第28期 #8

告解

 とても穏やかな気分であるのは昨夜ぐっすり眠れたこと、午前中は特に何もせずぼんやり過ごしたことが理由かもしれない。何か大事なことを忘れている気もするが大変気分が良いので無理に思い出すのはやめようと思う。
 午後になって私は自宅の二階で幼馴染の親友に手紙を書いた。彼は今、アメリカにいる。彼はなぜかこの町を嫌って出て行った。遠い国で始めた野心的な商売は、けれどもますますうまくいっていないようだった。子供のころから知っている顔は頬骨が突き出て無精ひげに覆われ目尻と鼻の横に深い皺ができて、努力の報われないまま彼の人生の半ばまでが過ぎてしまったことを示していた。
 そんな彼に何を言えばよいだろう。私は散々迷った挙句、今の暮らしを正直に手紙に書いて、ぜひ気兼ねなく遊びに来てくれと付け加えた。私は故郷に残って青果商の父を継いだ。商売は順調で自宅の店を閉めて街中にスーパーを出店できるまでになった。優しい妻と結婚してとても幸福だ。
 ただ一つの気掛かりは、年老いた病気がちの母のことだった。私は階段を下りて母の座敷に行った。布団に包まった母は木彫りの人形のようだった。
「母さん、親友に手紙を書いたよ」
「誰のことだい? おまえに親友などいないよ」
「あとは母さんの病気だけが気掛かりだよ」
「私は病気ではないよ」
 カーテンを引いた暗い室内で母の両眼はただの窪みに影が篭っているだけのようだった。
「妻が言うには……」
「おまえに妻はいないよ」
 私は癇癪を起こして叫んだ。
「母さんはまだぼくの結婚に反対なんだね! 父さんが死んでからあなたが孤独と心配を募らせてきたことはわかるよ。でもどうぞぼくのことは心配しないで」
「おまえを心配なぞしていないよ。私はおまえを愛していないんだよ」
 そうだ、私は母に嫌われていた、この町ごと嫌になった、だからアメリカへ行って……。
 カーテンが揺れて落ち窪んだ眼窩に光が差した。ぎょろり睨まれたような気がした。
「いいや、おまえはアメリカへ行ってない」
 ああ、母さん。そうだった。すっかり思い出した。私は父の仕事を継ぐことを許されず、あなたから去ろうとすると親不孝と罵られ近付くと理由なく冷笑され続けた。私はアメリカに行かず、結婚もせず、仕事にもしくじって、顔は頬骨が突き出て無精ひげに覆われ目尻と鼻の横に深い皺ができてしまった。そして昨夜あなたを殺したのだ。だから今日こんなにも気分が良いのだ。



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