第26期 #16

 鈍い音を立てて派手に転んだ。右膝を強く打つ。コットンのパンツが破けていた。全速力で走ったことなど、十年ぶりくらいで、息が切れていた。後から襲ってきた痛みを背負いながら、体育座りになり、血の滲んでいる膝に唾をつけながら、ぼんやりとしていた。
 何のために走ったのだろうか……。
 まだ明るい空には、三日月が出ていた。
「お姉ちゃん大丈夫?」
 ゆっくりとした足取りで向かってくる姉の娘を、梅子さんは虚ろな眼で見つめた。
 この子だ! この子が原因だ! 脳髄に閃光が走り、ハッとなる。
「何歩いてんのっ」
 家まで競争しようと言ったのは、この子なのだ。ピリピリとした梅子さんの声に少しだけ、たじろいだ様子を見せたが、それもほんの一瞬で、すぐににやついた顔に戻る。
「だって、速いから追いつきっこないと思って」
 梅子さんは、小学五年生になる、この姪が昔から嫌いだった。いつもやる気のないような、それでいて狡賢そうな、大人をバカにしたような目つきが、たまらなく嫌だったのだ。梅子さんは、恥ずかしさでいっぱいだった。それを解っているかのような顔をして「わあ、痛そう」と彼女は言ったので、思わず睨みつける。
「大丈夫?」
「大丈夫」
「じゃあ、早く家に帰ろうよ」
「先に帰ってていいから」そう言った後も彼女は動こうとはしなかった。
「帰っていいって言ってるでしょ」カッとなった自分に赤面する。
「だってぇ」
 心配などしている眼ではない。私を嗤っているのだ。大人のくせに、ムキになって本気で走って、勝手に転んじゃって……そんな言葉が響いていた。ジリジリと膝の痛みが増している。本当は立てるかどうかも怪しかった。
「ホントに大丈夫だから。後少し休んだら戻るから。だから先に帰ってて」
 いくらか落ち着きを取り戻した柔和な口調で梅子さんは言った。早く一人になりたかったのだ。
「うん」
 彼女は何度もふり返りながら、ゆっくりと家へ帰って行った。一人になると梅子さんは、クックッという声を出した。
「ばっかみたい」
 静まりかえった空気の中、声が反響し、また自分に返ってくる。脈打つ音が、異常に大きく感じられた。どうやら、立てなそうだ……。膝が私を嗤っていた。


Copyright © 2004 ゆう / 編集: 短編