如く腹筋を割り、フラダンスの如く腰を振り、タカアシ蟹の如く足をガニマタに踏ん張り、バレリーナの如くつま先立って、ならず者の如くこう言い放つのだ「やいやいやいやい、待ちやがれぃっ、この落とし前どう付けてくれるんでぃっ……」はぁはぁ、はあ。
遥か遠のく親子連れ。文章で怒るのはなんだかとても難しいのだな。徒労と帰すガラクタ文字列。「怒り」を発揮する日は当分来そうにもない。
ドアを開けるなり女は、熱い視線に射貫かれた。
「どうしたんですか」
事務所には4人の男がいた。店長と主任、あとのふたりは見知らぬ顔だった。
「きょうは、20年にいちどの消防訓練だから」
店長の言葉に、まわりの男たちはあいまいに頷いた。女はタイムカードを押し、白い首からマフラーを抜いた。
「店内で出火したという想定で避難誘導訓練を行う。きみは、お客様の役」
本社の安全衛生部から来たという男は、そう言ってアタッシュケースを開けた。
「真剣に、リアルに、という主旨のもと、これに着替えてほしい」
中には、セーラー服が入っていた。女が身を引いて困惑の表情を浮かべると、誰かがごくりと唾をのんだ。
「きみは入社したてだからなんにも知らないだろうが、当社では、かつて不幸な事件が起きた」
本社の人事部の男が口を開いた。20年ほど前、ある店舗で火災が起き、逃げ遅れた4人の女子高生が大やけどを負ってお嫁に行けなくなってしまった。しかも店員が我先に逃げ出していたことが後になって発覚し、会社の信用は失墜した。
「でも、なんで20年にいちどなんですか」
19歳の頬を紅くふくらまして女は抗った。
「費用対効果。われわれは営利組織であって村の消防団ではない」
「よくわかんないんですけど、それってけっきょく20年間いちども消防訓練をしてなかったってことじゃないですか」
男たちは沈黙した。それについて誰も答えることができなかった。主任の男はそわそわと、山盛りになった灰皿を(いったいこの人たちは何時間前からここにいるのだろう)捨てに行ってしまった。
耐えかねて、店長が女の前にひれ伏した。
「すまん、このとおりだ。今日のところは私の顔に免じて言うとおりにしてくれんか。おれたち、セーラー服じゃなきゃだめなんだ」
他の男たちも土下座した。女は驚いたが、そんなに悪い気はしなかった。
「火事だっ」
待ちきれず、誰かが叫んだ。まだ試着室の中にいた女は、慌ててセーラー服のスカートを上げた。サイズはぴったりだった。
「お客様、はやくこちらへ」
言いながら、血走った男がスカートをめくる。
悲鳴を上げるよりも先に、見られた尻肉が薄い布地の中できゅっとちぢこまる。
「いいよ藍ちゃん、すごくリアルだ」
かわるがわる男が来てスカートをめくる。ふとももに挟まれたお肉がもりっとしてて最高。めくるだけで触らないのがお約束。今日は全店一斉スカートめくりの日。
ママ「まさお起きなさい起きなさ〜い、
オキロォー!! ヾ(* ̄O ̄)ツ」
まさお「ママ今日から春休みだよ寝させてよぉ(-_-)」
ママ「春休みでも早く起きるの、ほぉら起きて」
(・_*)\ペチ(・_*)\ペチ
まさお「痛いよぉ(≧д≦)ママ」
ママ「さっさと起きて朝御飯よ」
まさお「はーい(_ _))) ヾ(T.T )」
あかね「ママパパお〜o(⌒0⌒)oは〜♪\(⌒▽⌒)/」
ママ「おはo(^0^)oよう」
パパ「b(⌒o⌒)d おっ \(*^▽^*)/ はぁー!!」
あかね「パパったら無理に真似しなくてもいーのに面白いんだから\(*^▽^*)/」
ママ「今日は(^∇^)朝から元気じゃな〜い?」
あかね「うん(^^)b友達と遊ぶ約束してるから」
ママ「も・し・か・し・て( ̄▽ ̄)彼氏?」
あかね「まぁね(⌒〜⌒)」
ママ「今度うちに連れてきなさい(^_^)」
パパ「ママ、友達だよ(≡ ̄ー ̄≡)彼氏なわけがない」
あかね「彼氏だよ、今度ね、いってきま〜すd(-_☆)」
ママ「いってらっしゃい\(o⌒∇⌒o)/」
パパ「Σ( ̄ロ ̄|||)なんだあれは突然なんだぃw川・o・川w」
ママ「妬きもちさんねパパは( ^o^)ρはぃアーンして 」
パパ「あーんm( ̄○ ̄)m」
まさお「うわっ(/||| ̄▽)/朝からキツイの見ちった」
ママ「やっ、やだぁr(^ω^*)))もぉ、まさおに見られちゃったわねぇ、パパ」
パパ「じゃぁ会社行ってくるよd( ̄  ̄)」
ママ「あら、もぉ行くのぉ?ヽ(^。^)ノいってらっしゃ〜い」
まさお「夜にやってよ(・・ρ)あーゆーの」
ママ「そっ、そうね(/▽*\)朝からメンゴメンゴ」
まさお「いただきまーす(* ̄ツ ̄)o」
ママ「さぁて、おうちのことやりますかな\(o⌒∇⌒o)/」
まさお「あかね、まだ寝てんの?」
ママ「今頃、彼氏とデートよ(⌒〜⌒)」
まさお「はっ?あいつが~(・・?))(((;・・)どうしちゃったの??」
ママ「あんたも見習って家に連れてきなさい(⌒∇⌒)お茶碗洗っておいてね」
まさお「ぜってー連れてこないよ( ̄△ ̄;)やだね」
『私は何時も独りだった』君は僕に背を向け呟く。
僕は何時も通り嘘をつく『そんな事無いじゃないか』
『嘘吐き』君は吐き捨てた様な言い方をした。だけど初めてじゃない。僕の嘘も何時もとなんら変わりは無い。『嗚呼、僕は嘘吐きだ。君も同じだけれど』少し哂いながら言う。きっと君は怒る
『私は貴方とは違う。』声を荒げて君は言う。やはり君は怒る。
『僕らの何が違うんだい?君も僕も虚言壁だ。現に君は約束をまた破った』僕は君の細くて痛々しい手首を掴む。紅い血が指まで流れる。君は言いにくそう言った。『ええ』
僕らには何の感情も生じない。愛も、友情も。
否、生じてはいけなかったのです。一生此の儘でなければ。
何時の間にか僕等の話は途切れていた様です。
僕は呟いた『大体君には彼が居るじゃないか。』君は少し間を空けて言った『あの人は私を愛さない。尤も私は愛なんてものに縋るほど莫迦じゃないし莫迦になれないだから私は彼を愛さない』
僕は云った『知って居るよ。』暫しの沈黙。
彼女が沈黙を破る『苦しい』僕は尋ねる。『御薬は?』
『昨日、全て川に棄てました。』君は当り前の如く言いましたね
だから僕はいいました『これから如何するんだい?』
君は嘲笑う『これから?今日が世界の終わりの日です。』
僕も哂う『だからこんなにも今日は皆騒がしいのか』確かにあの日は皆、おかしかった。テレビを付けても何もやっていなかった
『下の人は浮かれているのか恐れているのかよく解らないわ』君は本当に理解できないという顔で言ったね。あの顔よく覚えているよ
あの後何を話したか、あまり覚えて居ないんだ。君は笑うだろうけどね。だけどあの日の空、人そして君を僕はとてもよく覚えているよ。あの日は世界が優しかったたとえこんな僕にも。
唯、最後は勿論覚えているよ。世界は後五分で終わろうとしていた。僕はさらりと云いました。『愛しているよ』君は哂って言った『其れだけは云っちゃ駄目。でももう善いですよね?』僕等は五分だけでも恋人になれたのでしょうか。君も僕も永遠に時間が止まればいいのにと馬鹿げた事を言いながら最初のキスをしました。あんな幸福初めてだった。けれども時間は迫り来る。
世界はカウントダウンに入りました。10。僕等は手を握る。9。君が目を瞑る。8。僕は君に最後のキスをする。7、6、5。唇を離す
4、3、2、1。僕等はもう一度手を握り締める。
0。世界は温かい光に包まれる。僕等は笑う。
団地の小さな砂場。
翔太は無邪気に笑い、トンネルを掘っていた。表面の乾いた砂に膝をつきながら、少し湿ったところまで掘り進んでいく。指先を集中させ、ロケット花火の残骸をとりのぞき、トンネルの側面を固めながら、二の腕まで掘ったトンネルの先に行こうと、小さな中指と薬指を上下に動かす。深く掘り進んだトンネルは先に進むほど冷たく固く、指先から体温を奪っていく。
「どこまで掘れた?」
翔太が顔をあげると、鼻先に砂をつけた茜が首をふる。
「わかんない。つながらないの?」
「待って、ズレてる」
茜の掘り具合を見ながら、翔太は掘る先を左に変えた。
うすい砂の壁が崩れ、冷たい茜の指に、翔太の指が触れた。砂をボロボロ崩しながら、くすぐると茜はいたずらっぽく、微笑んだ。
冷たい指先が、少し温かくなる。
ふたりは頬を紅潮させ、別のトンネルを掘りはじめた。
いくつもの穴をつなげ、広がる地下帝国にふたりは夢中になった…。
茜が帰っても、翔太はひとり砂場にいた。
白い砂を集め、山のうえにふりかけている。細かな砂がキラキラ光り、山肌にさらさらと落ちていく。小さな握りこぶしから落ちる砂を、翔太は静かに見ていた。
「おい、翔太」
ふりむくと同じ幼稚園の一哉が、補助輪の自転車に跨ったまま、ニヤニヤと笑っていた。
「おまえ、さっき茜と遊んでただろ」
「うん」
翔太が頷くと、一哉は甲高い声で笑った。
「うえー。女と遊んでやんのー」
翔太は顔を真っ赤にし、白い砂を握りしめた。
「スケベのオトコオンナ、女ったらしー。明日、幼稚園で言ってやろー」
「うるさいな! あっち行け!」
翔太は紅潮した顔をあげ、口を尖らせた。
「うへー。ヒステリーだ、オトコオンナの翔太ちゃん!」
一哉が、甲高い声で笑うと、翔太は立ち上がり、握り締めていた砂を投げつけた。
「うるさいんだよ!」
興奮した翔太はトンネルを執拗に踏みつぶし、からかう一哉に砂を投げ続けた。自転車に細かな砂の当たる音がし、一哉は口から砂を吐き出しながら、自転車から飛び降り翔太に飛び掛った。
シャツの中に砂が入り、靴の中がザリザリした。
翔太は、なにもない砂場のうえで、目をゴシゴシと擦った。はやく涙のあとが消えるように、一生懸命擦り、目のまわりを真っ赤にした。
鼻をすすり、少しむせる。
暮れかけた砂場は、いつのまにか冷たかった。
翔太は家に帰る時間になっても帰らずに、トンネルを掘り直した。
「パパ」
背中の声にビクンと震えた良夫の動きが完全に止まった。
彼はパジャマから普段着のズボンに履き替えようとしていて、だが、ひどく焦ったその作業は、いっこう進んではいなかった。
「弘明! お、お、お前、車に撥ねられたって、ママから……」
「ううん、ちがうんだよ」
「えっ」
「あれはウソ、でもほんとうは、パパは、ぼくが死んだほうがよかったんでしょう」言いながら弘明のふっくらと柔らかな頬が涙にゆがむ。
「だからね、だから、ママがいったんだ、きょうはパパをうんとこらしめてやろうねって」
「あっ……いっ」
「パパ、ごめんなさい」
それに込められた思いのあまりの切なさに、良夫は思わず弘明を抱いた。
薄い身体だった。すぐにそこから熱いぬくもりが良夫の身体に伝わり、そうしてどうしようもない愛しさが彼の胸をつきあげた。
――ああ、いったいなにやってんだオレは、こいつを、こんなに……この子を、こんなに苦しめて、バカヤロウ
良夫は弘明を、さらに胸に包み込むように抱きなおす。
「でもね、パパにこうしてもらうのって、なんだかはじめてみたい」
「うん、うん、そうだったかもしれない。ごめんな、ごめんな、弘明」
薄い生地をとおして弘明の涙が良夫の胸をぬらす。激しい後悔が胸を焼くのか、それは火傷をしそうなほど熱い感触だった。
「お前、晩ご飯はどうした? お腹へってないか」
「うん、へいきだよ。ぼくのぶんは、ちゃんととってあるんだから」
「そっか」
「でね、そのあとはデザートのケーキもあるんだよ。ねっ、パパ、いっしょにたべるんだよね」
「ああ、もちろんさ」
弘明の頭ごしに、ドアの隙間からのぞく妻の顔が見えた。その目がクスリと笑っている。
「ケーキって、あいつ……ずいぶん手がこんでるな」
「だって、きょうは、ぼくの7才のおたんじょうびなんだよ」
その瞬間、良夫の目から大粒の涙が可笑しいくらいこぼれ落ち、彼は弘明を抱く腕にいっそうの力をこめた。
「い、いたいよ、パパ! ああ、でもパパって、あったかーい」
「そう、あったかいなあ」
「パパ? ずっと今のようでいてくれる」
「うん、きっと。約束だ」
頬をくすぐる息子の柔らかな髪の毛から、ほんの少しお日様の匂いがすることを良夫は感じ取っていた。
僕は小4の時に犬を飼い始めた。
親に連れられペットショップに行ったのは初めてだった。
色々な犬が籠に並んでいた。
マルチーズ、チャウチャウ、チワワ。
僕は籠に入れられた犬を見ていった。
結局、僕が買ったのは、ショーウインドウの大きな籠に入れられた子犬だった。
目の上に麻呂の眉毛のような黒い模様が入っているのが気に入ったのだ。
名前はすぐに決まった。ころころしているからコロ。
今考えると安易な発想だ。
この時、コロは僕らの家族になった。
犬を飼う事が初めてだった僕らは試行錯誤しながらコロを育てていった。
何年か経ちコロも大きくなってきた時だった。
親と一緒にテレビを見ていると
「コロなんか震えてない?」
と、親に言われコロを見ると何かをくわえて震えている。
そのくわえていた物は、僕が買ってきたドーナツだった。
怒られると思って震えていたんだろう。
その姿を見て僕は怒るのも忘れて笑ってしまった。
ある時は、僕がこっそり残したおかずを嬉しそうにくわえながら居間に走ってきたりもした。
僕は慌てて隠したが、結局親に怒られる破目になった。
それから僕は、大人になり一人暮らしをするようになった。
家からの距離は遠くなかったが、家に帰ることは殆どなかった。
そして久しぶり家に帰って驚いた。
あんなに元気だったコロが痩せ細りよろよろと歩いていた。
おじいさんになってしまったコロを見て僕はショックだった。
それから程なくしてコロは死んだ。
僕は一人泣いた。声を出して泣いた。
コロという存在が僕の心をこんなにも埋めていたとその時に気がついた。
僕がコロの事をあまり思い出さないようになった時だった。
僕の前に元気なコロがいた。
何だ死んだと思ったのに元気じゃん!僕は嬉しくなった。
でもそれは夢だった。
急に悲しくなって僕は泣いた。
心の奥で願っていたのが夢になったのかもしれない。
今でも僕はコロの事を考えると泣いてしまう。
でも、僕の中では元気なコロが走り回っている。
僕にはおじいちゃんが三人いた。
お父さんの実家にいるおじいちゃん。
お母さんの実家にいるおじいちゃん。
そして、東京のおじいちゃん。
高校生になるまで特に疑問はなかった。自分は特別なんだって思ってた。
ただ、小学生になった頃(多分、その頃がお母さんの実家にいるおじいちゃんの一番古い記憶だと思う)お母さんの実家に従姉妹と弟とみんなで集まって手巻き寿司を食べていた時、弟や従姉妹には「おじいちゃん」と呼ばせているのに、うちのお母さんが『中沢さん』と呼んでいた。
だから、僕もおじいちゃんの事を『中沢さん』と呼んだ。そしたら、お母さんがすっごく怒って「おじいちゃんでしょ!おじいちゃんでしょ!!」って何回も言ってきて、僕はよくわからずに訂正したんだ。
今更、血が繋がってるかどうかなんてキムタク主演ドラマ位どうでもいい。
ただ、昨年東京のおじいちゃんが死んだ時、密葬にしたと聞かされて胸が苦しくなった。東京と言ってもここ5年位は地元に帰ってきて親と一緒に暮らしており、一昨年位からは入院していた。
死ぬ半年位前、実家に帰った時にお見舞いに行ったけど死ぬなんて思えなかった。元々痩せていたおじいちゃんがさらに痩せてはいたが、しっかりした声でこういった。
『おぉ、さとしか』
アルツハイマーというのは脳の病気だと聞いた。でも、おじいちゃんは久方ぶりに会う孫の顔をしっかり覚えていた。
学校は楽しいか?今どこに住んでいるんだ?そこの近くにおじいちゃん住んでいたんだよ。
など、たわいもないがたくさんの事を話した。
話している間、透き通ったガラス玉みたいな目で真っすぐこっちを見るものだから、嘘がつけなく「また来るからね』って心から思った。
なかった事にしたいのかって思った。おじいちゃんとおばあちゃんが二人ずつだとバランスがいいから。本当は死んだおじいちゃんが均衡を保つ中にいる一人なのに。
別に、今更血が繋がっているかどうかなんてアイドルの成人式位にどうでもいい。
ただ、僕にとっておじいちゃんは三人いるってだけで、一番目二番目三番目なんて順番はつけられない。だから、死んでも存在していたという事を過去に出会った人たちへ伝えて欲しかった。来るか来ないかはどうでもいい。
あのガラス玉みたいな目を思い出す度、深くため息をつく。
気がつくと私は深い霧の中に立ち尽くしていた。一本の長いアスファルトの道。その道の上に自分の足が付いているのが見てわかる。少し、浮いた感じだった。自分の足なのに自分のものではない感覚。
そんな奇妙な感覚の中で、私はただ前へ前へと進まなければならないという衝動に駆られていた。
一歩、足を動かしてみる。意外なほどに軽かった。まるで重力が無くなったようだと思った。きっと、月に行ったらこんな感じなのだろう。そしてその足は独りでに、前へ前へと進みだしていた。自分の気持ちなど関係なく、ただ前へ前へと。
二本の足は深い霧の中、アスファルトの道に沿ってただ歩き続けた。私はその間ずっとその足を見つめていた。特に何かを考えているわけではなかった。ただ、二本のそれが単調なリズムで動いているのをぼぅっと眺めていた。何時間歩いたかわからない。私の中ではもう一日は過ぎたような気がする。
ふいに、顔を揚げてみた。霧は薄くなり、少し先なら見えるようになっていた。どこかで見たことがあるような山道が広がっていた。
ここはどこだろうか。どこであっただろうか。思い出せない。確かに見たことがあるはずなのだ。思い出せない。そもそもどうして私はここにいるのか。
しかしながら、そんな考えもすぐに消えてしまった。足は前へ前へと進んでいく。ただひたすら霧の中を。
林間学校かなにかで見知らぬ座敷に寝ているのだろう。真っ暗闇の中で、ひどく喉が渇いて目が覚めたまだ子供である私は、起き上がってこっそり部屋を出た。指導員に見つからぬよう缶ジュースを買って飲もうと思ったのだ。強い炭酸の入ったものをごくりごくり飲み続けたいのだ。外に出ると街灯ひとつなく道の向こうに黒々と森が広がっているのが見えた。森の向こうにはさらに黒い海が広がっているのだろうという気がした。寒くはないので夏だろうか。だが辺りには微かな虫の羽音すらなかった。道に沿って自販機のひとつぐらいあるだろうとしばらく歩くと別棟の建物に辿り着いた。ガラス戸越しに覗きこむ。なにも見えない。けれどもロビーに自販機があるかもしれないと思い付いて中に入ってみるとただ暗い廊下が続いている。奥へ進むとその先に大部屋があるようだ。その中にはたくさんの赤子が乳母と共に眠っているようだ。廊下は暗いが部屋の中はどうやら輝いているようだ。襖を開けて中を覗こうとした時後ろから誰かに手を取られて振り返る。青いワンピースを着た女だった。ここにはジュースの自販機はないから戻りましょうと言う。手を引かれるまま再び外に出て、けれども他に自販機のある場所を教えてくれるのではなくて、ただ自分をどこかに連れ出したいだけのようだ。つまりは私の望みをまるで聞いてくれないようだ。うつむいて夜道を行くうち、足元に黄緑の蛙が跳ねている。夜目になぜだか蛙の背の黄緑だけがやけに鮮やかだ。手を引かれているのでうまく蛙をよけられない。踏み潰してしまわないかと気が気でない。だんだん進むのが嫌になってきた。無闇に手を引っ張られ続けるのがなにか違うような気がしてきた。青いワンピースと言うだけで母親のように思って付き従ってきたが、よく考えると母親ではなかった。思い返すと先ほど見た彼女の首の上には、人の顔ほどの大きなジャガイモにパーマのカツラを被せたようなものが乗っていた。大きさが人の顔ほどだというだけで、また表面の皺が一見目をつぶっている人の顔に見えるだけで、実は人ではない。これはどうもまずいようだ。むしろ先ほどから自分の歩くのを邪魔しているような黄緑に輝く蛙のほうがよほど自分の味方であるのかもしれない。あの赤子のたくさんいた大部屋が私の行くべき場所であったようだ。それを得体の知れないなにかに連れ去られようとしているようだ。ひどく喉が渇いている。
時間と時間の間に迷い込んだような静けさ。人々がコマ送りで動いている。本の表紙を眺め手触りを確かめていたり、頭を本棚に突っ込んで何分も出てこない人もいた。カウンターで長い髪の女の人が渡された本の匂いにくらりと頭を上下に振った。振りながらパソコンに入力作業をしている。中に夏目漱石でもいるのかと思ったくらいだ。本も人もみんな鮮やかな色をしていて、ぎこちない動きをしていなければ図書館と気づかないほど活気が溢れているように見えた。僕はブルーのシャツを着ていた。胸に大きな魚がプリントしてある。ジーンズは1ヶ月ほど洗っていない。釣り針みたいなロゴで土踏まずが釣り上げられている靴。これは誕生日に自分で買った。
突然携帯の呼び出し音が鳴った。本を一冊抜いたあとのすき間に大柄の男がいる。似合わない音楽を聞くものだな、と僕は思った。
「よう、」
と男は言った。誰か親しい人からの電話らしい。男はしばらくうなずいていた。
「何か持っていくのか」
どこかに行く話のようだ。すでに立ちあがっていた男の顔は、色とりどりの背表紙に隠れている。
「今更プレゼントっていうのもなぁ」
男は低い声で笑った。いや、何かをつまらせただけかもしれない。昼に食べた定食の鮭の皮が喉にぺたりとくっついて剥がれないだけかもしれない。
「あれから1ヶ月か」
一瞬横顔が見えた。えらく深刻な表情だ。声が少し震えたように聞こえたのは僕の耳垢が溜まっていたせいだろうか。いや耳垢じゃない、溜息だ。タイジの溜息が僕の耳に詰まっている。
タイジのことはよく知っている。先月も一緒に釣りに出かけた。僕は誕生日前で、タイジは大物のチヌを釣り僕のクーラーボックスに入れたまま忘れたと、携帯で知らせてきた。取りに行くのは面倒だからそっちで適当にさばいてくれ。
「……と言ってもなぁ、俺まだそこらへんにあいつがいるような気がするよ」
僕は本棚を迂回し、よう、と声を掛けた。
「んじゃ、一時半にクレちゃんちな」
タイジは携帯をポケットに突っ込み、僕の伸ばした手を軽くかわした。
図書館の自動ドアが開くと、世界はモノクロだった。白と黒の街、なのに五月だ。並木の葉が風にそよぎ、さえずる鳥の声が電線で交差してる。さっと背中に影が差し、タイジは後ろ姿のまま動かなくなってしまった。あきらめて手にしていた本を開いた。青々とした表紙の空が指先から滴になって落ちてくる。構わず続きを読む。
「はぁ〜っ・・・よおし、大丈夫ね」
24才の衿子はお出かけ前の口臭チェックを欠かさない。彼女は息を吹きかけたカルロスの反応で口臭を調べている。カルロスはペットのドイツ犬なので何も言わないが、その微妙な表情や頭の振り方でニオイの有無と程度を判断することができるようになった。
抗菌・消臭グッズや消毒用アルコールを取り揃えた彼女は、部屋や用具類を含めて、汚れや臭いがない生活を標準と見なしている。先日は、欧州産のナチュラル・ミネラル・ウォーターを飲む直前、微小な埃を虫眼鏡で見つけ返品した。通勤電車では、つり革は必ずハンカチを介して握ることにしている。
そんな衿子が過去に親密なお付き合いをした男性は5人。当然のことながら、誰もが何らかのニオイを有していた。もっとも、それらのすべてが悪臭ではなく、乳酸発酵のような甘酸っぱい匂いもある。でも、彼女は、どんなものであれ、たとえ僅かでも、口臭や体臭が平気ではいられない。だから、彼女は男と唾や汗を共有すると集中力が乱れ、誰とも一体感を得ることができなかった。
彼女の友人の話では、思春期を経た男女は特定の相手を誘うために肌や口から揮発性化学物質を放出し、芳香ではなくても時と場合によって、それが心を安らかにしたり熱情を刺激したりするらしい。その受容感覚はキスによって鋭く発達する、という。
「男の汗臭さにぞくぞくなると言う人が信じられない」
ところが、会社の運動会の日、衿子にとって珍事が起きる。差し入れに彼女が作ったおにぎりを、無心にぱくつく男の姿を見て、自分の本能が解き放たれた気分になったのだ。それからの衿子は、その男、慶三のことが気になって仕方がない。地方出身の慶三はお国訛りを隠そうともしない素朴な男で、そもそも、理知的で美顔の衿子が、高卒で野暮ったい慶三を相手にするのは意外である。
ふた月が過ぎ、休日の当地で発生した震度5の地震は平和でクリーンな日常を吹き飛ばした。そのとき何があったのか知らないが、ひとり住まいの衿子と慶三の仲は急速に進展していた。以来、衿子の嗅覚は愛しい慶三のしるしを求めるようになる。
「人のにおいが快感に結びつくとは思いもよらなかったわ」
情熱の夏が到来し、猫のようにじゃれていた慶三と衿子は、自転車の相乗りをして軽やかに自然へ溶け込んでいった。
桜の花びらが庭に舞い散る中、私は座敷で死者と向き合っていた。
春の柔らかな日差しを受けるその顔は、少しやつれてはいたし、白髪もあるけれど、苦悶することなく死んだのだろう。安らかな寝顔ともとれる。けれど、薄い布団に寝かされたその体は、二度再び起き上がることは無い。
野垂れ死ぬとはいい気なものだと私は思った。
もう母が死ぬというときになって、突然姿をくらました。母がうわごとでその名を呼んで、手を差し伸べても、そこにあるのは暗闇だけ。裏切り者、薄情者、うそつき、怠け者、卑怯者、弱虫。いくら罵ってもきりが無い。
もう二度とこの家の敷居をまたぐなと言った亡き祖父に、泣きながら母と私に謝り続けた亡き祖母に、私は手を合わせる。
「ごめんね、おじいちゃんおばあちゃん、この人家に入れちゃったよ」
桜の枝がつくる影が、私の頬を幾度かなでる。
穏やかな風にふと目をあげると、桜吹雪の庭に、男が立っていた。9歳だった私を捨て、病の床の母を捨て、祖父母を捨ててこの家を出て行ったその姿で。この20年、頭の中に渦巻いていた恨みが、のど元までせりあがる。
と、男は、右手で頭の上のソフト帽をつかむと胸の前に持っていき、私に向かって深々と頭を下げたのだ。
「……父ちゃん」
20年前一生口にするまいと誓った言葉が、唐突に唇からこぼれ落ちた。
「父ちゃん、父ちゃん、父ちゃん」
一度声にしたら、堰を切ったように止まらない。音も無く舞い散る桜の中、微動だにせず、父はただひたすら頭を下げ続ける。スーツの裾だけが春風と遊ぶ。
「父ちゃん、父ちゃん、父ちゃん!」
何で出て行ったの?父ちゃん。お母ちゃんは死ぬまで父ちゃんを呼んでたのに。どうして私を置いていったの?父ちゃん。教えてよ、父ちゃん。もう誰も責めないから、誰も怒らないから教えてよ。私のことが好きじゃなかったの?産まれて来ない方がよかったの?また私を置いていくの?また私を一人にするの?父ちゃん。
裸足で縁側から庭に降りると、樹の下に走る。しかし、父の影は急速に遠ざかり、やがて桜の向こうに消えた。私はそのままの勢いで桜の樹に抱きつく。私が産まれた時に父が買ってきたという桜の苗木は、両手をまわすほどの太さになった。
「父ちゃん、父ちゃん、父ちゃん……」
髪に肩に、音も無く桜の花びらが降り積もる。
冷たい幹が黒く変色したのを見て、私は泣いていることに気がついた。
ナイフを拾った。
公園の横にある路地。いつもなら気にもとめないが、今日は何かに呼ばれているような気がする。別にオカルトの趣味はないが、この後、特に決まった予定もない。子供の頃、探検ゴッコが好きだった私は、少しワクワクしながらその路地へと足を踏み入れた。
人が辛うじてすれ違える程度の、狭い路地をしばらく進むとその先は――行き止まりだった。
軽い失望を覚えながら、今来た道を引き返そうとした瞬間、私は何かを踏みつけた。慌てて足をのけて確認すると、それは古びた折りたたみ式のナイフだった。
普段なら、無視するはずのそのナイフを拾ったのは、先程感じた探検気分がまだ残っていたのだろう。
刃の部分に錆が浮きでている、その汚れたナイフをポケットに仕舞った私は、その後で砥石を買って帰途についた。
汚れを拭き取り錆を落とすと、その古ぼけたナイフは見違えるようになった。
綺麗になった刃を見ていると嬉しくなる。 私は飽きることなくそれを見つめていた。 ふと気がつくと、刃に映った私も微笑んでいる。
この綺麗なナイフと一つになりたい――
気がつくと私は、左手首にその刃を押し当てていた。
鋭い痛みと共に、小さな血のかたまりが出来る。ほんの少しだけ綺麗な刃に赤い色が付いた。
ナイフを染めた分だけ、ナイフも叉私の中に入ってくる――そんな奇妙な錯覚を覚えた
私は、もう少しだけ右手に力を込める。
左手首から流れる血はナイフを紅に染め、更に下へと続く。もうあまり痛みは感じない。
ただナイフと一つになる感触が嬉しかった。 ナイフもまた、私と一つになることを喜んでいる。その証拠に、刃に映る顔も嬉しそうだ―― そんなとりとめのないことが、頭の中を渦巻く。
そうなるともう止められない。
私は更に右手に力を込めた――
Fin
コンクリートの打ちっぱなしで設計されたカフェが、森林公園を抜けた先にある。駐車場や駅とは逆の方角で道は細い上にでこぼこしているから、歩いてしかいけないけれど、森が切れたら左手にそれはある。
ただでさえ小さな建物の小さな入り口は常に閉じているので、営業中かどうかは外から眺めただけでは解らない。それに看板がないから、ここがカフェであることを知っている人自体がとても少ない。入口の隣にポストがあって、そこに【アリスカフェ】とささやかに書かれていることに気付くか、それ以上にささやかに漂う珈琲の香りを感じ取ることができなければこのカフェは見付からない。
青年はドアノブを捻る。キッと短く金属音を一度だけ立てて……回った。どうやら今日は開店中らしい。猫背になるだけでは足りず、さらに膝を折って赤い扉を潜り抜けると、珈琲メイカを乗せたテーブルが置かれたスペースに出る。椅子は二脚。六帖ほどしかない狭い店内には、それだけしかない。そして二脚のうち片方には一人の少女が座っているのだ。青年は少女に向かい合うように椅子に座る。これでアリスカフェは満席になってしまう。青年が席に着くと少女はゆっくり立ち上がって、ドアに鍵を掛ける。何処か機械的で人形的な動きだ。フリルが多目の黒いワンピースに、染みひとつない白い前掛け、長い艶やかな黒髪を飾る白いカチューシャ。歩いた分だけふわりと震えるそれらは中身より生きている感じがするから不思議だ。
少女が再び青年の前に座ると珈琲メイカのスイッチを入れる。こぽこぽこぽ。珈琲が出来上がるまで、物言わず少女は青年の瞳を覗き見る。少女の瞳の中で息が続かずに溺れるまでの五分間。やがて一杯分の珈琲がカップに落ちる。
青年がソーサごと左手で持つと、立ち昇る湯気が一本の糸になって、少女を捕まえる。抵抗しないことを良いことに糸は重なり合って、少女を離さない。そうして青年は少女ごと珈琲を楽しむのだ。
定期を見せて改札を走り抜け、ブランコに飛び乗った。あわててシートベルトを締めると、出発のベルが鳴り、ブランコが小さく揺れて、ゆっくりと動き出した。手すりにつかまって、息を整える。
買い物袋の中を覗き込むと、卵はどうやら割れていないようだった。よかった、また私のぶんのおかずが減るところだった。
眼下ではゆっくりと景色が流れていく。ベージュ色の、まるでじゅうたんのような地面は、どこまでも広がる。
「世界はでっかいじゅうたんなんだぜ」
キイチはそう言っていた。
この世界がどういうものかなんて、誰もはっきりとは分かっていないのだけれど、よく言われるのは、世界はボールみたいに丸く、ずーっとまっすぐ歩いたらいずれ同じ場所に帰ってくるというものだった。そしてその丸いのにも二種類あって、球体の内側に私たちがいるというものと、外側に私たちがいるというもの。けど、そのどちらの考えも、私にはしっくりこなかった。内側にいるとしたら、上のほうから人が落ちてきそうな気がするし、外側だったら、すぐに滑り落ちてしまいそうだ。
確かにこの地面はじゅうたんにとても似ていて、だから世界がじゅうたんだというのは昔からよく言われていたらしいのだけれど、今の時代にそんなことを本気で信じている人なんて、めったにいない。
学校を卒業してから、キイチとは離れ離れになってしまって、もうそんな話を聞くこともなくなった。ぜんぜん連絡もとっていないけれど、世界のはじっこを見つける旅に出たといううわさは聞いた。
買い物袋をかかえて公園に寄った。今日は日の過ぎるのが遅いようで、太陽はまだ斜めうしろにある。きれいに草を刈った地面に腰をおろすと、そのやさしい感触が心地よい。まわりに人もいないので、寝転がってみた。
見上げる空には、白い雲がゆっくりと流れていく。そうしていると、本当に、じゅうたんに乗って空を飛んでいるような気がしてくる。世界は魔法のじゅうたんで、みんながちょっとずつ力を出しあって空を飛ばしているのだ。そうキイチは言っていた。
キイチが旅から帰ってきて、はじっこを見つけたといっても、信じてくれる人なんているだろうか。誰も信じないかもしれないけれど、それなら、私くらいは信じてあげよう。
魔法のじゅうたんに乗って、私たちは空をゆく。早く飛べ、そう念じると、雲の動きがちょっとだけ早くなったような気は……やっぱりしないけれど。
昔からとにかくお前は頭が悪い、馬鹿だ馬鹿だと言われて育ってきたあたしが、それでも唯一、ニーチェの書いた本だけを理解できたのは、神が殺されるところをあたしは実際に見たからである。
真夜中のテレビモニターに映し出された街のメインストリート。カラフルな店が建ち並び、人混み、人混み、その中で白いドレスの神は、後ろから誰かにナイフで刺されて倒れ、そして死んだ。
神が死んだ!
(「いやはやとんでもないことだ。この聖者は知らないのだ。神が死んだということを!」)
(「ならば選びたまえ。君はビッグだ!」)
誰もいない客席の中、あたしは本をぱたんと閉じる。この本も難しすぎて、解らなかった。綺麗な色の表紙なのに。
ロックスターは叫び疲れ、ステージの真ん中でついに寝た。
本を捨てに外へと出る。帰る頃には起きるだろう。そして共に家へ帰る。もう二十歳だから、五年も一緒に暮らしていることになる。
コルベットのドアを開けキーを回す。ゴミ箱を探しに街へと出かける。綺麗な色の本に合うようなゴミ箱を探しに街へ。
大きなスクランブル交差点。信号が変わる。車を出し、角を曲がる。
そこに神が倒れていた。
ブレーキを思い切り踏み、車を止める。
がらんとしたメインストリート。静か。とても静か。居るのはあたし達ただ二人だけで。
車を降り、肩に手をかける。
「ねえ、ねえ、大丈夫?」
「ふう」
神は顔を上げ、息をついた。
「おなかを刺されて、痛いわ。誰も助け起こしてくれないし」
「ごめんね。すっかりニーチェに騙されて。やっぱり生きていたのねあなた。やっぱり生きていたのね」
「ええ。ドレスが真っ赤になっちゃったけれどもね」
「良いわよそれくらい。あたしが何とかしてあげる。こんなにお店もあるし。ねえ、乗って。何処が良い? 何が好き? 連れてってあげる」
「服は良いわ」
神が車に乗り込む。
「それよりわたしは、遊園地に行きたいな」
「解ったわ」
あたしは答え、車を発進させる。
「血だらけでひどい顔ね」
バックミラーをのぞき込みながら神が言う。
「髪もバラバラ」
「本当ね。でもあなたが来たら、みんな喜ぶわ」
「そうかな。みんな忘れてないかな」
「そんなことは無いわ」
「なら良いけれど」
そう言うと神は、あたしの本をぽらぱらとやりだした。あたしはアクセルを踏む。遠くには焼け落ちた遊園地群の灰色の観覧車。膨大な数の灰色のゴンドラが、青空の中、静かに揺れている。
ジョッキを傾けて、ナナはビールを飲んでいる。白い泡が気持ちよさげに揺れている。ゆっくりと液体が減り続けている。そうした様子を見ていると、僕も不思議とうれしい気持ちになってきた。久しぶりの再会で、店に入る前は少し緊張したのだが。場所はチェーンの居酒屋。
やがてナナはジョッキを置く。滑らかに、
「堪らないねえ」
と口にする。
「こうして堂々お酒が飲めるなんて」
「高校の時だって十分ナナは飲んでいただろ?」
「いや、あの時みたいにコソコソ飲むのとは違うんだって」
ナナは僕を見た。覚えているでしょう、という目で。ナナの大人びたセミロングとアクセサリにドキドキしながら思う。イナカの高校時代、二人きりで向かい合って飲んだことなんてなかった、と。隣ではスーツを着たオヤジたちが出来上がってしまっている。
僕らは近くに住んでいたので、仲間と飲酒した後は大抵一緒に帰った。
ナナが言う。
「うちって厳しかったから、バレると大変だったんだ」
「どこの家でもそうだと思うよ」
「あの時、いつも二階から直接入るの手伝ってくれたよね」
よくやっていたなあ、と僕は思い出す。自転車と僕の肩を踏み台にして、制服のまま毎回ナナはベランダまで登っていったのだった。そして自分の部屋へと侵入していた。
「あれ本当にバレてなかったの?」
「さあ。次の朝、念入りに消臭スプレーかけてたし」
「それ、あからさまじゃん」
僕の言葉につられてナナが明るく笑う。
昔をネタに話し続けた。ナナが浪人して今年こちらの大学に入ったのに対し、僕は現役だったからイナカの情報に疎くて。
「で、あの二人結婚するんだって」
ナナはやっぱり女子だ。噂を話す時はいきいきしている。
「できちゃったんだって」
「ふーん」
「何か他に反応ないわけ?」
一体僕にどうしろと?
突然、横のオヤジの一人が入り込んできた。
「彼女カワイイねえ、ちょっとお酌してくれないかなあ」
ナナはのけぞった。首元でチェーンが揺れる。そのまま固まってしまった。隣では真っ赤な目のネクタイ野郎達がにやけている。
「いいじゃん彼氏、減るもんじゃなし」
次々と卑猥な言葉を投げかけられる。僕は立ち上がってナナの手を取った。奴らを黙らせたかったが、ナナの不安げな様子を見てぐっとこらえる。ナナが手を握り返してくる。カチッ。何かが僕の心の中でかみ合った!
ナナがこちらを見ている。僕はまっすぐに、まっすぐな視線を受け取った。
幸平が泉から湯を運ぶ道中、大人達が「転がし」をやっていた。ただ崖淵に立って何かを放り投げるだけの事を、大人達は何故か至極真剣にする。煙る雪に黙々と動くシルエットは、近寄り難い威厳を放っていた。
「ねえねえかあちゃん、コロガシってなあに?」
「子供は知らなくてもいいの」
幸平は湯で体を洗っている母の丸みを帯びた全体に見惚れていた。
「湯気が逃げるから閉めてちょうだい」
幸平が以前風呂場で母の陰部をまさぐってから、母は体を洗う時や排泄の時に幸平の居所を意識するようになっていた。幸平は母が傷ついたのを感じ取ったので、それ以来陰部にだけは目を向けないようにしていた。
「おいこうへい! まもるがいぬのしたいみつけたって! いこうぜ!」
ばほばほと白い息を弾ませた卓也は湯の音を聞くと立ち止まった。
「おばさんふろはいってんの?」
「もうだめ」
しけった舌打ちをして卓也は走った。
幸平が追いつくと、そこには卓也を含めた級友が四人、輪になって足元を見ていた。
「なあ、さとこ、こいつおまえんちのシロだよな」
「なんとかいえよ」
「やめてよ、それよりはやくうめてあげなくちゃ」
美代子が黒い子犬を抱き上げると、隣にいた里子は声を上げて泣き出した。
そのどさくさに子犬を奪った卓也は、衛に声をかけて崖の方へ駆けた。
いよいよ大きく泣き出した里子をあやす美代子にじいっと睨まれて、幸平は仕方なしに卓也と衛を追った。
「このいぬ、なげようぜ」
卓也は幸平の息が静まるのも待たずに、転がしをやると言い出した。
一呼吸あってから衛もはしゃぎ出したが、幸平は黒い影がゆらゆらと動く光景が蘇って来ていてさすがに震えた。
「やろっかな……どうしよっかな……どうしようかなあ」
あっという間だった。幸平の好奇と恐れの小競り合いに愛想を尽かした卓也は、ひょいと子犬を放った。黒い影は雪煙の奥に潜むより濃い影の中で溶けた。
その瞬間、幸平は小便を少し漏らしながら、体中に強烈などきどきが走ったのを覚えた――この感じを再び思い出すのは、後に美代子の中に射精した時だった――そして、母の陰部を触った罪悪感から解放されたような気がした。
卓也と衛と幸平は、吸い寄せられるように見つめ合うと、途端に声と雪を立てて舞い始めた。
私は道化に追われていて捕まる寸前だった。突然体が軽くなってビルの屋上まで飛んだ。道化は非常階段をかけ上ってくる。私は道化に向けて小便を放った。
いつもここで目覚める。
香ばしい匂いが台所から漂ってきた。
「大阪にゴッホ展がくるんだって。いこうよ」
珈琲を飲みながら私は妻に応えた。いいよ。
私は締切り前の原稿を仕上げるべく閉じこもり、妻は比べると言って鴨居玲の絵を観にいった。
三日後私達は新幹線に乗った。
大阪はからりと晴れている。ゴッホ展は盛況で時間を忘れ、出ると空が茜色に染まっていた。中之島にあるホテルへ行った。バーナード・リーチ設計のバーを妻は気に入っている。夕食後はここでのんだ。
「鴨居はゴッホに敵わないわね」
どうして? 私は訊いた。
「ただの椅子がゴッホの椅子になるんだよ。平凡な麦畠がゴッホの麦畠になる。これが芸術の力よ。鴨居は人間ばかり」
反論しなかった。私は一人になりたかった。部屋に戻って妻を寝かせて、出た。小雨がしょぼついている。タクシーを呼んだ。行き先はどこでもいい。
「淀川へ」
「淀川も広いですよ」
私は自分の生まれた町の名を口にしていた。
ゴッホは嫌いだった。あの瞳は狂人の目だ。本当の狂気ではない。本当の狂気とは夏の日本海のような静けさを内包しているものだ。私はその点で鴨居玲が好きだった。ところが今日、絵の優劣ではなくゴッホの自画像に、あの、私を追ってくる道化の眼をみた。道化はずっと私をみていた。私は混乱した。
タクシーを降りた。二度と戻るつもりのなかった町。しかしスモッグの臭いを嗅ぐと落ち着いた。不思議だった。半ば夢遊病者のように小雨のそぼる道を歩いた。辿り着いた場所は工場跡地の空地。子供の時と全く変わっていない。私は腰をおろした。雨がじゃんじゃん降り出した。
ここで頭のいかれた青年に裸にされた。私はその状況を独りで演じ始めた。口も手も勝手に動く。私は犯されたことを思い出し、認めた。雨は止んでいた。帰ろうと思った。
部屋に戻ると妻は本を読んでいた。ずぶ濡れの私を妻は見た。私は気を失った。
夢をみた。道化が追ってくる。捕まった。もう飛べなかった。道化はナイフを持っている。黙っていると、道化は自身を傷つけ始めた。私は大人になっていた。道化のナイフを奪った。いつのまにか私達は淀川にいて、私はナイフを川に投げ捨てた。道化は泣いている。私は肩をぽんぽんと叩いた。
それっきり道化の夢は見ない。
夢の中で、時雄は幼い娘の手を引いて歩いている。
しだいに不安が兆して来る。今年二十四になるはずのかな子が、三つ四つの幼児の姿になっている。それでいて自分は、くたびれた中年すぎの貌のままだ。
向うから若い巡査が来て、呼び止めた。
──失礼ですが、そのお子さんは……?
──娘ですよ。私の。
平然を装って答えたが、相手はなお疑わしい様子である。
──証拠がありますか?
──何を言うんだ、父親が確かにそうだと言っているのに……。
証拠は、なくはない。
かな子の右の内股には、蝶が羽を広げた形をした紅痣がある。毎晩風呂に入れてそれを見知っているのは、自分しかいないはずだ。
しかし、巡査に向かってそれを口にするのは、なぜか憚られた。
返答に詰まっていると、巡査はいよいよ疑いを深めたようである。
──とにかく一緒に、署まで来てもらいましょう。このごろ、連れ去り事件が多いですからな。
いつの間にか、幼いかな子は巡査の腕に抱き取られて、花の咲くような笑顔であった。取り戻そうとしても、後ろから羽交い締めにされたように、動けない。
「時間ですよ、あなた」気がつくと、妻のみえ子の顔が、視界にあった。
「なんだ、お前か……」
時雄が朝食の席につくと、妻と娘はふっと話しやめ、緊張した空気が流れた。ここ三日、ずっとこうである。
三日前、かな子が、黒木という青年を夕食に連れてきたのは、時雄にとっては青天の霹靂であった。話は薄々感づいていながら、彼は露骨に不機嫌を表し、一人で飲むだけ飲んで、さっさと寝てしまった。
以来、冷戦状態がつづいている。
トオストを二つに割りながら、時雄はかな子にさり気なく話しかけた。
「昔、お前の内股に、あざがあったな……きれいな苺いろの」
「何よ、いきなり」
「あれは、まだあるのか」
「嫌ね、どうしてそんなこと訊くのよ」
「いいから、どうなんだ」
「あるわよ……ずいぶん薄くなったけど。大人になって、皮膚が伸びたから」
思いがけず恥じらいを見せた娘の表情から、時雄はある確信を受け取っていた。かな子は黒木に、まだあの痣を見せていない。いや、黒木だけでなく、どの男にも。
「黒木君と言ったな、この間の彼」
「そうよ」
「今度の休みにでも、また連れて来るといい。話は、その時に改めて聴こう」
「……うん」
一瞬、母親と視線を交わしたかな子は、柔らかに微笑んでみせた。夢の中でみた幼い娘の表情を、時雄はおもい出した。
ロボットは扉をあけた。テラスのおもて石畳の上を、コツン、コツン、コツンと、規則正しいリズムで歩いた。それからロボットは、バラの垣根をくぐり抜け、青い芝生へ足を踏み入れた。コーンネル社製の最新式P3型アクチュエータがアセンブルされた2足は、春風にあおられてたじろぐふうはなく、毎秒1mの速度で(とちゅうクローバの茂みは避けて)芝生を横切っていった。その先にある母屋 − 彼女のいる部屋に向かって。
左手にはラヴ・レター。バイロンから引いてきた/あなたのために世界を失うことがあっても〜/のフレイズ。
愛について。
ロボットはそれが演繹可能なものか、帰納法により導かれるものか、分からなかった。レターを掴むちからが、卵を掴むちからと同じくらいとは知っていたけれど、ラヴを掴むちからが、バイロンのちからで足りるかどうかは、分からずにいた。ロボットはおかしことに彼女を愛しているかどうかも、分からなかった。
ロボットはいつでも、自分は愛を見つけられないと考えていた。ちょうどこのバレーボールコートくらいな大きさの芝生のどこにも彼女はいないように、愛はないのだった。あるとすればそれは母屋の部屋のなか。あるいはバイロンの言葉のなか。(だとしたら、もしや彼女が、愛を見つけてくれるかもしれない。)あるいは卵と一緒にわたせばよいのかも? (でもこちらの可能性は低いだろうと、一応の結論を付けた。)あるいはぜんぶが愛だった? だからセンサーに何も引っかからないというのだろうか。一見スマートな考え方のようでこれは、ひどく暴力的だった。観測不可な概念を持ち込むことは、ロジカルな思考空間を指向するロボットにとって危険行為に等しいものだった。だから愛は、やはり、まだ見つけられていないどこかにあるのだ。ロボットはそう判断した。そうこう、母屋まであと半分ばかりきたところで、風がやんだ。
彼女は午睡の最中かもしれない。
ロボットはふとその可能性について思いをめぐらせた。そのため頭部にあるマイクロプロセッサの温度がわずかに上昇した。ロボットは制御系を安定させるため立ち止まった。そこに、宙を舞っていたミツバチが近づいて、ロボットの頭に止まり、また飛び去った。その軌跡は、ある閃きをロボットに与えたが、それがどういったものであるか理解する前に、2足は再び動き始めた。ロボットは芝生を斜めに歩いてゆく。左手にはラヴ・レター。
人通りの多い道の交わるところに傘屋があったが、どうしたことか土砂降りのその日は店を開けていなかった。傘を差したところで大して役には立たないだろうとは思いつつも、雨の日に傘屋が休むという行為に対して戸塚は一応悪態をついて、軒先で少し雨宿りすることにした。
外套の表面を手で払ってみたが、もう水を吸ってしまったのかじっとりとした感触があるだけだった。帽子も靴も似たようなもので、後はこのような日に外を歩かなければならない事情を呪うくらいしか抗う術は残されていなかった。
それでも、と戸塚は自分の来た方を眺めながら、この雨は恵みをもたらしてくれるかもしれないとも考えた。未だ完全に落ち着きを取り戻してはいないようで、あらゆる要素を検討しているというほどには自分を信用できなかったが、見知らぬ家の屋根に放り投げたナイフ、浮浪者にくれてやった手袋、そして他ならぬあの男、何もかもに分け隔てなく打ち付けているはずのこの雨が自分の痕跡を少しでも洗い流してくれればと、降り続けることに期待する気持ちもあるようで、止んでも良し、降っても良し、相反する気持ちを抱えたまま、なかなか歩き出せずにいた。
「やあ、ひどい雨ですな。もっとも、傘屋が雨を悪く言っちゃあいけませんが」
突然脇から声をかけられて、戸塚は外套の中ですくみ上がった。戸を開ける音まで掻き消されていたのだろう、傘屋から出てきたらしい小柄な老人が、いつの間にか彼に並んで立っていた。
「傘をお求めですか」
「いや、この雨です。傘を差しても……」
「そう思って休んでおったのですが」
「失礼。一息つけましたので、もう行きましょう」
「そうですか。しかしあなた」
「何です」
老人はどこからともなく傘を差し出して、帽子を深く被った戸塚の顔を覗き込んだ。
「顔色がよくないようだ。なるべく濡れない方がいいでしょう」
「そうですか。ではお代を」
「いや、どうせ売り物にはならない傘ですから」
「なら、遠慮なく頂戴しましょう」
戸塚の返答に欠伸で応じた老人は、彼に背を向けて戸に手をかけたところで尋ねた。
「今日はどちらまで」
「雨の降らないところまで」
背を向けたまま答えると、戸塚は傘を差して歩き出した。なるほど言うだけのことはあって、骨の歪んだひどい傘だった。顔を隠してくれるだけましかと割り切って使うことにしたが、雨の音が一層やかましくなったのには閉口した。
ある日あたしが映画館でムービーを観ていると、画面上で活躍していた赤ん坊の人形が突然あたしの前に現れた。急ぎ辺りを確認したが、特にパニックに陥る様子はない。どうやらあたしにしか見えていないようだ。
「あたしにあなたの名前をつけさせて」
人形は首を傾げながらかたかた口を動かす。あたしは小声で「いやよ」と返した。
「どうして? あたし子供だよ? 子供は世界を構築するために大量の名前を用意しないとダメなんだから。言葉の数が足りない分、それを補うような工夫のある名前をつけないと」
あどけない口調。そして赤ん坊は空中をゆらゆらと動く。映画が見えない。
「じゃあ別に断る必要ないわよ。子供特有の傲慢さで勝手に名づけてしまえばいいじゃない」
そんな怒らなくったっていいじゃない、どうせ認めてくれないくせに。そう言って人形は声を出して笑う。
ちょうど映画は盛り上がっているところのようだった。モンスターの叫び声が響き渡る。
「でもさ、不思議よね。馬を草と言い、草を馬と言っている大人がいたとして、この大人が間違っているなんて誰が言える? きちんと共有のコードを認識していなければ、社会という曖昧で不定形なモノに組み込まれることがないから? ばっかみたい。社会なんてなくても生きられるのに」
人形の言い分に眩暈がする。
「生きていけないわ。生きていけるはずないのよ。夢見すぎているのよあんたは」
落ち着くよう下唇を舐めて、あたしは人形を睨みつけた。
「そもそも。名付けは所有に繋がりかねないでしょ? あたしあんたなんかに所有されたくないわ」
その時、地響きのような大きな音がスピーカーから聞こえた。ついで人の叫び声が。人形はそれに煽られるように手を広げ口を何度もかたかた動かした。
「じゃあさ、馬や草が望んでいるかどうか分からなくても、固有名詞でも名詞でも勝手に押し付けるんだ、勝手に所有しちゃうんだ、勝手に世界の全てを道具に見立てていくんだ。キャハッ、傲慢! あたしがするのは嫌なくせに!」
「うるさいなあ、静かにして!」
あたしが叫ぶと同時に人形はふっと消え、斜め前のおばさんがじろっとこちらを睨む。ああ世の中こんなものかと思い、できる限り音を立ててコーラを飲んだ。
水道のパッキンが緩んでいるのかポタリポタリと滴が垂れる音が聞こえる。それにあわせるかのように薄暗い部屋の片隅で蹲った老婆が静かに泣いていた。真っ白な頭に喪服のような黒い着物を着て、顔は伏せているのでこちらからはわからない。一体何時からそこにいるのか。記憶は不思議と判然としない。いつもより少し遅くに帰宅し、ありあわせの夕食をすませ、酒を注いだあたりまでは覚えている。夕食後のいつもの一、ニ杯で、すっかり酔ってしまったというのだろうか。ポタリポタリと滴は垂れ続けていたが、いつの間にかすすり泣きは止まっていた。薄がりに目をやると老婆とは別の若い女が、泣きはらして真っ赤にした死んだ魚のような目をしてこちらを見るとはなしに見ていた。その様子にぞっとしてよいはずなのにそうはならず、どこか夢心地で、いやしかし夢を見ているというわけではなく、はっきりそうわかるのが何故だか知れず、ともかくこれは本当のことだ。
どこかで見た顔だろうかと、目を凝らしてみようとすると、女は顔を伏せてしまって、先ほどとは違う調子で、また泣きはじめた。不意にいつだったのかの週末に、梅を見にでかけた帰り、喪服姿の妊婦を見かけたことを思い出した。日暮れ間近、付き添う人もなく堤防の上を一人歩くその姿は夕映えの所為かやけにくっきりとしていて、大きな腹で、一目でそれとわかるのに葬式で出なければならなかったということは、つまり死んだのはその女の旦那であったということなのだろう。同情というのとは違う名状しがたい気持ちを覚え、梅の香りと共に記憶していた。
その女なのだろうか。そう思えたのは何故だかわからない。ここから見るに女の腹はもう膨れてはおらず、子どもはもう産まれたのか、それとも流産でもしたのか、泣いているのはあるいはその為なのか。声をかけようとすると、女は先ほどまで私が座っていたはずのソファに項垂れて座っていて、かわりに私が部屋の薄がりにいた。女は膝を抱えるようにして泣き続けている。私は彼女の傍らにとことこと歩み寄ると伏せた彼女の頭を撫ぜて「もう泣かないで」と言った。艶やかな長い髪が持ち上がると、そこにはもう女はおらず、まだ幼い少女が私にしがみついてまた泣いた。私は小さな手で彼女の背を抱え、「大丈夫だよ」と言った。ポタリポタリと滴が垂れる音が聞こえてくる。多分水道のパッキンが緩んでいる所為だろう。