第29期 #16

ミイ君

 そのネコは確かに歌を歌っていた。
「ほらどうだい? こいつは凄いだろう」
 と彼は自慢げに言う。レニー・クラヴィッツの腰にクるビートに合わせ、そのネコは歌っていた。鳴き声、というレベルではなく、それは完全に歌であった。
「レニー・クラヴィッツだけじゃあ無いんだよ。こんなのだって得意なものさ」
 クイーンのウィーウィルロックユーである。どんどん、にゃー。どんどん、にゃー。どんどん、にゃー。どんどん、にゃー。
「完璧じゃあ無いか」
 わたしは感心しきっていた。
「凄いものだなあ。Aメロ部分も完全についていっているね。完全に歌だよこれは」
「これだけじゃあ無いんだ。他にもレパートリーはいっぱい有るんだぜ。どうだい、こいつはちょっとしたものだろう」
「まったくだよ。こいつはかなりのグルーブ感だ。ネコ独特の前ノリ感が堪らないな」
「そうだね、堪らないね。こいつは、音楽がとても好きなんだ。飼い主に似るんだね。全く、ひどく可愛いものさ」
 非常に羨ましい。
「うちのネコも、歌うんだけれどね」
 羨ましすぎて、思ってみない言葉が口をついて出た。


「ほら、ミイ君。歌って御覧。ああ駄目だよそんなんじゃあ。グルーブ感が出てないよ。ほら、良く聞いて御覧」
「お父さん、何をやっているのですか」
「ああ、練習だよ」
「練習?」
「歌のね」
「歌の」
「ああ。ほら、良く聞いて。グルーブだよ。歌は魂だよ」
 娘が、また始まった、という顔で見ていた。構わずに続ける。
「ね、ほら、ジャニス・ジョプリンは歌がうまいだろう? こんな感じだよ。ね? 解るだろうミイ君」
「歌なんてミイには無理よ。ミイは芸なんて何も覚えなかったし。そんなに頭が良くないんだから」
「そんなことは無い。歌は、考えるんじゃあなくて、感じるものだからね」
「そんなものかしら」
「ああ。大体言ってしまったからね。ウチのネコも歌えるって。いや、悔しくてさあ、羨ましくてさあ。だから見に来られる前に練習させておかなければ」
「にゃ、にゃ、にゃ」
「ほら、違うよミイ君。身体でビートを感じて。身体だよ。身体で歌って」
「ふう、やっぱり、お歌は、とっても難しいにゃあ」
「そうだね、でも頑張って。ジャニスのように、歌いたいだろう? ジャニスのように、上手に歌いたいだろう?」
「うん、ジャニスのように、歌いたい。頑張るにゃ」
「うん、頑張ってミイ君」
 娘が夕飯の支度を始める。メシの前に、あと三曲は歌えそうだった。



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