第27期 #16
「ホラ、……という奴がいただろう。」
喫茶店の喧騒の中、2人の男がテーブルを挟んで座っていた。
聞き手の青年が頷くと、男は煙草に火をつけて話し始めた。
「元々、大学でも、どこか存在感の薄い奴でさ。それが、
ある時を境に『見えなく』なった。嘘じゃない。
初めは、口数が減って、滅多に笑わなくなっただけだった。
それが、そこに居るんだか、居ないんだか分からなくなって、
だんだん、蝋人形みたいに白くなってきたと思ったら」
男はそこで、内緒話をするかのように、身を乗り出して囁いた。
「透き通って、消えちまったのさ。」
言葉と共に長々と煙を吐き出すと、男は椅子に座りなおした。
「不思議なのは、俺以外の誰一人、そいつが居なくなったことに
気付かなかったことだ。おかしいだろう? でも、そう言う
俺も、本当に奴が存在したのか、時々分からなくなるんだ。
変な話だけど、全然、顔を覚えてないんだよ。ただ、笑い方に
癖があったのが、印象に残ってるだけでさ。」
それまで頷きながら男の話を聞いていた青年は、腕時計を眺めると、
考え込んでいる様子の男に断りを入れて席を立った。
喫茶店の外の空は、ふやけた紙のような雲に覆われた、一面の
くもり空だった。店の前の通りは、人で溢れかえり、店先に佇む
青年の目の前で、群集は、まるで一つの生き物であるかのように
息づき、ぜん動しながら進んでいった。
その中の誰もが、流行のジャケットを羽織り、奇妙に表情の
失せた、同じ顔をしていた。青年は、口の端を歪めて笑うと、
滑るように歩き出した。その姿は雑踏の中に溶けて、すぐに
見えなくなった。