第3期 #7

日本語動詞も人称変化することについて

 音韻論に山をかけて言語学概論の試験に臨んだところが、実際に出たのは時枝文法であった。
 書くには書いたが、なんとなく落ち着かない気もちで帰途につき、交差点で信号を待っていたら、
「ちょトいいですカ?」
と、上の方から声を掛けられた。
 いや、あまり良くないですと反射的に答えたのは、これが白いヘルメット帽でスポーツ用自転車にまたがった西洋人の青年だったからである。きちんとネクタイを締めたYシャツの胸ポケットは何やら冊子で膨らみ、長老なにがしというバッジも付いている。後ろにはもう一人連れが控えている。
 泰西映画にも出て来そうな端正な美貌だが、私たち主エス・キリストの、とってもとってもありがたい、大切なお話を伝えています。などと曰う青年で、その上こちらはもう一時半近いというのに未だ昼飯を食っていない。人はパンのみにて生くるに非ず、我が与える水を飲む者は永遠に渇くことなし、とは言うけれど、やっぱりパンと水も必要であって、それよりこんな理屈をこねたら逃げるどころか取り込まれそうであり、いや今ちょっと急いでいるのでなどと辻褄の合わぬ陳弁をして、だから日本人は不正直であるなぞと謗られるのかと思うと一層情けなくなる。
 それでもどうやら諦めてくれて、時間あるトキ、ここへ電話するト良いです、と紙片を取り出しながら言う。仕方なく受け取ると、さらに押し返して、
「あなたハ電話すると思いますカ?」
と尋ねて来た。
 は? 私ですか? と思わず聞き返してしまったが、それはこの問いの文が変だからだ。
 この疑問文を受け取った現代日本人は、普通、「電話スル」主体として「あなた(自分)」を結びつけない。むしろこれは、誰かが電話するかどうか、あなたはどう思うか、という意味になる。
 ではどう言い直せば日本語らしくなるか。敬語を入れて、ついでに主語を取っ払って、
――本当に電話して下さいますか、
とでも言えば、確かに相手に念を押す構文になる。このような敬語はもはや殆ど敬意を含まず、人称の違いを表す役目をしている。
 日本語は文法のない未開な言語であると思っているのかも知れないけれど、決してそんな適当なものではないので、これが自分の動作なら
――ええ、電話いたします、
となって、ちゃんと一・二・三人称に対応する。
(わかった?)
 いま別れたばかりの異国の青年の幻像に語りかけながら、帰って来た。宗教だって、そういうものじゃないのかな。



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