第27期 #4

熊を見ていた

 トモキは都心から一時間以上も電車を乗り継いで八三子駅に降り立った時、想像していたむせかえるようなハチミツの匂いがしないので拍子抜けした。

 言われたとおりオレンジ色のバスに乗り、幼稚園と保育園と短大のある丘をのぼる。このバスは八三子市のハチミツでできているらしいが、とてもそうは思えない。
 八三子がひとつの大きな冗談の町のように思える。仕事でもなきゃこんなとこには来ないだろう。
 
 台風がきている。
 台風23号はすでに東北のはるかかなたへ突き進んだというのに、まだ強風圏内にいる。

 海の上をはしる八糖線ハチミツ23号は、強風のためストップしてしまった。

 トモキは駅前で足止めをくらった。

 八糖線と糖蜜線の乗り入れる、ターミナル駅のはずなんだが、この駅前はあんまりだった。パチンコ屋が3軒も目に入るがあいにくトモキにその趣味はなかった。書店すらない。

 茫然。

 そこへ風にあおられ揺れながらハチミツ色の空気がやってきた。なにやら遠くから自分を眺めているようにおもえる。

 懐かしいようなうっとうしいような、昔感じたような、へんな気持ち。

 本で読んだような。

 砂糖子はセイミツジョから、歩いて駅の駐輪場に向かう。
 踏切が近くになく、とおく跨線橋をわたらないといけないので、ここに置いている。
 南口からのぼり、北口へ降りる。
 階段のした、だたっぴろいロータリー、大きい駅のわりにはひともまばらだ。
 学生の頃ずっと見ていた後姿、横顔、佇まいで、あれと思った。
 似た人をみるといつも思い出す。いつしか砂糖子は、痩せて背の高い彼を、熊だと思うことにしていた。
 二つ先の信号の角を曲がった保育園でハルキは待っている。

 砂糖子は養蜂所のひとが着る、例の宇宙服の格好をしていた。
 網越しに自分の顔をみている、トモキは確信した。

 砂糖子は熊を見ていた。
 かすかにハチミツの香りがした。風がひっきりなしにロータリーの中を吹き抜ける。
 やがてどこか遠くのほうをみてあるいていく。

 同乗器つきハルキつきの自転車でまた駅前を通過する。
「ママー。ゾウター、ゾウター」
 ハルキが指差す先をちらりと見ると、あの宇宙服を着た背の高い熊が立っている。
 熊は最後に手を振り、砂糖子を見送った。少なくとも砂糖子にはそう見えた。それだけでよかった。
 サヨウナラ、砂糖子は、ゆっくりとつぶやく。


Copyright © 2004 安南みつ豆 / 編集: 短編