第250期 #3
大好きな傘を忘れてきてしまった。真っ赤で、持ち手が黒い傘。お母さんが昔、パリではないフランスのどこかに友達と旅行に行った時に買ったものだとお父さんは話していた。当時のお父さんは大学生で、お母さんは同じ大学で一年先輩だったけど、お父さんは一年留年していたので歳は同じだった。その友達というのはお父さんとは違う男の大学生で、お母さんはただの友達だと死ぬまでずっと言っていたのだが、お父さんはお母さんが死ぬまでずっと何となく疑っていたと酔っていた時に話していた。お母さんとお父さんは落語研究会にいたそうだが、熱心なサークルではなかったので落語なんか誰もやっていなかったらしく、それでもお母さんとお父さんは『寿限無』だけは覚えていてどちらかが家にいない時には披露してくれた。お母さんもお父さんもお互いに子供に披露しているなんて知らなかったかもしれない。
書店で立ち読みをしていたらゲリラ豪雨がやってきた。それで傘の置き忘れに気がついた。スマホで雨雲レーダーを確認したがあと一時間はやまなさそうだ。そういえば菖蒲が今日は部活だだりいと言っていた。一時間後、豪雨が去って五分後に菖蒲が書店に現れた。傘は? と聞くと、なかったよ。
菖蒲と学校に戻って探したけど見つからない。力が抜けて地面に座り込んでしまった。今朝はお父さんと進路のことで喧嘩していていつもならビニール傘を持っていくのにお母さんの傘を持ってきてしまったのだ。お母さんはあの傘を大好きな傘だと言っていた。お父さんはそれを聞く度に不機嫌になった。昔の男を褒めてるみたいで気に食わなかったんだろう。実のところ、お母さんとお父さんはラブラブカップルというわけではなかった。普通そうでしょ、という菖蒲の両親はラブラブカップルに見える。
帰りたくなかったので菖蒲が家に誘ってくれた。ご飯をごちそうになってお風呂に一緒に入って菖蒲のお母さんに車で送ってもらった。既読はつけたけど返信しなかったから怒られるはずだった。
ご飯食べたのか。風呂入ったのか。傘はどうした。パンが切れてるから買ってくる。
またカレーかよ、と思いつつ書き置き。明日の朝食べます。ごめんなさい。
気まずい朝食。カレーは食べた。いってきます……の前に赤い傘がある。
本屋にあったぞ。目立つ傘だから気がついた。
探してくれた……のか? ありがとう。いってきます。
菖蒲に連絡。
傘あった。本屋。