第253期 #3
私はあれが嫌いだ。どのくらい嫌いかというと、歩き煙草をした挙句に路上にポイ捨てする奴と同じくらいにだ。実際、あれがポイ捨てした時には酷く怒った。嫌いだ。
あれには名前がついている。けど名前はなんか特別な感じがしない。あれは私にとって特別だ。それをあれはわかってない。嫌いだ。あれは、あれ呼ばわりされることを嫌っているようだ。わかってない。嫌いだ。
さて、通り一遍な、というか創造性のない、興味のあるなしに拘らずそういうものだと思い込まされてきたイメージによる行為はやめるべきだと私はあれに訴えた。あれも珍しくその通りだと首肯して、私たちはまずそのイメージを捨て去ることから始めた。それには、魚の小骨すべてをピンセットで抜き取るような根気を要した。そうして全てのイメージを剥ぎ取った私たちは、行為を一から創造していった。光あれ。そうしてわかったことは、行為ではなく生活が大事なのだということだった。
私たちは生活を送った。ある時、この生活は通り一遍ではないかと動議があった。あれからなのか私からなのか定かではない。あれもよく意見を言うようになっていたからだ。私たちは話し合った。そして、こう結論づけた。周期的に見えるかもしれないが、それはマクロな視点によるものだ。ミクロの視点で生活を見つめ直そう。結果、生活の有り様は一変して見えた。私個人としては感情面による変化が著しく、あれが私を呼ぶ声に対する感じ方には毎日どころか毎時間変化が確認できた。あれにはどうやら肉体面による変化が見えたらしい。毎回同じ体勢でつかみ出しているはずのフライパンの軌道が違うというのだ。言われてみれば私もそうだ。発見だ。
そんな訳で、あれの体の異常にもすぐに気がついた。もちろん私の感情面の異常についてもすぐにばれた。
通り一遍に生きようと動議があった。これは私からだ。この世にはこんな時にお誂え向きな既存の物語がある。それを採用すれば人間ではなく登場人物でいられる。決まった台詞を吐いて決まった行動を取る。それがいい。そうしたい。却下された。何故? 退屈だ。創造性がない。とあれが言う。今それを言うのか。承諾した。
後はもうただただ辛かった。ここに書きたくもない。拒否する。
私はあれが嫌いだ。どのくらい嫌いかというと、見苦しさを一欠片も見せずに死んでいく伴侶と同じくらいにだ。私は酷く怒ったが、あれは笑っていた。嫌いだ。