第30期 #16

異教徒たちの踊り

黒人の男が牢屋に入れられている。その牢の前に白髪の白人女性が立っていて、男に言う。

「どうしてこんなところに入っているの」

それを聞いた男は黙っている。
「いいわ、あたしがあなたをここからだしてあげる」

女性は少し意気込んで言う。牢の中には窓がついていて、海がみえる。そして強烈な太陽。光が牢に射しこんでいる。男は小さな声で言う。

「出ようと思えば、出られるんですよ」

女性が男の手をみると、さっきまで両手を縛っていた縄がほどかれている。

「ほら、こんなふうに」男は白い歯をみせて笑う。


私は目が覚める。私は先祖代々の日本人である。ここは私の部屋だ。時間は午前4時40分。起き上がって、コーヒーをいれるための湯を沸かし、フランスパンを2センチの厚さに切ってオーブンで温める。その間、私はなんだか落ち着かなかった。夢はいつも不可解なものである。人を殺す夢も、殺される夢もみたし、時には空を飛んだり宇宙へ行くこともあった。しかしどの夢も主人公はいつも自分であったし、それらの夢には色がついていなかった。今回は違う。

クリームチーズをぬったパンをかじり、熱いコーヒーを飲む。私は夢のことを考えてみる。あの夢の中で私の視点はどこにあったか。皺のある女の顔も、縛られていた黒人の顔も私はみていた。あれは私の無意識のつくりだす映画で、私はカメラそのものだったのか?

「出ようと思えば、出られるんですよ」

私は男のセリフについて考えてみる。わからない。そこで口にだして言ってみる。両手首に縄がかかってあると想定し、あの含みのある声色を真似して。

さて、ここで何が起っただろう。眠っていた記憶が蘇った……なんてことはない。起こるわけがない。私はあと3時間後には市役所に働きに出る。そしてまる一日会計処理をする。仕事から帰れば食事をつくり、テレビを見て眠る。当分、再婚の予定はない。平凡と言われれば平凡な人生。それでこんな夢をみたのだろうか。刺激を求めてるというのか? ばかばかしい。

「ばかばかしい」私は口に出していってみた。幾分すっきりした。出勤まで眠ることにした。もう夢はみなかった。

目覚しのベルが鳴る。ようやく私らしい朝がきた。テレビのニュースを聞き流しながら背広に着替え、家を出る。バス亭にはいつもの顔ぶれが揃っていて安心する。満員のバスがきて、身体を押し込んで乗る。そのときだ。私は遠い異国にいる自分の姿をはっきりとみたのだった。



Copyright © 2005 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編