第29期 #15

静寂を聴く

 どもお〜ん…………

 いえ、実際には音は聞こえない。ただ、ドラを叩く様子からいかにもそう聞こえてくるようだ。
 四車線道路幅ほどのでっかいドラを叩くのは、由緒あるお仕事。務めるのは、「二十三代目銅鑼右衛門」を襲名したばかりの男。

 どもお〜ん…………

 本日二回目の作業を終わらせる。残りはあと四回。
 歩道ににょきっと立つ時計の針を見下ろすと、朝の出勤時間だ。男が気づくのを待っていたように、大きなビル角を曲がって人がわらわらこちらに向かってくる。彼らの向かう先にはオフィス街。
 男も半年前まではこの流れに混ざっていた。今自分のいる位置にいた先代から目をそらして通り過ぎ、あんな退屈な仕事は死んでもしたくないとその都度思っていた。
 二回目を終えたので朝食だ。けど、ここを離れるわけにはいかない。緑化のために置かれた花壇の縁に腰かけて、握ってきたおむすびを膝の上にのせて食う。
 ドラはずっと見てなくちゃいけない。音は聞こえないが今も鳴っている。だいたい平均して五時間は鳴っている。音を相殺するための振動数が決まっていて、振動を継ぎ足すタイミングを計るためにドラから目を離さないようにしている。
 男はドラの音を聞いたことがない。ドラどころか、きちんと音を聞いたことがない。この国は、数百年前に音を捨ててしまった。
 だけど、みんな音が嫌いになったわけじゃない。
 男は前に就いていた仕事でそのノスタルジーを追っていた。音を聞くことのできないこの場所で、音を体験できないかという試み。由緒ある家柄に対する反抗だったのだろうと男は考えた。その仕事の半ば、ようやく光明が差したかと思われたその日、先代が倒れた。仕事中に。
 突如として生まれた騒音。犠牲者が多数出た。音は、男が思っていたように優しくはなかった。猛獣だった。
 絶望したと言ってもいい。男は今までの自分を捨て去って、死んでもしたくない由緒ある仕事を継いだ。
 食事を終えて、男は再びドラを叩く定位置まで登った。出勤の流れはまだ続いている。
 みんなそれぞれお喋りをしている。口がきびきび動いている。唇を読んでいるのだ。
 みんな、ころころ表情が変わる。豊かだ。
 バチを構え、男はドラの振動に肌の感覚を傾ける。
 それは、先代が聴いた静寂。



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