第27期 #23

白象

 私は揺られていた。
 白象(はくしょう)の背の皮の引き攣れた稜線の、峰の流れにすっぽりと体を埋め、横たえる。
 生きものの、一器官としての役割を、私はついさっき終えたのだった。
 手繰り飴の赤色と三角形をした、この先の山へ行くのだ。
 駅はときどきあらわれては、右後方に遠ざかっていった。

 絵に描いたような仙人物語を想像しながら、私は指先を――渦の巻いた蔓のような指先であるが、うっすらと青い空に向けると、それは延びて滲んだ。来世の約束を交わした恋人やらが居るわけでもなしの、ただ運ばれる私がここに居る因果など、かように頼りないものだ。
 レタリングの枠からはみ出したように不格好に飛び出た尻尾を納めようと手を伸ばしたが、延ばしかけたところで、手と尻尾が同じものであると気が付いた。――今や後ろ前の私に、手も尻尾もありえるはずがない。
 越境のための旅券を提示するべく、白象が立ち止まった。
 ぽつぽつと咲き散らかす桃の花が関所の赤煉瓦に美しく、私はその香りに沈み込んだ。
 春だったのだ。
 赤色の山はすぐ眼前に聳えていて、百の白象がどんなに舐め転がしても消えぬであろう壮大さに、私は初めて恐ろしくなった。
「泣いても戻れんよ」と優しげに云った白象の言葉を思い出す。
 立ち止まる彼が私の心情を気遣うことはあれっきりなく、印の押された旅券が戻ると、白象は同じしずかな歩調を以て一歩一歩と歩き出した。



Copyright © 2004 市川 / 編集: 短編