第31期 #7
ドアホンというものがあるのに、突然の夜中の来訪者はドンドンとドアをノックしつづけた。大げさにドアを開くと色の黒い青年の姿があった。僕は言いかけた言葉を飲み込んでしまった。日本語が通じる可能性は五分五分に思えたからだ。しかし青年は流暢な日本語で言った。
「僕はタイからやってきた象使いのウィラポンです」
状況がよく飲み込めず、僕は何度も聞きなおした。でも聞き間違いなどではなく、相手は象使いであるらしい。だって本人がそう言うんだもの。ここは百歩譲って彼が象使いであることを認めよう。でもね、
「象使いが何のようで?」
「その象に逃げられましてね」
青年の屈託のない笑顔に、僕の怒り――こんな時間になんなんだアンタ!の感情はどこかへいってしまった。代わりにちょっと意地悪なことを言ってみた。
「象がいないんじゃ、あなたはもう象使いじゃないよ」
そう僕が言うと、青年はひどく傷ついたような表情になり、
「じゃあ元・象使いでいいです」と答えた。どうやら素直で好感の持てる男だ。
「前・象使いでいいんじゃないか?」
わけの分からないことを言って、気づくと僕は彼を部屋に招き入れていた。外は台風だったし、家というものはもっと他人にとって開かれた存在でなければいけないというのが僕の持論であるからだ。
「次の象が見つかるまででいいですから」
茶を淹れている僕の背中に彼は言った。そんなアテなどないということはなんとなく察しがついていた。
それから彼――ウィラポン青年は自分が輝いていた頃の自慢話をしはじめた。ひと目見ただけでその象が見世物としてモノになるかどうかの判断がつくんだということを、黒目を輝かせて僕に語った。
「でもそんな象は滅多にいないでしょう?」
「ええ、試しにアナタ、パオーンと鳴いてみてくれませんか?」
ここで断るのも寒いと思い、僕はうすら笑いを浮かべながら、でも、目の前の哀れな彼を傷つけないよう、なるべく真剣に、「パオーン」と啼いてみせた。
すると僕を見る彼の黒目の中に、牙の先端を丸く削られた一匹の像が映っていた。