第27期 #24

雨日余話

 帰宅途中、電車の中で唐突に、迷いのある者は木の下へ行け、というインドの諺を思い出した。
 別に悩み事があるわけでも、選択に迷っているというわけでもなかった。
 ただ、なんとなく木が見たくなった。どうせ見るなら、大木がいい。
 その下で座ってみたら、流行のマイナスイオンとやらで、少しは癒されるような気がしたのだ。
 到着駅で下りると、駅前の旅行代理店に駆け込んで、屋久島行きのツアーを申し込んだ。会社に休暇届を出したのは、その後だ。この際、順番なんてどっちだっていい。人間、勢いに任せて動くことも大切だろう。
 初めての一人旅に意気込んで出かけたが、生憎と初日は雨だった。思い切り出鼻をくじかれる。
 降り荒ぶ雨は当初の予定を大幅に狂わせた。
 南の孤島で、ツアー客は行き場もないまま旅館の中に押し込められる。
 狭い島なので仕方がない。
 暇をもてあまし、ぼんやりと宿のロビーで窓の外を眺めていると、同じツアー客の人から話しかけられた。
「折角の旅行なのに、残念ね」
 見知らぬ人と会話をするのが苦手で、曖昧に笑って誤魔化す。
「でも、雨上がりに行く屋久島は、きっと一番綺麗よ。明日は晴れるといいわね」
 そうですね、と相槌を打つ。
「屋久島に行くのは、初めて?」
 相手の問いに、ただ頷いた。
「縄文杉だけがマスコミに取り上げられて有名になってしまったけれど、樹齢数百年くらいの木はたくさんあるわ。疲れた人がそういう木の下で休むと、気をわけてもらえるそうよ」
 返事をせずにいると、彼女と目が合った。
「信じてないでしょう」
 まさか、肯定するわけにもいくまい。
「やる気、元気、根気。そうね、あなたは若いから覇気みなぎるってのはどうかしら」
 どうって言われても、返答に困る。
「あなたにはどれも必要なさそうですね」
 さっきから、すこぶる元気だ。
「あら、私はあなたのような若い人達とお話して、生気を分けてもらっているのよ」
 祖母くらいの年齢に見えるその人に、笑顔で切り返される。
 「じゃあね」と、彼女は次の話し相手を求めて席を立っていった。
 まいったなぁ、明日は晴れてもらわないと吸い取られるばっかりじゃないか、と思いながら窓の外を見ると、少しだけ雨脚が弱くなってきている気がした。
 その時、窓に映る自分の口元が、少しだけ笑っているように見えた。
 例えば人間も、齢を重ねるとマイナスイオンを発するのだろうか。
 ふと、そんなことを考えた。



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